十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

2009-09-30 | Weblog
    秋の心にひろがつてゆく水輪   岩岡中正

「読書の秋」「芸術の秋」などと言われるように、秋はいろんなことを始
めるのに最適な季節だ。しかし反面、「物思う秋」は、どこかもの悲しさ
を感じる季節でもある。そんな「秋の心」の中に投じられたものは、一体
何なのだろうか・・・。心の中の水輪が幾重にも広がって、やがて一編の
詩が生まれたとしたら素敵だ。作者は、「阿蘇」主宰。「ホトトギス」同人。
「阿蘇」10月号より抄出。(Midori)


新米

2009-09-29 | Weblog
   新米を月のひかりで洗ひをり    山崎十生

新米は、今年米ともいい、新米が届いていただく有難さ、うれしさ
は格別だ。上掲句、月の光が射す中で新米を洗っているのかもしれ
ないが、まるで月の光で洗っているかのような錯覚を覚える。太陽の
光を浴びて育った新米が、今度は月の光で洗われる・・・。新米の神
々さが伝わってくる作品だ。「紫」主宰。「俳句」平成20年9月号より
抄出。(Midori) 

ちちろ虫

2009-09-28 | Weblog
    相席のひとりとひとりちちろ鳴く   田口令子

相席は、飲食店などで見知らぬ人と席を同じくすることだが、大抵相
手も一人の場合が多く、特別に気を使うこともない。「ひとりとひとり」は
決して二人になることはなく、それが「ひとりとひとり」の気楽さなのだ。
ところが、「二人」に共有するものがあった。それは、蟋蟀の鳴き声だ。
蟋蟀の鳴き声に気づいたとき、もしかしたら二人にかすかな連帯感が
生まれたかもしれない。「滝」第167号<滝集>より抄出。(Midori)


豊の秋

2009-09-27 | Weblog
    地球儀のどこかが飢ゑて豊の秋    白濱一羊

地球儀は、地軸が垂直方向に23.4度傾き、くるくると回すことができる
地球の模型だ。しかし、地球儀が、ヒトが住んでいる実際の模型だと
いうことを、あらためて実感したのは、この句に出合ってからだ。まさに
21世紀の地球を詠んだ句に、季語「豊の秋」は、地球上の子どもたち
の飢えを救えるのだろうか・・・。「樹氷」所属。第一句集「喝采」に所収。


銀河

2009-09-26 | Weblog
    ゆつたりと銀河へ梳きし束ね髪    高橋あや子

束ねた髪をほどくということは、それだけで心身ともに解放されている
状態だ。ところが銀河へ髪を梳くというのだから、尚更だ。スケールの
大きなロマン溢れる作品は、作者の幸福感にもつながるものだろう。
「髪を梳く」という、一つの動作をこれほどまでに美しく詠まれたことに
感動した。「にれ」同人。第一句集「束ね髪」に所収。(Midori)


朝顔

2009-09-25 | Weblog
    内弟子や雑巾の水朝顔に     三遊亭金遊

弟子入りを志願して、師匠から入門の許可を得た落語家の卵は、内
弟子となって、師匠宅に住み込み、師匠やその家族のために家事を
しながら芸を学ぶ。内弟子の朝は早い。バケツに水を汲んで廊下を
拭きあげ、何気なくその雑巾の水を朝顔に遣ったのは内弟子だが、
省略の効いた一句に仕立てたのは金遊師匠だ。「百鳥」所属。

二十日月

2009-09-24 | Weblog
    思ひ寝の夢見のころの二十日月    深谷雄大

思ひ寝は、恋しい人やものを思いながら寝ることをいい、「君をのみ思
ひ寝にねし夢なればわが心から見つるなりけり」の古今和歌集による。
月の句は、どこか王朝貴族的な雅な趣きがあるが、こんな二十日月も
また、艶やかなものだ。「雪華」主宰。「俳句」9月号より抄出。(Midori)


林檎

2009-09-23 | Weblog
    男うるさしおろしりんごの色変はる   津高里永子

おろし林檎の色が変わるのは、林檎の皮を剥いたときと同じで、空気
中の酸素によって酸化するからだが、色が変わるだけでなく味も落ち
てしまう。しかし、ここではそうではなかった。林檎の色が変わったのは、
男がうるさいからだった。おろし林檎の変色は早い。何ら因果関係がな
いにもかかわらず、まるで「男うるさし」に原因があるかのような飛躍が
おもしろかった。昭和31年生。「小熊座」所属。(Midori)

野分

2009-09-23 | Weblog
    旅人に快楽の野分風つづく    宇多喜代子

旅人は、人生の旅人、作者本人だろうか。快楽で過ごす人生は極稀
であるに違いないが、メディアを通してお見かけする宇多さんの笑顔
はそんなこと微塵も感じさせない。野分は強風に近いと思われるが、
それを「快楽の野分風つづく」とは、豪快だ。宇多氏にとって、野分は
心地よい微風ほどなのかもしれない。人生観を感じさせる作品だ。
「草樹」代表。「俳句」9月号より抄出。

八千草

2009-09-21 | Weblog
    八千草に柱の天地印し置く     対馬康子

八千草は、秋草の傍題で、名のあるなしを問わずに秋に花をつける
すべての草をいう。そこに、天地を記して真新しい柱を寝かせたのは、
作者ではなく、きっと大工さんだ。印をつけた鉛筆は耳に挟んでいるか
もしれない。秋草の緑を下敷きにして柱の白さが眩しく映る気持ちの
よい作品だ。天高き秋空の下、横たわる「柱の天地」はやがてまっす
ぐに建てられるのだ。「天為」編集長。「俳句」9月号より抄出。(Midori)

朝顔

2009-09-20 | Weblog
    朝顔の捜りあぐねし時空かな   出口善子

朝顔の花は、早朝に開き、午前中には萎んでしまう短日性の植物だ。
支柱につるを伸ばして空に向かって伸びてゆくさまは、瑞々しい生命
感を覚える。ところが、つるの先を見ていると何とも心もとない。それを
「捜りあぐねし時空かな」とは、混迷した世の中への自己投影かとも思
われ何だか象徴的だ。作者は「六曜」創刊代表。「俳句」9月号より抄出。


*「捜」には「さぐ」とルビがあります。

シャワー浴ぶ

2009-09-18 | Weblog
   過去からの逃亡者なりシャワー浴ぶ   芳賀翅子

ひとは、時間の流れのなかで、すでに過ぎ去ったものを、「過去」として
記憶している。一部は何かに記録していることもあるかもしれない。過
去は、現在につながり、そして未来へと続く、人生の一つの大きなスパ
ンでもあるのだ。「過去からの逃亡者」の身体には、まだあちこちに過
去の記憶が残っていることだろう。シャワーを浴びて、「過去」をすっか
り洗い流せば、そこからまた新しい過去がはじまりそうだ。
「滝」9月号<滝集>より抄出。(Midori)


夏野

2009-09-17 | Weblog
   風立ちぬ少女夏野に手を振れば     遠藤玲子

夏草の生い茂る野原は、眩しいほどの陽光が降りそそぐ。手入れの行
き届いた夏野であれば草がきれいに刈られているかもしれない。少女
と言っても、それほど幼い少女ではないと思う。まだあどけなさが残るが、
やがて思春期を迎える年頃なのだろう。きっと「夏野」がそう思わせるの
もしれない。「風立ちぬ」と「手を振れば」の倒置法によって、いっそう気
持ちの良い作品となっている。「滝」9月号<滝集>より抄出。(Midori)


月下美人

2009-09-16 | Weblog
   招かれて月下美人の香の中に    米澤惠美子

月下美人といっても、人ではなく夏の夜に純白の大輪の花を咲かせる
サボテン科の植物だ。香りのよい花を咲かせ4時間くらいでしぼんで
しまう。招待されたのは、月下美人の開花を見せるためなのか、それ
とも全く別の用件なのか・・・。省略の効いた作品は、まるで月下美人
に招かれたかのような陶酔感を覚えた。「滝」9月号<滝集>より抄出。