十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

落葉

2017-01-30 | Weblog
落葉踏む一期一会の一つ傘     鈴木ひびき

何かのご縁で、一つの傘を共にしたのだ。貸したのか借りたのかは、不明だがどちらにしても、「一期一会」の傘であったことに変わりはない。「一期一会の一つ傘」の「一」のリズミカルなリフレイン。「落葉踏む」二人の間に、ほのぼのと通い合うものが、あったのではないだろうか。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

鹿威し

2017-01-29 | Weblog
所用にて失礼しますばつたんこ     加藤英子

和風建築の立派な御宅を訪問したところ、ふいに鹿脅しが「ばったんこ」と鳴ったのだ。突然の訪問を咎められたかのように感じたのか、「所用にて失礼します」と、咄嗟の弁である。俳諧味のあるユニークな設定が楽しい一句。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

萩刈る

2017-01-27 | Weblog
七七忌抱き寄せては萩を刈る     遠藤玲子

故人が丹精込めて育てた萩だったのだろう。しかし、その萩も七七忌を迎えるとともに枯れてしまったと思われる。「抱き寄せては」という動詞の重なり、そして「ては」というくり返しを示す助詞。丁寧に叙された措辞に、故人への思いの深さが偲ばれた。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2017-01-26 | Weblog
抱擁のあと凩に残されし     佐々木博子

「抱擁」という人と人との触合いは、心身ともに温もりを感じさせるものだが、抱擁のあと、凩の中に一人とり残されたという。一時の魂の充足から、突然、放り出された驚きが、やがて喪失感に変わる。「抱擁」から、「凩」へのドラマティックな展開に、さまざまな心模様が見て取れた。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

冬日

2017-01-24 | Weblog
冬の日のやはらかカメレオンの斜視     加藤信子

カメレオンというと、体色を変えることで有名だが、両眼はそれぞれ独立し、別別の物を見ることができるという。敵から身を守るための独自の防衛手段なのだろう。そんなカメレオンとは対照的に、「冬の日のやはらか」だというのである。カメレオンの特徴を捉えながら、この珍獣への眼差しはやさしい。「滝」1月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

2017-01-22 | Weblog
梟の森の秩序の中に入る     石母田星人

「梟の森」の「の」は、所有の「の」である。つまり梟が所有している森ということだ。その「秩序」の中に入るというのである。しかも、「秩序」を決して乱すことなく入って行ったと思われる別空間。「秩序」という、およそ俳句に馴染まないと思われる措辞による、シュールな構図が魅力的な作品ではないだろうか。「滝」1月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

凛凛

2017-01-20 | Weblog
聖樹点灯たちまち凛凛と世界     成田一子

「聖樹」から「世界」への大きな飛躍である。聖樹は、それだけ世界中で点灯される大いなるイベントであるということに他ならない。しかし、「聖樹点灯」によって、たちまち変わる「世界」というものは、根底に不確かな未来が存在しているからではないだろうか。富めるものもそうでないものも、聖樹の灯りは、等しく点るのだ。同時発表句に、「傷口のやうに目のある聖夜かな」など、決して媚びない句に個性が光る。(Midori)

木霊

2017-01-19 | Weblog
二つ三つ茸と化せる木霊かな
海坂を濡らして鯨来る頃か
テロリストめきたる一羽寒鴉
わが心映す北窓塞ぎけり


*「滝」1月号〈滝集〉成田一子選

【選評】「滝集」の選句が終わり、スーパーに買い物に行った。しめじの白い品種、ブナピーが売っている。「ふたつみつきのことかせる・・・、平川さんの句が、自然に口を付いて出てきた。「もののけ姫」に出て来たあの白い「木霊」の姿が、ブナピーになったように思えて一瞬たじろいた。この句は、「二つ三つ」というのがかわいらしい。また「やまびこ」の方の木霊が茸となったと解すとこれまた楽しい。(一子)

 野山に生えている茸を見ると、いつも何かの化身ではないかと想像してしまいます。茸の形状や質感が、そう思わせるのでしょう。「ブナピー」は、真っ白で可愛い茸です。何かの化身だととしたら、さて・・・? もうすぐ立春。「滝」主宰の一周忌です。鯨は先師のペンネームでもありました。(Midori)

野菊

2017-01-17 | Weblog
コップに野菊食卓に書くはがき     米原淑子

有り合わせのコップに、摘んできた野菊を挿して、食卓ではがきを書いている。「コップ」「野菊」「食卓」「はがき」、どれも身近なものばかりである。胴切れのリズムも、どこか朴訥としているが、飾らない風景が何とも新鮮。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

草虱

2017-01-16 | Weblog
草じらみ付けて野山を駆けし頃     牧野立身

幼い頃、野山で遊べば、いつの間にか衣服についた草虱に難儀したものである。作者もまた、そんな幼少期を送ったと思われる。「野山を駆けし頃」の「し」は過去回想である。かつて駆け回った野山も都市化の波に呑まれて、次第に失われつつあるのかもしれない。また、作者自身、野山を駆けるには難しい年齢となったことへの一抹の淋しさでもあるのだろう。郷愁と諦観の入り混じった一句ではないだろうか。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

小鳥来る

2017-01-14 | Weblog
晩節の時はゆるやか小鳥来る     古荘浩子

人生の晩節は誰にも訪れるものだが、どんな晩節を迎えるかは、人それぞれである。「晩節の時はゆるやか」とは、これまで生きた時間とは別の時間の流れを生きているということである。「ゆるやか」という平仮名表記が、穏やかな時間の流れを思わせ、今まで気づかなかった小さな自然の営みにも、心通わせている作者ではないだろうか。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

稲穂

2017-01-11 | Weblog
ふる里の風うつくしき稲穂かな     米澤貞子

稔りの秋を迎え、稲穂が黄金色に輝いている。熊本県下では、二度に渡る大地震のため、農村部にも大変な被害が出たと聞く。作者の住む県北では、大きな影響はなかったと思われるが、被災地を思えば、豊かな稔りに感慨は一入である。さて、一面の稲穂が風に靡くさまを、「ふる里の風うつくしき」と、「稲穂」から、「風」に視点を転じたことで詩情高い一句となった。ふる里の自然の美しさを改めて実感させられた作品である。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

台風

2017-01-10 | Weblog
台風のぐぐぐぐぐつと曲りけり     寺崎久美子

台風の進路を見ているかのような臨場感のある作品だが、実際には台風の進路を見ることはできない。気象庁発表の台風予想進路図を見ている作者なのだ。「ぐぐぐぐぐつと」と、「ぐ」が5つも重ねられると、台風の進路をいかにも念力で曲げたかのようである。台風が今にも来るかと構えている作者に、すれすれのところで逸れてくれた安堵の気持ちが、「曲りけり」なのだと思われた。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

初句会

2017-01-09 | Weblog
水前寺成趣園での探勝会に行ってきました。苑内の湖には錦鯉が悠然と泳ぎ、鴨たちも一斉に出迎えてくれました。白梅もすでに二、三輪というところです。東海道五十三次を模したとされて築山は、一面の枯芝で、見事な松の緑が色を添えていました。雨の吟行となりましたが、参加者56名の個性あふれる句に出会うことができました。(Midori)

   一炊の夢に羽ばたき浮寝鳥

深秋

2017-01-06 | Weblog
深秋の一川たそがれを流す     荒牧成子

秋の深まりを感じさせる川の流れがあるだけの景である。それを、破調のリズムに乗せて、「たそがれを流す」とは、何とも格好いい! 「たそがれ」を流すという詩的な表現が、少しも違和感なく伝わるのは、「深秋」という季語の選択によるものだろうか。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)