法師蟬記憶のどこか欠けてゐる 鈴木要一
「記憶」は、抽象的な概念であるが、「どこか欠けてゐる」という措辞によって、「記憶」を具象として捉えることを可能にしている。つまり、全き塊であるはずの「記憶」の一部分が、白く欠けている、という映像が立ち上がってくるのである。さて、記憶と忘却。忘れることも生きて行く上では、重要なことであるが、「法師蟬」の声だけは鮮明に記憶しているというのだ。「法師蟬」に語らせているのは、記憶の外に置かれてしまった終戦の記憶なのか・・・?「滝」9月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)
「記憶」は、抽象的な概念であるが、「どこか欠けてゐる」という措辞によって、「記憶」を具象として捉えることを可能にしている。つまり、全き塊であるはずの「記憶」の一部分が、白く欠けている、という映像が立ち上がってくるのである。さて、記憶と忘却。忘れることも生きて行く上では、重要なことであるが、「法師蟬」の声だけは鮮明に記憶しているというのだ。「法師蟬」に語らせているのは、記憶の外に置かれてしまった終戦の記憶なのか・・・?「滝」9月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)