十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

障子貼る

2018-01-30 | Weblog
蟷螂の祈り解かざるまま枯るる
一望はひかりの海や神の旅
障子貼る私の中に棲む他人
手鏡に夜叉となりゆく木の葉髪


*「阿蘇」2月号、岩岡中正選

【選評】「障子貼る」という季題がもつ、ものごとの蔭(影)と陽(光)の二重の心理を、うまく言い止めた句である。光と影が交錯する障子の世界である。(中正) ☆個性燦燦より

この句は、本部例会で、「貼る」という字に誤字があったにも拘わらず主宰選を頂いた句。(互選はゼロ)何とも気恥ずかしい思いをしたのを思い出すが、深い選評に重ね重ね感謝。(Midori) 
 

氷面鏡

2018-01-28 | Weblog
「氷」の傍題、「氷面鏡」は、「ひもかがみ」と読むのだと知って驚いた。「紐鏡」から来ているというが、和語の持つ美しさに惹かれて、大好きな季語の一つになった。(Midori)

    風音を蔵してゐたる氷面鏡 
   *1月南関句会、指導者特選

寒牡丹

2018-01-26 | Weblog


   

福岡市筥崎宮近くの寒牡丹園。流石人工的に咲かせただけあって、それはそれは豪華!藁苞も敷藁も真新しく、まるで寒牡丹の展示会場のようだ。「寒牡丹」を詠むとなると、寒さに震える寒牡丹を詠むのか、人工的に咲かせた豪華さを詠むのか難しいが、美しさを詠まなければ、寒牡丹に申し訳ないような・・・。(Midori)

うすうすと百重のひかり寒牡丹

朴落葉

2018-01-24 | Weblog
山風の落ち合ふところ朴落葉     渡辺登美子

「落ち合ふ」という「山風」の擬人化によって、一句に物語性が生まれた。「朴落葉」の存在感が際立つ一句であり、どこかアニミズムも感じられた。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori)


ハロウィン

2018-01-22 | Weblog
ハロウィンの魔法使ひと乗り合はす     加藤信

10月に入ったと思ったら、街はハロウィン一色となる。もともと西洋の行事でありながら、ハロウィンを仮装する楽しみに変えてしまう若者のエネルギーは素晴らしい。さて、掲句。乗り合わせたのが、「ハロウィンの魔法使ひ」とは、いかにもリアル。「ハロウィン」が立派な季語として認められるべき佳句である。「滝」1月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

寒の水

2018-01-21 | Weblog
寒の水棒飲みにして稿を継ぐ     酒井恍山

コップに注がれた水では、「棒飲み」はできない。きっとペットボトルの水を一気に飲み干しているのだと思われる。その水が「寒の水」なのだ。稿を継ぐ作者のストイックな日常の一場面を見たような気がした。「滝」1月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

白鳥

2018-01-18 | Weblog
薄墨のにじみ白鳥まで及ぶ     石母田星人

黒には、五つの彩りがあると言われ、「薄墨」は水のように薄い黒である。その「にじみ」であるから色はさらに薄い。かつては悲しみの涙が硯に落ちて薄くなったとも言われるが、そのにじみが、白鳥まで及んだというのである。真白であるはずの白鳥にわずかな翳りを見たのか、物語性も感じられる。「薄墨」から「白鳥」への飛躍は、作者の感性の高さに他ならない。梶よう子の小説、『墨の香』を読んでいたところに、この句に出会ったためか、モノクロームの世界がとても美しく思えた。「滝」1月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

雪原

2018-01-17 | Weblog
雪原を目指す切符よ裏は黒      成田一子

「切符」は、目的の駅まで行くことを証した乗車券。「切符」そのものに何ら詩情は感じられないが、「雪原を目指す切符」とは、何とロマンティック!北国に向かってひた走る列車が見えるようだ。しかし、下五の展開には、意表を突かれる。切符が切られなくなって、磁気によるデータが書き込まれている切符の「裏は黒」。まさしくロマンと現実が表裏一体の一句。「滝」1月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

笹子鳴く

2018-01-16 | Weblog
剃刀のやうな残月笹子鳴く
月光に透きとほりゆく冬菜かな
たましひの凍れる暁の余震
石蕗咲いて無明の吾を照らしをり


「滝」1月号〈滝集〉成田一子選

主宰による新年の巻頭言、「虚実淙淙」には、「表現者」についての言及がある。様々な自然の営みにどんな言葉を与えることができるのか?その言葉をわずかでも見出すことができた時、私は、小さな小さな「表現者」になり得たと思えるのかもしれない。(Midori)

秋遍路

2018-01-14 | Weblog
うつつ世の日差しをいそぐ秋遍路     堀 伸子

「秋遍路」というと、この世の姿でありながら、どこか彼の世との間を辿っているような隔世の感があるが、秋遍路とて、「うつつの日差し」は短い。「うつつの日差しをいそぐ」という現実が、「秋遍路」と対照的に配されて詩情高い一句である。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

冬近し

2018-01-12 | Weblog
頂に空の淋しさ冬近し    山下しげ人

「頂」に「空の淋しさ」があるという意外性。そんな意外性に一瞬、読者を立ち止まらせる力があるのも確か。下五の「冬近し」によって結局納得させられる一句。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

鴨来る

2018-01-10 | Weblog
鴨来ると心に風の立つ日かな     前田良子

「鴨来ると」という散文的な用法に、野見山朱鳥の句、「雪ふると百済恋しき観世音 」を思い出す。「と」という助詞によって、中七下五へと繋ぎながらも、その関連性は希薄である。しかし詩情は極めて高い。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

初句会

2018-01-08 | Weblog


初句会は、「阿蘇」の探勝会が開催された昨日。吟行地は、熊本県北の菊池神社一帯で、自宅から車で約50分のところ。冬日は薄い雲に隠れていたものの風のない気持ちの良い天気。境内は成人の日を迎えたと思われる若者たちで賑わっていた。さて句会は45名の参加。主宰による特選句の鑑賞を聞けば、素晴らしい句の数々に改めて気づかされるのは毎回のこと。「待春」の句もあり、年が明ければ、もう春を待つ思いはあっていいのだと再確認した初句会だった。(Midori)

   絵馬堂に百の願ひや梅ふふむ

石の臼

2018-01-06 | Weblog
秋冷や三和土に座る石の臼     井芹眞一郎

この句の一番のポイントは、「座る」という言葉の斡旋である。「座る」という擬人化は、案外出て来そうで出て来ない言葉ではないだろうか。昔ながらの生活に欠かせない「三和土」という場所と、「石の臼」という生活道具。この二つが、「座る」という言葉でその存在価値を一層高めているのである。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

第63回松島芭蕉祭

2018-01-04 | Weblog
夜の紅葉かうかうと死者還り来よ     岩岡中正

宮城県松島芭蕉祭前夜、ライトアップされた円通寺で詠まれた一句。数年前に行った夜の円通寺も紅葉がとても美しかったことを思い出す。東日本大震災からすでに6年。「かうかうと」照らされた「夜の紅葉」が、まるで死者の魂が還るための灯明のようである。今月号、主宰による「近詠」には、芭蕉祭での次の句が紹介されている。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

  大海にセシウム洩るる大暑かな    赤間 学   *応募句
  時雨忌や海へ流るる大読経       梅森 翔   *当日句
  龍の玉雄島はしるきたつき跡      鈴木幸子    〃


                              「滝」の会員のみ抜粋