十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

春の泉

2010-04-30 | Weblog
     まだ誰も知らざる春の泉あり   岩岡中正

この泉は、湧き出したばかりの新しい春の泉なのだろう。まだ誰も知らない泉は、誰にも知られたくない泉でもあるのかもしれない。俳誌「阿蘇」5月号の主宰の「俳句管見」の中の文末に、「自分のささやかな知識を超えて謙虚に、自然や他者、そして自分の内なる感動に耳を傾けてつくる柔軟で創造的な知性が大事なのである」とある。春の泉に、そんな未知なる「知性」のきらめきを見たような気がした。「阿蘇」5月号より抄出。(Midori)

昭和の日

2010-04-29 | Weblog
耐へ難きを耐へてぼろぼろ昭和の日   村田松雲

昭和の日は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、
国の将来に思いをいたす」ことを趣旨とした、もと昭和天皇の誕生日だ。
昭和から平成の時代になって、22年目、平和の尊さを再確認する日
でもあるのかもしれない。
作者は「古志」所属。2009年度版「巻頭句一覧」より抄出。(Midori)


春宵

2010-04-28 | Weblog
  春宵一刻博多の太か月が出た   川崎展宏

九州、博多への挨拶句だろうか。
漢詩、「春宵一刻直千金、花有香月有陰」の一節と方言との
巧みな取り合わせだ。「博多の太か月」の「の」の限定によって、
博多で見る月は、どこで見る月よりも太か気がした。
「平成秀句選集」より抄出。(Midori)


畦火

2010-04-27 | Weblog
    弟を恋に走らす畦火かな   大石悦子

弟が恋に走ったのは、畦火とは無関係であるはずだ。
共通してあるとしたら、ともに「走る」ということだろうか。
弟に燻っている恋の炎に、畦火が燃え移ったとも考えにくい。
弟を恋に走らせたものは、実は、何でもよかったのではないか。
「弟の恋」と「畦火」の意外性・・・、恋はもともと不可解なものたから。
「俳句」5月号より抄出。(Midori)

紋白蝶

2010-04-26 | Weblog
   紋白蝶まひるの鏡衰えし   友岡子郷

朝は、誰もが一度は覗くであろうと思われる鏡、しかし、
「まひるの鏡」となるとどうだろうか?紋白蝶がひらひらと
舞っている眩いばかりの真昼、衰えているのは鏡ではなくて、
案外、作者なのかもしれない。「まひるの鏡」の意外性に惹かれた。
2010年版「角川俳句年鑑」より抄出。(Midori)


落花

2010-04-25 | Weblog
    落花また落花金沢日和かな    今村征一

昨日のBS衛星放送、「ニッポン全国俳句日和」で大賞に輝いた作品だ。
「地名をよみこんだ句」の兼題で、池田澄子の推薦句となり、激戦を勝ち抜い
てきた一句だ。池田氏の「落花だけで金沢日和を詠んだ見事な作品」の言葉
どおり、加賀100万石の桜吹雪が見えるようだ。作者は金沢市在住。(Midori)

殿様蛙

2010-04-24 | Weblog
       農夫来る殿様蛙威を正し   坊城俊樹

「殿様蛙」と言っても、そこらにいる最も普通のカエルだ。しかし、カエルが
体の向きを変える時など、いかにも裃をつけた武士のように見えるから不
思議だ。カエルとはおよそ不釣合な「威を正し」ではあるが、殿様蛙ならで
はの発想が面白かった。「ホトトギス」1259号より抄出。(Midori)


鶯餅

2010-04-23 | Weblog
      中指はながし鶯餅つまむ    本井 英

手の指の中で一番長いのは中指だ。しかし、どんなに長くても「つまむ」には、一番短い親指との共同作業が必要だ。少しきな粉をふるい落としながら、鶯餅を指につまむ本井氏のしなやかな指先が見えるようだ。平成22年「俳句」2月号より抄出。(Midori)

独活

2010-04-22 | Weblog
独活噛んでさめざめと湧く帰心かな   大石悦子

この独活は野山で採れたばかりのものでなく、
店頭に並んでいた独活なのだろう。「さめざめ」は、
「さめざめと泣く」などに見られるオノマトペだが
ここでは、「さめざめと湧く」だ。万感の思いが伝わってきた。
2009年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)


春の雲

2010-04-21 | Weblog
     水喜々と馬穴に春の雲飼はれ   橘川まもる

馬穴には、たっぷりの水が入っていて、春の陽光にきらきらと輝いている。水面には、春の雲が映っているのだ。「水喜々と」「飼はれ」の擬人化の遊び心に深い共感を覚えた。これからどんな「春の雲」が育つのだろうか?作者は、「雪天」所属。2009年度「全国俳誌巻頭句一覧」より抄出。(Midori)

春炬燵

2010-04-20 | Weblog
自堕落の果ての深爪春炬燵   いのうえかつこ

取り残されてしまったのではないかという不安と焦り、
つい深爪してしまうのも、そんな繊細な心の表出だ。
そして、焦りが諦めに変わるとしたら・・・
「春炬燵」の心地よさに逃げてはいけない。
2010年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

チューリップ

2010-04-19 | Weblog
      チューリップわたしが八十なんて嘘    木田千女

あらためて自分の年齢を考えると、「ウソー」と思いたいけれど、毎年確実に増えつづける年齢は、誤魔化しようもない。しかし、今は「八十」と言われても、「シンジラレナイ」と思えるほど、若々しい人ばかりだ。「わたしが八十なんて嘘」と言いながら、チューリップのように可愛らしく、誰からも愛される女性なのだ。年齢とチューリップのギャップが楽しい。作者は「天塚」主宰。「狩」同人。(Midori)

春の泥

2010-04-18 | Weblog
   飛び越えて待つは兄らし春の泥   中森真木

「兄」と呼ぶには、まだ可哀そうなくらい幼い兄なのだろう。
しかし、春泥を「飛び越え」たのは、兄としての自負、そして
「待つ」のは、飛び越せたことへの安堵と弟への無言の励ましだ。
二人は、何事もなかったようにどこかへ行ってしまったに違いない。
作者は、「藍」所属。2009年度版「巻頭句一覧」より抄出。(Midori)


百千鳥

2010-04-17 | Weblog
    百千鳥雌蘂雄蘂を囃すなり   飯田龍太

何かと不景気な世の中だけど、春が来ると、疑うこともなく賑やかに鳴き交わしている
鳥たちだ。雌蘂雄蘂を囃すなり・・・こんな風に感じることができる心の余裕を、どこかに
置き忘れてしまっているような気がした。角川書店発行「必携季寄せ」より抄出。(Midori)


2010-04-16 | Weblog
    脚垂れて蜂は山門出て行けり   金箱戈止夫

蜂は足長蜂だろうか・・・。
まるで、山門を出て行く僧兵のように思えるのは、
「出て行けり」の物々しいまでの仕掛けにあるのかもしれない。
可笑しさの中にも、「脚垂れて」に一抹の敗北感を覚えた。
作者は、「壺」主宰。平成20年「俳句手帖」より抄出。(Midori)