十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

初蝉

2018-06-30 | Weblog
「初蝉」とは、夏になってはじめて聞く蝉のことだと思うが、「初」がつくと、どこか弱弱しいものという既成観念が働いてしまう。しかし実際に聞く初蝉の声は、これまで土の中にいたとは思われないほどだ。「初蝉」とは、俳人が感慨を込めて使った曖昧な言葉であり、主観や感情が働いていると思えば、「初蟬」を詠むことの難しさを感じるこの頃・・・。(Midori)

    初蝉に山の鳴動ありにけり

囮鮎

2018-06-28 | Weblog


氷川の岩場に立って鮎を釣る人。
囮鮎は、鮎の習性を利用して生きた鮎を使った釣りの方法。
人の知恵には感心させられるが、残酷なものでもある。(Midori)

    囮鮎朱の斑大きく放たるる

御田植祭

2018-06-26 | Weblog


 熊本県北の荒尾市の野原八幡宮の御田植祭に行って来た。快晴の空の下、玉苗を植えて行く早乙女たちの姿に、しばし時を忘れた。
 40回目を迎える荒尾市俳句協会主催の俳句大会には、40人の参加。互選でもっと評を集めたのは、下記の句。「神事を詠む」ことへの苦手意識も、少しは払拭できたかもしれない。(Midori)

早乙女の脚絆一気に神の泥    松瀬むつ江  *玉名市  

春愁

2018-06-24 | Weblog
春愁の映りて毀れたる水面
九天の梁に架けたる半仙戯
補陀落へ水脈曳く小舟かぎろへる
大海へ伸びゆく砂嘴や花菜風


*「阿蘇」6月号(当季雑詠)山下しげ人選

【選評】物影の全てを偽りなく映し出している水面。作者は硬く張りつめたような森閑とした水面の一瞬の揺らぎを「毀れた」と感じ、春愁の心の揺らぎがそのまま水の揺らぎと見てとったのである。実景と心理の微妙な変化を結びつけた繊細な部分を大胆に詠んだ一句である。(しげ人)

選者は、ホトトギス同人で、句歴も長いベテランの俳人ですが、まだお若い「阿蘇」同人。正直、私とは真逆の句風だと思っていたので、これからの大きな励みとなりました。(Midori)

芽立ち

2018-06-22 | Weblog
一斉も一途も庭の芽立ちかな      八木花

「庭」という限定された場所の芽立ちである。それだけに、「一斉も一途も」という「一」のリフレインに勢いが感じられる。「一斉」は平面的な芽立ちであり、「一途」は立体的な情感だろうか。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

虫出しの雷

2018-06-20 | Weblog
虫出しの雷に出かけて行く句会     田中茗荷

一読して、ふっと笑える俳諧味がある句。「虫出しの雷」とは、文字通り、冬に眠っていた虫たちを誘い出す初雷のこと。あたかも、作者自身がそうであるかのような詠みぶりが何とも可笑しい。雷の日でも句会に出かけている作者自身への自嘲の一句でもある。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

凌霄花

2018-06-17 | Weblog
 熊日新聞に、漱石の『彼岸過迄』の連載が始まった。連載から二日目の今日、「自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、ないしネオのつく浪漫派でなかろうが全く構わないつもりである」と、前置きしている。時代背景もあったかもしれないが、裏を返せば、漱石が、時代の趨勢を意識していたことにも繋がるのではないだろうか。
 さて、俳句。特に意識しなくても、伝統、現代、前衛などの枠組みはあるかもしれないが、自分は自分だとちょっと開き直ってみるのも楽しいかも・・・。(Midori)

    太陽に倦みてぽとりと凌霄花 
    *土曜例会 岩岡中正選

2018-06-14 | Weblog
お静かに今からさくら咲きますよ     真弓ぼたん

今年の桜ほど、初花から残花まで楽しませてくれた年はなかったが、「お静かに」ではじまる掲句。多くの人で賑わっている桜の名所なのだろう。「今からさくら咲きますよ」と、口語体で詠まれた一句に、今にも咲きそうな臨場感が感じられた。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

2018-06-12 | Weblog
囀や歌垣山の暮るるまで     本田久子

「歌垣山」は、万葉の時代より男女が集まり歌合せが行われた山である。「歌垣山の暮るるまで」と詠まれて、あたかも万葉人が時を忘れて歌に興じる様が映像となって立ち上がってくる。「歌垣山」という措辞によって、時を超えた格調高い一句となっている。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

薄暑

2018-06-10 | Weblog
林真理子原作の大河ドラマ、「西郷どん」は、小説とは少し違っているが、事実はもっと違っていることだろう。熊本県北の高瀬は、かつて水運の開けた蔵町だったが、西南戦争で、政府軍と薩軍が初めて激突した場所でもあった。今では、そんなことを知る人もなく、毎年、花しょうぶ祭りが開催され、6万本の花菖蒲がたくさんの見物人の目を楽しませている。(Midori)

    蔵薄暑今も変はらぬ風の道
   *探勝会、岩岡中正選

山火

2018-06-08 | Weblog
人小さく右へ左へ山火守る     井芹眞一郎

「人小さく」とは、遠景によるものと思われるが、雄大な阿蘇山への畏敬の念にも繋がる。「山火守る」といっても、一つ間違えれば命に関わる大変な作業である。「右へ左へ」と、一見滑稽にも思われる動きであるが、野焼は一瞬たりとも気が抜けない作業なのだ。「山火守る」という措辞の意味を深く考えさせられた、探勝会での主宰特選句であった。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

梅見

2018-06-06 | Weblog
八重を見て一重に戻る梅見かな    永村典子

「八重を見て」ではじまる一瞬の高揚感。そして「一重に戻る」と、静かな展開。梅園での一句と思われるが、「八重」から「一重」へと移る梅見に、作者の心の在りようが伝わってくる。「梅見」という季語が効果的に詠まれた一句ではないだろうか。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

春夕焼

2018-06-04 | Weblog
生涯をこのバス路線春夕焼     岩岡中正

熊本市内在住の主宰だが、市内には市バスや市電が縦横に走り、多くの市民の足となっている。自家用車で出かけて、駐車場を探すことを思えば、余程便利である。さて、「生涯をこのバス路線」と、日常の暮しの一端を提示した句である。「春夕焼」と置かれて、人生の充実感の中にも、いくらかの寂しさが感じられる一句ではないだろうか。土曜例会で多くの選を獲得した一句。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

陽炎

2018-06-02 | Weblog
火の山のかげろふを食む牛の群
神々の褥の如き遠霞
春しぐれ万の水輪の華やげる
時ならぬ恋にも似たる春の風邪


*「阿蘇」6月号、岩岡中正選 

「想像はリアルに負ける」と、脚本家、北川悦吏子氏は、ある台詞の中で言っていた。さて伝統俳句に帰依している私としては、写生こそリアル。しかしリアルも想像も一つの限界があることに気づいた。リアルが生み出す詩情は、想像を越えるかもしれないが、時に、想像はリアル以上にリアル。(Midori)