十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

氷柱

2017-03-31 | Weblog
月の夜の氷柱の太りゆく匂ひ 
龍の玉原初のひかり蔵しけり
ふる里の山河耀ふ手毬唄
鍵盤に拾ふ音符や日脚伸ぶ

*「阿蘇」4月号、岩岡中正選

 昔は、軒先に大小さまざまな氷柱が下がっていたものです。住環境の変化や地球温暖化の所為でしょうか、今ではほとんど見ることはありませ。過去の氷柱の記憶を辿れば、感覚的な映像が広がりました。(Midori)

山火

2017-03-30 | Weblog


阿蘇恒例の野焼きが今年も行われました。すっかり末黒野となった大地には、もう黄菫が咲いている頃でしょうか。。(Midori)

千切れたる山火は雲に移りをり  ☆2014年作

春場所

2017-03-27 | Weblog
新横綱、稀勢の里。13日目のアクシデントに誰もが、休場を予想し、断念した二回目の優勝。そんな中、出場の報がありました。土俵に立つ横綱の姿を見ることができる嬉しさと、負傷が悪化するのではないかという不安。しかし、まさかの大逆転の優勝に感動の涙、涙でした。悲惨な事件や政界の不祥事が連日報道される中、相撲ファンだけでなく、国中が大きな感動に湧いた一日だったのではないでしょうか。「見えない力が働いた」と、横綱は語っていましたが、そんな力は誰にでも働くものではありません。(Midori)

    三月や勝ちに変へたる土俵際

不知火

2017-03-26 | Weblog
 「人を想ふ心は、その人を傷つけることは致しません。まことに人を想ふ心は、おのれの中にある、どのやうな欲念も知っている筈です。まことに人を想うならば、おのれの中にある、その欲念を焼く為に、みずからの胸の劫火を焚き、その火の苦しみに耐えなければなりません。」
 これは、石牟礼道子さんが、18歳のころに書いたと言われる未発表小説、『不知火』の中の一節です。昨年1月、熊日新聞に全文が掲載されました。一人の少年に恋をする少女の透明な心情が根底にありましたが、とても幻想的で、詩情高い短編でした。
 新聞の切り抜きを取っておけば良かったと残念ですが、一人の少女のストイックな心情に、心打たれました。後に、『苦界浄土』を書くのですが、彼女の心の原点はここにあるような気がします。(Midori)

    まなうらにのこるほてりや山火果つ

亀鳴く

2017-03-24 | Weblog
涅槃図と地獄絵図の御開帳があるというので、熊本県北の安産の神様として親しまれている相良観音寺まで行ってきました。「御開帳」とは春の季語にもなっていて、秘仏の御開帳かと思っていましたが、秘宝の御開帳もあるのだと知りました。本殿には、金箔の千手観音が祀られ、その前で護摩木がつぎつぎと焚かれました。やっと御開帳です。ご住職の丁寧な絵解きに、仏教界の不思議を思ったことでした。合掌。(Midori)

    亀鳴くや罪状厚き閻魔帳

水仙

2017-03-22 | Weblog
手のひらに息づくひかり竜の玉
水仙の一輪のごとのしじまかな
セーターに日向の匂ひありにけり
寒波来るペン画のやうな街角に


*「滝」3月号〈滝集〉、成田一子選

偶然ではありますが、内容的には一句一章の句となりました。季語そのものを詠む一句一章は、簡単なようで難しく、時に季語の説明、あるいは類想となりがちです。対象とじっくり向き合うことの大切さが、最近ようやく分かって来ました。これからです☆(Midori)

2017-03-21 | Weblog
よくぞまあ三百号や「滝」の春      梅森 翔

「滝」創刊以来、在籍している作者である。「よくぞまあ」という心からの詠嘆は、これまでの「滝」発行の道のりをよく知るものであり、発行に深く関わって来た作者でしか発せない言葉ではないだろうか。勿論、「よくどまあ」は、自分自身への慰労でもあるのだ。「滝」の春に、創刊主宰の急逝をも乗り越えたという大きな感慨も感じられる一句である。「滝」3月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

白鳥

2017-03-20 | Weblog
伊豆沼の水面の舞台大白鳥     八島 敏

「伊豆沼」とは、名前からして、てっきり静岡県にある沼かと思ったが、宮城県にある、国内最大級の渡り鳥の越冬地であった。さて、待望の大白鳥が今年もやって来たのだ。「水面の舞台」というスケールの大きな比喩である。大白鳥ならではの、自然の舞台装置に納得である。「滝」3月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

ストーブ列車

2017-03-19 | Weblog
津軽野のストーブ列車するめ酒      齋藤善則

「ストーブ列車」とは、ダルマストーブが、据えてある列車だろうか。津軽ならではの観光列車と思われるが、乗客の一人一人の顔が見渡せそうなローカルさは、今では失われてしまった温もりだ。ストーブ列車の旅ならではの「するめ酒」の味わいもまた格別だ。「滝」3月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

枯原

2017-03-17 | Weblog
枯原や鳥ともなれず風を見て     赤間 学

杉田久女は、自分の境遇を、「ノラともなれず」と嘆いているが、ここでは「鳥にもなれず」である。「飛びたい」という人類の願望は、やがて飛行機の発明にもつながるのだが、やはり翼を得たいという思いは、いつの世も同じ。しかし、風を見る作者の眼差しは、誰よりも強そうだ。「滝」3月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

雑煮

2017-03-16 | Weblog
それぞれの雑煮に帰るジャンクション    佐々木博子

複数の高速道路が連接するジャンクション。どの高速道に入るかで、行き先は東西南北大きく分かれる。さて正月の帰省である。それぞれの向かう先は違っても、それぞれに待っているのは、母の雑煮である。「雑煮に帰る」という飛躍に、故郷の温もりや帰省の喜びが感じられ、都会的な景に、日本的な「雑煮」の取り合わせも見事な一句である。「滝」3月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

寒明

2017-03-14 | Weblog
寒明けの山河よいしよと立ち上がる     鈴木要一

「よいしょ」とは、別の動作に入る時に、つい口に出てしまう言葉である。言葉を発することができる人間に限るものと思っていたが、ここでは「山河」である。寒明けを迎えた山河が、重たい腰を上げるかのように、「よいしよ」と立ち上がるさまは、作者の心情とも重なっているようで、どこかユーモラスである。「滝」3月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

春立つ日

2017-03-13 | Weblog
撫で摩り呼びかけ春立つ日の朝は     成田一子

父との永遠の別れとなった、立春の朝である。まだ治療半ばのことであり、容態の急変など、思いもよらぬことだったに違いない。「撫で摩り呼びかけ」の畳みかけるように置かれた動詞の連なりは、まるでこの世に引き留めようとするかのようだ。「春立つ日の朝は」の「朝は」の限定は、この日だけは、というまっすぐな願いであり、祈りである。「滝」3月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

古暦

2017-03-10 | Weblog
一年を外せば重き古暦     白木智子

ひと月が終われば、次々と上に捲って行く暦である。いよいよ大晦日。壁から外した暦を、「一年を外せば」と詩情高く転換し、手に感じた物理的な重さを、一年の歳月への心情的な重さへと昇華させた一句である。古暦を外した瞬間の重さだけを詠みながら、過ぎ去った歳月へのしみじみとした愛情や充足感が感じられる作品である。「阿蘇」3月号より抄出。(Midori)

寒鯉

2017-03-08 | Weblog
寒鯉の動かぬ力ありにけり     渡邊佳代子

冬のなって、水温が下がると、鯉はほとんど動かず、その黒々とした姿はいかにも「寒鯉」といった風情である。そんな様を、「動かぬ力ありにけり」と詠んだ作者だ。「動かぬ」ことに「力」を見出したことで、寒鯉の大きさや存在感を伝えて見事である。「阿蘇」3月号より抄出。(Midori)