十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

落花

2017-06-30 | Weblog
飛花落花地震に歪みたる時空
残像のうす墨色となる落花
てふれふの寂光曳ける虚子忌かな
花散るやうすくれなゐの風の水脈


*「阿蘇」7月号、岩岡中正選

【選評】 ひとつの幻想。幻惑の句として面白い。飛花落花を浴びていると、まるで昨年の地震のように時空が歪む錯覚に陥るという、鋭い感覚の句である。(中正)

今年の桜の開花は、例年に比べてとても遅かったですが、時間を取り戻さんばかりに万朶の花を咲かせ、見事に散って行きました。重力波は、時空をも歪めると言います。昨年4月の熊本地震が、ふと蘇りました。(Midori)

薫風

2017-06-28 | Weblog
風薫る天に保存の鉱山櫓     大川内みのる

「明治日本の産業革命遺産」の一つに、荒尾市の三井炭鉱万田坑がある。18.8メートルの高さを誇る櫓は、明治、大正、昭和と、日本の近代化を牽引してきた日本の産業革命のシンボルである。日本の遺産として保存が決定したのは、折しも「風薫る」季節だったのだろう。「保存」という事象を、「天に保存」と、詠まれて詩情高い。荒尾市在住の作者ならではの一句に、深い感銘を覚えた。このたび「阿蘇」叢書より上梓された、句集『山火』より抄出。(Midori)

2017-06-27 | Weblog
やっと、二誌への投句を終えた。一誌は、遠隔地なので、最初から自選であるが、地元結社「阿蘇」へは、主宰選に入選した句を主に投句している。しかし入選したからと言って、自分的に好きな句であるかというと、そうでもなかったりする。今月は、自分の好きな句を投句してみた。こんな楽しみ方も「有り」なのかと思うこの頃なのだ。(Midori)

    夜夜鳴いて田の神を呼ぶ蟇

梅雨一日

2017-06-23 | Weblog
ミニトマトと苦瓜に黄色の花が咲いています。自家受粉しないとしたら、受粉してあげないといけないのかなと思っていると、蝶がやって来ていました。これで受粉は完了でしょう。梅雨晴間の一日でした。 (Midori)

   渾身の浮力ためゐる梅雨の蝶

2017-06-21 | Weblog


「蟹」が兼題の句会でした。我が家の前の水路には、地下水が流れているので、とっても綺麗!ときどき沢蟹も庭先まで上がってきます。(Midori)

    沢蟹の一歩も引かぬ構へかな

女郎蜘蛛

2017-06-20 | Weblog
朝の日や飢ゑうつくしき女郎蜘蛛      菅原鬨也

昨年亡くなった俳誌「滝」の前主宰の作品です。俳句は詩であるとともに、物事の本質に迫らなければならないということを示唆してくれる、私にとって大切な一句です。「朝の日」に目覚めた時の空腹感は、健やかな命の輝きです。それは、まさしく女郎蜘蛛とて同じ。「飢ゑうつくしき」と言い止めた師の感性に、今更ながら驚かされます。句集『潮騒』より抄出。(Midori)

2017-06-18 | Weblog
毎月、第二土曜日は、「阿蘇」の本部例会。各人で五句ずつ清記し、順に回しながらの選句である。主宰からは、「選が変わったとよく言われますが、選も進化しています」とのお言葉。確かに選が同じでは、俳句の方向性が固定化してしまう。自分の好きな詩の世界ばかり詠んでいたら、いつの間にかとり残されてしまうかも(笑)。
今年は我が家の庭に蛍が一匹来ていました。誰だったのか知らん。(Midori)

   蛍火やあの世この世と櫂の音

2017-06-16 | Weblog
平飼ひのにはとり春を争へり     加藤信子

「平飼ひ」とは、鶏小屋ではなく、放し飼いの鶏だろうか。自然な空間で飼われる鶏は、鶏の生来の気性さながら、活発な動きをしていると思われる。草花を啄む鶏の盛んな食欲、そして命を繋ぐ営み・・・。鶏の盛んな活動を、「春を争へり」とは、いかにも詩的な把握である。「春」という季語の持つ、もう一つの側面が、「春を争へり」という平明にして、斬新な措辞によって、見事に表出された作品である。「滝」6月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

蝶の昼

2017-06-14 | Weblog
蝶の昼飛び石わたる歩幅欲し     鈴木幸子

少々離れた飛び石は飛んで渡れるが、跳躍に自信がないとそういう訳にはいかない。きっと作者も渡れるかどうか、歩幅を計っていると思われるが、結局断念したようだ。「蝶の昼」という、自由な空間にあって、「歩幅欲し」という切実さが、どこか楽しい。「滝」6月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

緑さす

2017-06-12 | Weblog
緑さす裏見の滝のミステリー    鈴木清子

これはまさしくサスペンス!「緑さす」という美しい季語から、何がはじまるのかと思えば、「裏見」は、「恨み」の掛詞のように働き、ストーリーが展開する。大自然に囲まれた中の人間ドラマが、シリアスに詠まれていながら、ユーモアも感じられる一句ではないだろうか。「滝」6月号の表紙を飾った「滝」の句。〈(Midori)

牛蛙

2017-06-10 | Weblog
牛蛙王国の空ゆがみだす     石母田星人

「牛蛙」のヴォーヴォーと言う鳴き声は、まるで地底を揺るがすかのようだ。そんな牛蛙の鳴き声に、「王国の空ゆがみだす」とは、言い得て妙。「王国」とは、童話に出てくる架空の国なのか、あるいは牛蛙の居る「一国」という程の意味なのか。「王国」が何であれ、「牛蛙」にはぴったりの国。「空が歪む」という感覚は、確かに共有できる。「滝」6月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

五月

2017-06-09 | Weblog
口紅は革命の赤五月来ぬ      成田一子

「革命」に色があるとしたら、やはり「赤」。政治的思想の流れから言っても、勿論「赤」である。口紅を単に「赤」というのでなく、「革命の赤」と捉えた作者に内在するものは、意志の強さであり、常識に縛られない自由な精神である。「五月来る」の季語の斡旋も見事!五月は、聖母月でもある。「滝」6月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

あたたかし

2017-06-05 | Weblog
そこまでといふ見送りのあたたかし     八木花栗

「どこまで」と明確に言わなくても、「そこまで」と言えば、送られる方も送る方も互いを気遣った距離であることは明白。「そこまでという見送り」は、まさに日本人の心に適った見送りなのだ。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

うらら

2017-06-04 | Weblog
持ちきれぬ冥土の土産春うらら      古荘浩子

何とも楽しい句。「冥土の土産」を、あれもこれもと両手一杯に捧げ持っている様が想.像されて、思わず笑ってしまう。虚構であるにも関わらず、この句が俳句として立派に面目を保っているのは、「持ちきれぬ」という具体性と身体性にあると思われる。何はともあれ「春うらら」の季語の選択も軽やか。充実した人生の真っ只中に有る作者なのでしょう。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

はくれん

2017-06-02 | Weblog
はくれんや空にほどける子の笑ひ    永村典子

「はくれん」は、空に向かって一輪大きく咲いたものだろう。「はくれん」が咲けば、もう陽春。陽気に満ち溢れ、子どもたちの活動も本格化するころだ。さて、「空にほどける」のは、「子の笑ひ」だけでなく、「はくれん」も解けたのである。上向きの方向性のある一句に、子どもたちの明るく輝かしい未来を思わせる一句である。(Midori)