十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

田植

2015-08-31 | Weblog
父祖の地や田植濁りの水匂ふ     西村孝子

「父祖の地や」の大きな切れではじまる一句である。若者が都会に出てしまう、あるいは地元にのこる若者が居ても後継者がいないことなど、よく話題にのぼる昨今、父祖の地に広がる「田植濁りの水」の匂いは、格別の感慨を覚えるものである。田植からやがて半年・・・。稲穂は花をつけ始めたが、やがて父祖の地に再びの稔りをもたらすことだろう。「田植濁りの水」という確かな写生が見事な一句。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

鍬形

2015-08-30 | Weblog
母は子を子は鍬形をいつくしむ     岩岡中正

「鍬形」というと、郷愁とともに、何かしら憧れの響きを持っているものだが、男性であれば尚更かもしれない。きっと滅多に手に入らない昆虫でもあったし、鍬形を所有しているという優越感のようなものがそう感じさせるのかもしれない。さて、「母は子を」「子は鍬形を」と、「いつくしむ」へ重層的に掛かるフレーズが特徴的だが、母は、子のいつくしむ鍬形をまたいつくしむのである。母と子の小さな幸福感に満ちた一句である。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

蜘蛛

2015-08-29 | Weblog
ひとすぢの月光を吐く女郎蜘蛛    
短夜のまぶたに聴ける波の音       
楚々としろ凛とむらさき肥後菖蒲     
水影の古代紫肥後菖蒲        みどり 


*「阿蘇」9月号、岩岡中正主宰選
 
【選評】 
 女郎蜘蛛が吐くひとすぢの糸の輝きも月下の女郎蜘蛛自体も、いかにも幻想的。もちろん女郎蜘蛛が吐くのは糸だが、それを「月光を吐く」と表現したところがポイント。この感覚が鋭く、詩的跳躍がある。

 猛暑が続いた今年の夏もたくさんの吟行地を訪れました。八代市の「松浜軒」の花菖蒲、有明海、山鹿市の「古代の森」公園などなど。そして日々の暮らしの中で出会う小さな生き物は、美しい神秘の世界へと導いてくれました。(Midori
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芭蕉

2015-08-28 | Weblog
音たてて雨が喜ぶ芭蕉かな    今村征一

芭蕉林を歩いていた作者に、ぱらぱらという突然の大きな音。思いがけず雨が降り出し、芭蕉の葉が雨粒を受けて、音を立てたのである。その音は、まるで雨が喜んでいるかのように感じた作者であるが、喜んだのは、雨だけでなく、瑞々しさを取り戻した芭蕉であり、作者自身でもあったことだろう。五感に心地よく響く作品である。俳誌「阿蘇」合同句集より抄出。(Midori)

秋風

2015-08-27 | Weblog
秋風やさやかに見えぬものよぎる     今中榮泉

はっきりとは見えないが、何かが確かに過ったというのだ。「秋風」であるから、心弾ませるようなものではなくて、決して止めることのできない時間だったり無常観だったり・・・。「さやかに見えるもの」に、いくらかの焦燥感を覚えるのも、秋ならではの感傷だろうか。俳誌「阿蘇」合同句集(創刊1000号記念)より抄出。(Midori)

秋声

2015-08-26 | Weblog
留まれば汀女句碑より秋の声     稲田夏子

江津湖は豊富な湧水と緑豊かなパワースポットとして、熊本市民の憩いの場所として親しまれているが、ここには、中村汀女の「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」の句碑が建てられている。作者もまた、句碑に立ち止まり、在りし日の汀女を偲んだと思われる。「留まれば・・・」と、汀女へのオマージュにはじまる一句であるが、「秋の声」は確かに句碑よりが聞こえたのである。俳誌「阿蘇」合同句集(創刊1000号記念)より抄出。(Midori)

糸蜻蛉

2015-08-25 | Weblog
糸とんぼ交むあはれを見てしまふ    安形静男

水辺の葉先などに留まっている糸蜻蛉を見ると、辺り一面、神秘的な美しさに満ちているように思えるが、糸蜻蛉とて、子孫を残すという生殖本能は、他の生き物と同じである。「あはれを見てしまふ」という作者の率直な思いは、「交むあわれ」だけでなく、生きてゆくためには、数多くの「あはれ」があることを提示している作品ではないだろうか。俳誌「阿蘇」合同句集(創刊1000号記念)より抄出。(Midori)

秋遍路

2015-08-24 | Weblog
みなうしろ姿ばかりの秋遍路     野見山朱鳥

「遍路」は、本来春の季語だが、ここでは「秋遍路」。八十八ヶ所の札所を巡る先には、肌寒さも感じる時もあることだろう。「うしろ姿」が負うものはそれぞれ異なっているかもしれないが、誰もが何かを背負って生きているものかもしれない。前を行く「うしろ姿」に、わが「うしろ姿」を見ているのだろうか。『野見山朱鳥 愁絶の火』より抄出。(Midori) 

銀河

2015-08-23 | Weblog
わが終り銀河の中に身を投げん     高浜虚子

昭和24年10月20日、高知にて虚子75歳の作品である。虚子にとって、75歳は、「わが終り」を十分に意識する年齢でもあったかもしれないが、現実のものとして受け入れるにはまだまだ壮健だったと思われる。だからこそ、このような詩的なフレーズが立ち上がって来たのではないだろうか。虚子が認識している「銀河」はもはや天体ではなく、まさしく「銀河」という大河なのである。晩年を迎えた虚子の壮大なロマンが伺える。(Midori)

夏休

2015-08-21 | Weblog
水に浮く雲を散らして夏休      鎌形清司

それほど深くはない上流の川や湧水池だろうか。日頃静かな水辺も、夏休みとなると、大人に連れられた子どもたちの声で賑わうのだろう。「水に浮く雲を散らして」と、水遊びの実際の景でありながら、いかにも空の雲を払うかのような一句に、「夏休」の昂揚感が感じられた。「滝」8月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

星涼し

2015-08-19 | Weblog
雨水を使ふ生活や星涼し     高谷南海絵

水は循環するとは言っても、貴重な資源である。雨水は植木鉢の花に遣ったり、その利用は様々だが、実際に雨水を貯めて使っている人はどれ程いるだろうか。しかし、ここに「雨水を使ふ」ことを日常としている人がいる。俳句はその報告ではないが、「星涼し」に、作者の静かで心豊かな暮らしぶりが想像されて、高い詩情を感じるのである。「滝」8月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

冷し酒

2015-08-18 | Weblog
無防備な鎖骨のほくろ冷し酒      及川源作

「鎖骨のほくろ」というと、勿論、女性のもの。これだけでも十分魅惑的であるのに、「無防備な」とは何とも心憎い。無防備なのは、本人なのか鎖骨のほくろなのか?案外、意識の中にあったりするのが女性のしたたかなところ・・。最近では、女性に人気の冷酒もさまざま。冷酒派か、さてはビール派か?黒子の女性は、やっぱり冷酒が似合いそう。「滝」8月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2015-08-17 | Weblog
虹の根の森を雲水こころざす    菅原鬨也

「虹の根の森」とは、何と美しく幻想的な森だろうか。そこには七色の光が燦々と降りそそいでいるに違いない。しかし、決して辿りつくことのできない森なのだ。「雲水」は、「行雲流水」の略で、修行僧のことだが、彼らが志すところがそんな森だというのだ。「雲水」という呼称が生み出した詩的でロマン溢れる作品である。「滝」8月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

2015-08-16 | Weblog
烏賊釣火水平線に点りをり
空蝉や裾に金糸の御所車
空爆のありたるごとく羽抜鳥
八月の空に飛行機雲にじむ     みどり


*「滝」8月号〈滝集〉菅原鬨也主宰選

 終戦70年を迎えた昨日の熊日新聞の社説には、「平和で豊かな日本の原点は、敗戦の焦土にある」とありました。今月号、偶然にも「空」という文字が3句に入っています。ふるさとの美しい空を戦火で曇らせたくはありません。(Midori)

2015-08-14 | Weblog
渡る人なければ虹の消えにけり    西 美愛子

虚子と愛子の相聞の句を思い出す。「虹」が出れば、「渡る」という感覚は、誰でもあるかもしれないが、その感覚を「渡る人なければ」と素直に詠まれて意外性がある。どこか寂しさも感じられるが、ロマンティックな「虹」の一句である。「阿蘇」創刊1000号記念募集句、岩岡中正選入選句。(Midori)