十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

銀河

2018-11-30 | Weblog
大いなる銀河の端の仮設村
ふるさとの夕日のいろの柿二つ
合掌の人うつくしき島の秋
蟷螂の祈りのかたち隠れ耶蘇

*「阿蘇」12月号、岩岡中正選

【選評】熊本地震からもう二年半だが、いまだにたくさんの人たちが仮設村で不便なくらしをしている。銀河の大きさと人間の小ささ、それでも必死に生きる人々を「大いなる銀河」が見守ってくれているという、大いなる共感の一句。(中正)

熊本地震で全く被害を受けなかった所為か、震災句を詠むことに、ずっと後ろめたさを感じていた。ところが今年9月、北海道での大地震の報。地震はいつでもどこでも起こり得るという思いを新たにした月だった。(Midori)

「かな」の用法について

2018-11-27 | Weblog
『虚子俳話』にも、切字は、「俳句の骨格を成すものである」と記されていることであり、「かな」は、その代表的な切字の一つである。ここでは、「かな」の用法で気になっていることを少し。

白粉の花落ち横に縦にかな      高浜虚子
ききわけの無き鮟鱇を鍋にかな   櫂未知子

「かな」は体言または活用語の連体形に付くことは、広辞苑に明記されていることだが、掲句の「にかな」の「に」は、助詞である。「かな」の用法について、俳句関係の書物を何冊か調べてみたが、どれも切字の効果までに止まり、文法的な考察には至らなかった。

松過ぎの髭そらぬ顔ばかりかな    加藤楸邨
鍵穴に蒲団膨るゝばかりかな     石塚友二

掲句は、「ばかりかな」である。先日の小さな句会でも、この「ばかりかな」が出句されたが、「ばかり」は、助詞である。「かな」は何にでも付く助詞でなく、体言につく助詞であることを思えば、いかにも不自然である。「にかな」「ばかりかな」の過去の例句にこだわらず、正しく使われてこそ、「かな」が切字として効果を発揮できるのではないだろうか。(Midori)

七七忌

2018-11-25 | Weblog
義父の49日の法要を山裾の菩提寺で行った。皇帝ダリアが一際眼を引く中、本堂へとさらに石段を登る。境内は千両、万両、石蕗の花が冬の彩りを添えている。読経のつづく中、銀杏黄葉がはらはらと散り、義父の49日を印象付けてくれた。(Midori)

   万両の荘厳したる七七忌
   またひとつ銀杏黄葉や忌を修す   
 *玉名句会、指導者選

小春

2018-11-22 | Weblog
11月の南関句会の兼題は、陰暦11月の異称、『小春』。比較的詠みやすい兼題だが、長く俳句を詠んでいると、すでに類型類想。少し肩の力を抜いて詠んでみた。(Midori)

   小春日の子犬につけし名は武蔵
   ふはふはの揃ひの帽子街小春   
    *指導者入選

金魚

2018-11-20 | Weblog
出目金のひらりと鰭の僧衣めく
病葉の落ちてくぼめる水面かな
水の面の太陽歪む原爆忌
神々の遊びごころや捻り花


*「阿蘇」11月号、井芹眞一郎選

【選評】 真っ黒な出目金、泳ぐときは体で泳ぐのでリボンのような長い鰭が余計に揺れて見える。ここではお坊さんの衣に例えたところがユニークだ。バイクに乗って来るお坊さんを想像した。(慎一郎)

熊本県北の長州町は金魚の里として、金魚の養殖が盛んなところ。毎年夏になると、「金魚の館」まで、水槽を泳ぐいろんな種類の金魚を見に行く。中でも出目金の漆黒の美しい鰭に、想像が膨らんだ。(Midori)

「草枕」俳句大会

2018-11-18 | Weblog
第23回「草枕」国際俳句大会が、熊本市で開催。熊本は、夏目漱石をはじめ、山頭火、中村汀女ともに縁のある地で、選者には毎年汀女の孫にあたる、小川晴子氏を迎えての開催となる。入賞句は、どれも平明で詩情深く、堂々たる句ばかりで、大会に相応しい作品だと感銘!(Midori)

「草枕」大賞     石一つ定めては積む城小春     細田みのる (熊本市)
中村汀女賞     竜胆と吾れ大阿蘇の日を分かつ  嶋田光子 ( 〃 )
種田山頭火賞    黄落や戦無き世の城普請       建部洋子 ( 〃 )
地下水都市・熊本賞  水澄みて江津の辺に育つ子ら    矢澤幸乃 ( 〃 )
熊本の名菓賞    肥後は無事十一月を迎へけり    佐藤武敬 
 ( 〃 )

☾☆

2018-11-14 | Weblog
友はもう訪へぬ遠さよ夏の月     豊田規容子

この夏亡くなった「友」だと思われるが、「訪へぬ遠さ」と、婉曲的に表現されて、詩情高い。「友はもう」の「もう」に、在りし日の友との交流が思われて、作者の深い寂寥感が伝わる一句である。「阿蘇」11月号より抄出。(Midori)

星祭

2018-11-12 | Weblog
みづうみに水まんまんと星祭      加藤いろは

典型的な二物配合の句。「みづうみに水まんまんと」と、「星祭」との間には、何ら関連性は存在しない。しかし、二物に通底するものは、「水」。牽牛と織女の二つの星が天の川を渡って年に一度逢うという日、「水まんまんと」がいかにも二人を言祝ぐかのようである。探勝会で、一番好きだった句。平明に叙して、季語の斡旋が見事!「阿蘇」11月号より抄出。(Midori)

女郎花

2018-11-09 | Weblog
母と来し子と来し丘のをみなへし     福田 緑

子は、きっと女の子。かつて母と来た丘であり、子と来た丘である。そして今一人となって、見る「をみなへし」。「をみなへし」の季語が決して動かないのは、言うまでもない。地元の小さな句会で、私が一番に頂いた句。「阿蘇」11月号より抄出。(Midori)

秋の風

2018-11-07 | Weblog
ことごとくさざなみとなる秋の風     井芹眞一郎

「さざなみ」は、水面に小さな風が吹いた時に生じる現象。それが、「ことごとく」というのだから、水を頂くもの全てが、「さざなみとなる」ということである。「秋の風」らしい寂寥感がじんわりと伝わって来るのは、「ことごとく」と置かれた上五の断定に尽きると思われる。「阿蘇」11月号より抄出。(Midori)

2018-11-05 | Weblog
逝きし空より雁の来りけり      岩岡中正

同じ「空」でありながら、人逝きし「空」であり、また雁の来る「空」であるという。対照的な感慨は、ひとつの諦観であり、死生観でもあるのだろうか。

かりがねの数ほど人を逝かせけり     〃

続いて掲載されている句だが、「人を逝かせけり」には、前者の「人逝きし」とは違って、人知の及ばない天の采配が感じられる。「生」と「死」が等価値に置かれて、余韻のある一句である。この秋、義父が亡くなって、はやひと月。私にとって感慨深い連作となった。「阿蘇」11月号より抄出。(Midori)


文化の日

2018-11-03 | Weblog
先日の南関句会の兼題は、「文化の日」。戦前は明治天皇の誕生日を明治節とされていたが、戦後、自由と平和を愛し、文化を進める日とされ、「明治節」は、昭和23年に「文化の日」と定められた。「文化の日」の成り立ちは、俳句にはほとんど反映しないかもしれないが、季語の背景を知っておくのもいいかも・・・。(Midori)

文化の日米寿のかざす舞扇     和代
色づけるもの美しき文化の日     みどり

文化祭

2018-11-01 | Weblog
11月1日は、毎年、熊本県芸術文化祭参加の「秋季玉名俳句大会」が行われる日だ。今年で60回目を迎えるというから、地域からの文化発信の取り組みが、いかに誠実で素晴らしいものであるかが伺える。今日は、52名の参加となったが、ここでも高齢化は大きな課題であるようだ。今年の選者は、福岡県みやま市の紙田幻草氏。選の基準は、「目を閉じて景が見える句。美しいものは美しく、美味しいものは、美味しく」とのこと。それぞれの句には、懇切丁寧な講評を頂き、句の広がりを感じさせて頂いた。玉名市文化協会の皆さま、大変お世話になりました。深謝。(Midori)

市長賞     花野行くうすくれなゐの山羊の耳    米澤貞子
教育長賞    小鳥来るピアノの蓋を開くたび      平川みどり
文化協会賞  親の手をはなし駈出す祭の子      山角和代