十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

一葉

2015-10-31 | Weblog
一葉落ちて静かな水となりにけり     岩岡中正

「一葉落ちて」ではじまって、「動」から「静」への瞬間の変化、そして「なりにけり」の「今」への余韻・・・。平明な作品でありながら、「静かな水となりにけり」の主観を交えない叙述に、季節が変わったことへの一抹の淋しさや、無常観が感じられる。過ぎ行く季節を惜しむ作者のぎりぎりの感情が、上五の字余りなのだろうか。無機質なものであるはずの「水」に、生命が感じられるのは、一つのアニミズムかもしれない。阿蘇」11月号より抄出。(Midori)

HP  http://haishi-aso.jp/

2015-10-30 | Weblog
念力を貯へてゐる蟇
上弦の月に架けたるハンモック
蜻蛉生る神代につづく水あかり
秋立つや弥勒菩薩の指先に     みどり


*「阿蘇」11月号、岩岡中正主宰選

【講評】
あの蟇の表情を、「念力を貯へてゐる」と詠んだところが、的確でユーモアがある。比喩の成功は、何より省略のうまさにある。「蟇」と「念力」と詠んだことで、蟇の一徹な姿が目に浮かぶ。

★先日は、玄関の扉に青蛙がじっとしていましたが、玄関の扉のどこが気に入ったのでしょう。しかし、あのいぼいぼのある蟇は、滅多に目にしなくなりました。俳句を詠むとき、昔見た映像が素材になることが多いのは、遊びの中心が自然の中だったお蔭でしょうか。(Midori)

2015-10-29 | Weblog
よろよろと棹がのぼりて柿挟む      高浜虚子

「よろよろと」「のぼりて」「挟む」の主体は、すべて「棹」である一句。
一本の棹が延びて、一個の柿を捉えるまでの臨場感は流石、
よろよろと棹を操っているのは、里人だろうか。(Midori)

邯鄲

2015-10-28 | Weblog
誰彼と言はず供養ぞ鉦叩      小川文平

「供養ぞ」の「ぞ」の助詞の強い断定は、容赦ない響きで迫ってくる。思えば、誰しもが殺生を繰り返して生命をつないでいるのであれば、「誰彼と言はず」であることに間違いはない。静寂の中に「鉦叩」の音が、もっともらしく聞こえてくるから楽しい。俳誌「阿蘇」合同句集より抄出。(Midori)

蟷螂

2015-10-27 | Weblog
蟷螂の眼も三角に怒りたる     大熊のぼる

「目を丸くする」は驚き、「目が点になる」は、呆然としたさま、そして「目を三角にする」は怒りの表情。こうしてみると目の慣用語は、丸、点、三角と、感情を表す慣用語であるようだ。さて、「蟷螂の眼も」ということは、「作者も」ということである。近頃は、蟷螂だけでなく、眼が三角になることの多いことである。俳誌「阿蘇」合同句集より抄出。(Midori)

草紅葉

2015-10-26 | Weblog
牛の踏む等高線や草紅葉     渡辺久美子

等高線は、急斜面になるほどその間隔は狭まり、なだらかになるほど広くなる。牛の踏んでいる等高線は、見えるはずのないものであるが、きっと緩やかな曲線を描いているのではないかと思われる。草紅葉の鮮やかな阿蘇の高原だろうか?「等高線」という地図上の記号である線が、「牛の踏む」という具象によって印象鮮明な句となっている。句集『立田山』(「阿蘇」叢書)より抄出。(Midori)

秋雨

2015-10-23 | Weblog
秋雨や旅の一日を傘借りて     高浜虚子

貴重な旅の一日が雨とは、いかにも残念に思うのは凡人なのか、掲句にはそんな感情の欠片もない。それどころか、秋雨を楽しむ風情であるのは、中七から下五へのさり気ないフレーズと、「傘借りて」の連用形で終る余韻の深さにあるのだろうか。事実だけを述べた一句に、想像は膨らむ。「ホトトギス新歳時記」より抄出。(Midori)

新蕎麦

2015-10-23 | Weblog
新蕎麦やとろりと光る最上川     山本峰子

新蕎麦は、充分に熟する前の青い蕎麦を挽いて打ったもの。ちょうど秋の深まりが感じられる頃である。さて、新蕎麦を頂く作者の目に映ったのは、遠くに光る最上川。「とろりと光る」に、新蕎麦の味わいにも似た幸福感が感じられる一句である。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

かき氷

2015-10-22 | Weblog
弱点を衝かれてゐたるかき氷     佐々木博子

かき氷と言えば、苺シロップに練乳かけが定番だろうか。透明なガラス皿にうず高く盛られたかき氷を前に、さてどこから掬えばいいのかちょっと戸惑ってしまう。氷の山を最後まで崩さないように丁寧に掬おうとしても、場所が悪ければ、すぐに壊れてテーブルを濡らしてしまう。さて、「弱点を衝かれて」いるのは、「かき氷」なのか、作者自身なのか?「かき氷」に弱点があるという発想も楽しいが、「弱点を衝かれてゐたる」が、双方に掛かってユニークな一句となっている。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

台風

2015-10-21 | Weblog
渦巻ける火炎の土器や台風来     原田健治

縄文時代を代表する火炎土器は、燃え上がる炎を象った形が特徴的だ。さて、「渦巻ける」と形容された火炎土器であるが、「火炎」そのものが渦巻いているような躍動感が、下五の「台風来」に無理なくつながって、二物配合の楽しさが感じられる一句である。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

秋の海

2015-10-20 | Weblog
献杯のグラスに透ける秋の海     服部きみ子

宮城県在住の作者である。「献杯」の文字に思うのは、やはり東日本大震災による大津波で亡くなった多くの犠牲者である。震災から4年が過ぎた今、被災地に残る人々の心の傷痕は、形を変えながらも決して消えることはないのだろう。海に向かって献杯のグラスを合わせている作者である。もしかしたら一人かもしれないが、グラスに透ける「秋の海」は、どこまでも美しく輝いていたことだろう。作者の静かな眼差しに、深い悲しみといくらかの諦観が感じられる作品である。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

秋気

2015-10-19 | Weblog
金星の鳴り出しさうな秋気かな     相馬カツオ

地球を回る惑星は他にもたくさんあるが、「鳴り出しさうな」惑星といえば、金星しかなさそうだ。金鈴のような音を響かせるには、金星ほどの大きさと輝きは必要だ。「金星の鳴り出しさうな」というスケールの大きな比喩に、秋の澄み渡った空気感がよく伝わって来た。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

稲妻

2015-10-18 | Weblog
稲妻のさなか燭の炎静かなり    菅原鬨也

稲を良く実らせるので「稲妻」という説があるが、実際に、稲妻の電光により空中の窒素が化学反応を起こして有機化合物を生成するとしたら、根拠のない話でもなさそうだ。さて、稲妻のさなか、「燭の炎静かなり」と明らかに対照的なものの並列である。「さなか」は、一種の強調であると思われるが、「さなか」にあって最も「静か」だったのは、作者の胸中であったのだろう。「滝」10月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

秋灯

2015-10-17 | Weblog
折紙の影たたみこむ秋灯下     内原弘美

畳み込んだのが、折紙であれば、それは当たり前であるが、「折紙の影」とは、意外である。「折紙の影」は、やがて折紙の先がピンと伸びた美しい折鶴になるのだろうか。秋灯下らしい静謐な情感が感じられる作品である。「花鳥諷詠」331号より抄出。(Midori

裂膾

2015-10-13 | Weblog
子に銃を持たせぬ未来裂膾     加藤哲夫

10月12日の熊日新聞、「読者文芸欄」で、正木ゆう子選の一席の句。「裂膾」は、刃物を使わずに手で裂いた鰯の膾だという。「戦争」という言葉を使わずに、「銃を持たせぬ」と詠まれて、身に迫る。安保法案の可決がもたらす日本の未来を憂う社会詠として、作者と選者の思いが重なった一句である。(Midori)