十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

黄水仙

2015-04-30 | Weblog
ペンキ屋はペンキまみれで黄水仙     岩岡中正

ペンキ屋は、外壁などの塗装の専門家。「ペンキまみれ」から、広がる映像は、ペンキの缶をはみ出しているペンキの色。それはたぶん空色で、刷毛を持つ手は、色褪せた壁を眩しいばかりの空色に塗り替えてゆく。ペンキの人工の色と、黄水仙の造化の色とを対比させているにも関わらず、黄水仙までも、まるで黄色のペンキで塗られたような気がしてくるから不思議。「黄水仙」の黄色がペンキ色に艶やかに光る印象鮮明な一句。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

朧夜

2015-04-29 | Weblog
桜貝ほどの純情ありにけり
おぼろ夜の耳朶にピアスの穴ひとつ
光年の星のつぶやき犬ふぐり
巻貝をこぼるる余寒ありにけり     みどり


*「阿蘇」5月号、岩岡中正主宰選

 「純情ありにけり」と言ってのけたところが、いかにも若々しく元気。作為のかけらもない。本当にそう思い、その感動をそのまま言葉にしたのである。これまた大胆で頼もしい一句。(雑詠選評より)

 有明海に面する長州海岸は、桜貝がたくさん拾える砂浜なのですが、これまで一度も桜貝にめぐり合うことができませんでした。しかし、この春やっと桜貝を見つけたのです。手のひらの桜貝は、小さなロマンそのものでした。(Midori)

遍路

2015-04-27 | Weblog
あきらめし遍路は夢に鈴鳴らし     清水 浩

空海の修行の遺跡である四国の札所、八十八か所の霊場を巡る遍路は、全行程二百里、約四十日かかるという。多くの難所を抱える遍路であれば、余程の発心がなければ、とても全うできるものではないだろう。しかし、途中で諦めざるを得なかった作者である。夢にまで見るのは、やはり残りの札所を巡る旅・・・。「夢に遍路の鈴鳴らし」と、鈴の音が余韻となって響きわたるようだ。2015年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

春眠

2015-04-25 | Weblog
受話器とる掌に春眠の重さかな    宮本径考

心地よい眠りを妨げるように響く電話の呼出音。夢の中かと思いながらも、その音が現実の音であることを認識した時、仕方なくとる受話器。その受話器の重さは、それまでの春眠が深ければ深いほど重たく感じるものなのだろうか。2014年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

半仙戯

2015-04-24 | Weblog
夕ぐれの宙を軋ませ半仙戯     木内怜子

「半仙戯」は、古く中国から渡来した遊具で、唐の玄宗が後宮の美女達を遊ばせたものだというが、日本ではすっかり子どもたちの遊具、ブランコとして定着した。さて掲句、「夕ぐれの宙を軋ませ」と、空間を捉えた詩的把握が見事。一人漕ぐブランコの軋みが、夕暮れの静かさを一層際立たせている。2015年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

葱坊主

2015-04-22 | Weblog
葱坊主どこを向いても故郷なり     川崎陽子

「葱坊主」とは、何ともユニークなネーミング。つい擬人化を試みたくなるが、ここでは、「どこを向いても」である。急速に進む都市化の波に飲まれることもなく、いまだ昔のままの美しい自然がのこる故郷なのだろう。故郷に帰れば、幼き日々に返る作者である。2015年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori
)

遠足

2015-04-20 | Weblog
遠足のおくれ走りてつながりし      高浜虚子

二列に並んで粛粛と出発したはずの遠足の列も、いつの間にか疎らな列になってしまう。道々には、草花や蝶など子どもたちの好奇心を惹くものがいっぱいだ。大きく遅れをとれば、一斉に駆け出しては、前の列に追いついて・・・。そんな懐かしい思い出が蘇るが、さて虚子の句。中七から下五へと動詞のつながりが三つ。「つながりし」の措辞が遠足の列だけでなく、言葉のつながりも感じさせる。時間の経過も楽しい一句。第四版『虚子俳話』より抄出。(Midori)

春風

2015-04-19 | Weblog
春風にボタン外せば旅ごころ     冨澤栄子

長い冬が終わり、北国にも春がようやく訪れたのだ。上から下まできっちりと留めていたボタンを、春風に一つ外せば、身も心も軽く、旅への思いが一気に膨らんだのだろう。「ボタン外せば」の胸元を意識させる措辞から、「旅ごころ」への展開に、春への静かな昂揚感が伝わってきた。「滝」4月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

黄水仙

2015-04-17 | Weblog
逆光に神説くをみな黄水仙     加川則雄

昼過ぎの眠たい時間、「神説くをみな」の訪問を何度か受けた経験があるが、玄関に佇む彼女の姿はまさに逆光を纏ったようであった。「逆光」という光は、彼女の信仰の深さを物語っているのかもしれない。美しいフレーズが魅力的な一句である。「滝」4月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

春疾風

2015-04-16 | Weblog
トウシューズターンのやうな春疾風     赤間 学

「トウシューズターン」というだけで、白いサテンのトウシューズの爪先がくるくる回る様が立ち上がってくるのは、誰もがよく知っているバレエに助けられているからだろう。「春疾風」の比喩として、意外性があり、トウシューズの回る透明感が美しい。「滝」4月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2015-04-15 | Weblog
鳥翔ちて一瞬暗む芹の水     遠藤玲子

小流れの石などの上に静かに止まっていた鳥が、突然飛び立った時、それまで陽を受けて輝いていた芹の水が、一瞬だけ暗くなったというのだ。鳥が飛び立つ前と後では、芹の水に何ら変化があるはずもないのだが、「一瞬暗む」という詩的把握は、充分に肯ける。鳥が翔びたった時の一瞬の混沌が、芹の水を暗くしたのだ。「滝」4月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

辛夷

2015-04-14 | Weblog
花辛夷水音たかぶる夕べかな     鈴木幸子

辛夷の花が咲きはじめると、やっと本格的な春が訪れたことを実感する。水音は春の音を奏ではじめ、夕べとなるといくらかの昂ぶりさえも感じられる。「水音たかぶる」という感覚は、作者自身の昂揚感であり、東北地方に在住の作者ならではの実感だろうか。「滝」4月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

2015-04-13 | Weblog
我に棲む鬼も古稀過ぎ鬼やらひ     梅森 翔

自分の中の鬼は、どんなに追い払ってもそうそう簡単に追い出すことはできないもの。しかし、若い頃とは違って、古稀を過ぎれば鬼とても大人しくなってしまうものなのか・・・。「我に棲む鬼」も、いつの間にか古稀を過ぎていたのだ。「鬼やらひ」に、そんな一抹の淋しさと諦観の思いを深くしている作者だろうか。「滝」4月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

2015-04-11 | Weblog
くちびるに笙高鳴れや古雛    宇野成子

雛飾りは、最上段にお内裏様、二段目に三人官女、そして三段目に飾られる五楽人。左から横笛、縦笛、火焔太鼓、笙、羯鼓を奏でる凛々しい烏帽子姿は、当時の雅な様を物語るに十分だ。しかし、長い年月を経てきた古雛。「くちびるに笙高鳴れや」と、作者の古雛への眼差しは優しい。「滝」4月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

黄水仙

2015-04-10 | Weblog
らくがんのしつくと割れて黄水仙     三浦しん

落雁は、花の形などに成型した干菓子であり、ぼそぼそとした食感だと思い込んでいたが、そうでない落雁もあることを知ったのは、最近のこと。それはまさに「しつくと割れて」のオノマトペが言い当てているような「しっとり感」を持った落雁だった。さて、下五に置かれたのは、「黄水仙」。落雁に黄水仙の清楚な佇まいがよく似合う。「滝」4月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)