十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

涼し

2011-08-31 | Weblog
   清貧といふ涼しさの中にゐる    今中榮泉

東日本大震災の衝撃、そして引き起こされた原発事故。
今もなお続く凄惨な状況の中で、私たちが忘れかけていたもの。
大自然の脅威はもちろん、経済成長がもたらした生活水準の中で、
「清貧」というつつましい暮らし、穏やかな日常が、
どれほど大切なことであるか、改めて気づかされた気がした。
決してストイックでない心の在りように、読む者にも、
心地よい涼しさが伝わってきた。
「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

薔薇

2011-08-30 | Weblog
   蔓薔薇やマリアテレジア子沢山    荒牧成子

オーストリアの偉大な女帝であり、神聖ローマ皇帝妃として
知られるマリア・テレジア。多忙な政務をこなしながらも、
夫、フランツとの間に男子5人、女子11人の16人の子供をなす。
23歳で女帝となったマリア・テレジアの華麗なる生涯は、
まさに「蔓薔薇」のようだ。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

青葉

2011-08-29 | Weblog
   もてなすに雨の青葉のありにけり    田中フジコ

もてなしは、あれもこれもと心づくしの計画を立てるものだが、
きっと作者もそうだったに違いない。しかし、突然の雨により、
止むを得ず計画を断念。ところが、雨に濡れた青葉の鮮やかな緑が、
目を楽しませてくれたのだ。「雨の青葉のありにけり」に、
意外なもてなしに気づかされた作者の驚きと感動が感じられた。
「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

2011-08-28 | Weblog
    裸身ひるがへして滝の落ちにけり      岩岡中正

前書に、「白糸の滝」とある2句の中の1句。白糸の滝は、全国各地に存在するが、ここは阿蘇郡西原村の奥地。幻想的な滝として知られている。さて、阿蘇山の湧水が、やがて川となり、滝となって落ちる瞬間。滔々と流れる水は、ここで一気に白い飛沫となって解放される。それは、作者が滝と一体化した瞬間でもあった。きらきらと輝きながら落ちてゆく滝は、まさに水の「裸身」のようだ。神秘的な滝のスポットならではのロマンが感じられた。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)
 

爽やか

2011-08-27 | Weblog
妹を見せてあげると爽やかに   寺井谷子

妹が生まれて嬉しくて仕方ない女の子。
ずっと一人っ子で寂しい思いもしてきたかもしれない。
妹といっても、まだ首も座らない赤ちゃんなのだ。
「妹を見せてあげる」という、少女の言葉に、
すでに姉としての自覚が芽生えていることを、
微笑ましく感じている作者なのだ。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

2011-08-25 | Weblog
つまづきて気づくあしもと露けしや   太田寛郎

それまで、体力には結構自信があったのだろう。
しかし、ある日ふと躓いた時に意識した足元・・・。
この時から、老いは始まるのだろうか?
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

鉦叩

2011-08-24 | Weblog
   老醜は同時多発ぞ鉦叩     倉橋羊村

同時多発は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件のことだが、
「老醜は同時多発ぞ」とまで言われてしまうと、諦観というより、
潔ささえ感じてしまう。深刻な作者の老境の身を語ったものだが、
同時に、私たちへの警鐘なのかもしてない。
何といっても「鉦叩」の季語の付け方が、いかにも巧い。
「波」主宰。2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

銀河

2011-08-23 | Weblog
   愛の鍵銀河の中に沈めけり   野見山朱鳥

愛の鍵を銀河に沈めてしまったら、二度と愛の扉は開けられないではないか?それとも、二人だけの記憶を閉じ込めて封印してしまおうということだろうか。虚子が「曩に茅舎を失い今は朱鳥を得た」と評した朱鳥の客観写生が、次第に「生命諷詠」という独自の理念を掲げ、独自の心象風景を詠む俳風を確立することになるが、この作品は、朱鳥の第4句集『運命』に収められている。
野見山ひふみ編 野見山朱鳥句集「朱」より抄出。(Midori)

秋茄子

2011-08-22 | Weblog
焼けしぶりつつ秋茄子の雫かな    岸本尚毅

秋茄子に限らず、夏に穫れる茄子でも、焼けてくると、
その焦げ目から茄子の水分が滴ってくる。
しかし、焼けしぶっているのはどっちかな?とすると、
やはり、秋茄子ではないかと思えてしまう。
写生の目が行き届いていなければ、「焼けしぶりつつ」という、
措辞は決して生まれてこないだろう。
第四句集「感謝」より抄出。(Midori)

葡萄

2011-08-21 | Weblog
卓の葡萄「まるで家庭じゃないみたい」   高柳克弘

卓の上の葡萄は、白磁の大皿などに房ごと盛られている。
まるで静物画のモデルのようで、手を付けるのも気が引けてしまう。
「」の独白が、傍観的な視点となって、まるで、
家庭じゃないみたいに、人の気配が感じられない。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

ばつたんこ

2011-08-20 | Weblog
父より享くる短気と根気ばつたんこ    戸恒東人

「短気は損気」など、短気で得をするということはあまりないようだが、
作者には「根気」という父から受け継いだDNAがあった。
「ばったんこ」のまるで短気と根気のシーソーゲームのような季語を配して、
俳味のある作品になっている。
2010年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

幕間

2011-08-19 | Weblog
守宮鳴く一夜の夢の幕間に
地震あとの砂の器の蛇いちご
雲間よりハープの調べ梅雨の蝶
夕焼に呑みこまれたるけんけんぱ     平川みどり


*「滝」8月号〈滝集〉に掲載

五月

2011-08-18 | Weblog
  蔵町を水の流るる五月かな    三品知司

蔵町は、多くの蔵が立ち並ぶ街で、近くには川や運河があり、
かつては、商人の町として栄えたところだ。
「水の流るる」は当然と言えば当然なのだが、「蔵町に」ではなく、
「蔵町を」となると蔵町の情緒が濃く感じられる。
新緑の季節、清らかな水の流れが心地よく感じられた。
「滝」8月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

躑躅

2011-08-17 | Weblog
  山つつじ日を存分に大斜面    庄子紀子

山つつじは、その名の通り山野に自生するつつじのことだ。
山の斜面に群生する山つつじが、太陽の光を存分に浴びて、
日の色と同じ花を咲かせれば、斜面は一色に染まってしまう。
動詞のない大胆な詠み、「大斜面」という省略の効いた構図がよかった。
「滝」8月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

薄暑

2011-08-16 | Weblog
着くづれて薄暑の街を帰りけり   上遠野三恵   

着物は、日本古来の服装だといっても、一人で着るのは難しい。
しかし、作者は着つけも小粋にお出かけのようだ。
どんなに楽しい時間でも、一日の疲れは感じるもの。
「着くづれて」に、薄暑の心地よい疲れも感じられた。
「滝」8月号〈滝集〉より抄出。(Midori)