十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

烏瓜

2011-11-30 | Weblog
   人の世に弾痕森に烏瓜     岩岡中正

10月9日の火の国探勝会、熊本県山鹿市の肥後古代の森での作品。
古代浪漫を辿って行くと、何と西南の役の弾痕が残っている。
生々しい激戦の跡に、人が人を傷つけ合うことの理不尽を
感じずにはいられない。一方では、烏瓜が森を美しく彩っている。
弾痕と烏瓜、同じ形でありながら、大きな違いがあることを改めて知った。
「阿蘇」12月号〈近詠〉より抄出。(Midori)

牡蠣

2011-11-29 | Weblog
牡蠣の酢に噎せてうなじのうつくしき   鷹羽狩行

思いっきり噎せてしまうと大変なことになるが、
それ程の噎せ方でもなかったのだろう。
俯いたうなじの美しさに、つい見とれてしまった作者・・・
しかし、俳人の目は、見とれるだけでは終わらなかった。
角川書店編「必携季寄せ」より抄出。(Midori)

枯蓮

2011-11-28 | Weblog
枯蓮の水が映せる日まぶし    高浜年尾

すっかり蓮の葉も枯れて、茎ばかりになってしまった蓮の池。
それは、蕭条たる様であるに違いない。しかし、
水面を覆うものがなくなれば、水面に映るのは眩しい太陽。
枯蓮にも、こんな発見があることを知った。
「日まぶし」は「ひぃまぶし」と五音で読むのだろう。
「ホトトギス歳時記」より抄出。(Midori)

おでん

2011-11-27 | Weblog
おでんやを立ち出しより低唱す    高浜虚子

「おでん屋」を詠みながら、おでん屋を直接には詠んでいない。
おでん屋を立ち出てからのことだ。しかし、「低唱す」とあれば、
想像するのは容易い。心地よく酔えば、虚子とてテンションは上がる。
「低唱す」の抑制はいかにも虚子らしい。
『俳句の力高浜虚子』より抄出。(Midori)

師走

2011-11-26 | Weblog
人々や師走近しと手を擦りて     岸本尚毅

「人々や」の切れで始まるやや傍観的な句だが、
人々の中には、作者は入るのだろうか?
師走だからと言って、何をそんなに・・・とでも言いたそうだ。、
可笑しさの中にも感じるアイロニー。
第四句集「感謝」より抄出。(Midori)

焼芋

2011-11-25 | Weblog
焼芋を割れば奇岩の絶景あり   正木ゆう子

この絶景は、美味しい焼芋の絶対条件だ。
焼芋の繊維に沿って、形成する奇岩・・・
ほくほくの奇岩からは、湯気が立ち昇っている。
焼芋という庶民性と絶景という壮大さの距離感がまた楽しい。
「俳句」平成23年4月号より抄出。(Midori)

白鳥

2011-11-24 | Weblog
無を培ふ人 白鳥は愛を培ふ    磯貝碧蹄館

12句の中の冒頭の一句だが、分ち書きされているのはこの作品のみ。
分ち書きというより、一字分の空欄は「無」を意味しているのだろう。
毎年、大陸から飛来してくる白鳥は、自然を壊すこともなく、
その優美な姿を楽しませてくれるが、もしかしたら、
人間のもたらす環境汚染は白鳥を壊しはしないかと心配する。
「俳句」平成23年2月号〈作品12句〉より抄出。(Midori)

勤労感謝の日

2011-11-23 | Weblog
靴の石捨てて勤労感謝の日    川島 葵

今日は、国民の休日、勤労感謝の日。
勤労を尊び、国民が互いに感謝する日だ。
「靴の石を捨てる」という小さな行為、
自分の身の回りのものたちにも、感謝したい日。
「俳句」平成23年2月号〈作品10句〉より抄出。

2011-11-22 | Weblog
友人に孫さん王さん秋の茄子   坪内稔典

プロ野球日本シリーズ、日本一となったソフトバンクホークス。
オーナーの孫さん、そして前監督の王さん。
偶然だったとしても、「秋の茄子」が秋山監督にも思えてきた。
「俳句」11月号〈作品16句〉より抄出。(Midori)

秋日

2011-11-21 | Weblog
コインロッカー開けて別れや秋日さす    榮 猿丸

コインロッカーに荷物を預け、鍵をかければ、
身軽になった解放感と、これからはじまる旅への期待。
しかし、一時の楽しさも、やがて終わりの時間が来る。
ロッカーを開けて荷物を取出せば、感じるものはやはり寂寥感だ。
これが、旅との別れだったと気づかされた。
「俳句」11月号〈新鋭俳人20句競泳〉より抄出。(Midori)

立秋

2011-11-20 | Weblog
諸手突く机に秋の立ちにけり    石嶌 岳

机に両手を突いて立ち上がる。
日常、何気なく行っている動作の一つだが、
「秋の立ちにけり」と配されると、やはり微妙な年齢を感じてしまう。
作者自身と秋を主体とする「立ちにけり」に、巧みなレトリックも感じた。
「俳句」11月号〈作品12句〉より抄出。(Midori)

冬隣

2011-11-19 | Weblog
いたはりにふつとくるまる冬隣     松澤雅世

労りを受ける方も、いくらかの抵抗があるものだろう。
まだそれほどの年齢でもなければ尚更だ。
今、いたわりにふっとくるまる作者。
「冬隣」に人生の冬をどこかに感じているのかもしれない。
いたわりは、ひらがなのようにやさしい。
「俳句」11月号〈作品12句〉より抄出。(Midori)

葉鶏頭

2011-11-18 | Weblog
面倒な気分となりて葉鶏頭     岡田史乃

大切なことなのに、何だかどうでもいいようなことに思えたり、
真面目に考えていること自体が、ばかばかしくなってしまったり、
「面倒な気分」になることってよくあることだ。
そんな気分に視線を外した先に、葉鶏頭が・・・
葉鶏頭の存在は、作者にどう影響を与えるのだろう?
「俳句」11月号〈作品8句〉より抄出。(Midori)

2011-11-17 | Weblog
栗剥いて母の忍耐思ふなり    永方裕子

最近では、便利な栗剥き器もあるようだが、
栗を剥くのは、容易ではない。
7、8個も剥けばもう嫌になる。
栗を剥いて、初めて知るその大変さ。
秋の味覚、栗ご飯を味わうことができたのは、
「母の忍耐」の賜物だった。
「俳句」11月号〈作品16句〉より抄出。(Midori)

2011-11-16 | Weblog
ジョルジュルオーの女であろう夏の蝶    坪内稔典

ジョルジュ・ルオーは、19世紀のフランスの画家だが、
彼を取り巻く女性たちは、夏の蝶のように艶やかだったのだろうか・・
「ジョルジュルオー」という固有名詞と、「女」と「夏の蝶」が、
不可欠にマッチして、夏の蝶がルオーの描く女たちに見えてくる。
「俳句」11月号〈作品16句〉より抄出。(Midori