十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

花八手

2009-01-31 | Weblog
花八手家族の増えし話など    上村孝子
                             「阿蘇」2月号<雑詠>
八手の花に昔ながらの家の佇まいが目に浮かぶ。
作者が物心ついた頃からいつも身近にあった八手の花が、
今、白い花を咲かせているのだ。家族が増えた話などの何気ない
会話に、ゆったりした幸福な時間が流れるのを感じた。(Midori)

2009-01-30 | Weblog
炉に集ふダム反対の人らかな   佐藤艸魚
                             「阿蘇」2月号<雑詠>
ダムといえば、国が熊本県球磨郡相良村に計画している川辺川ダムのことだ。
1966年の計画発表から42年経った今もまだ着工のめどが付いていない。
掲句、社会詠かとも思えるが、決してそうではない温もりを感じる。
炉に集う人たちの精悍な顔、真剣なまなざしは、意外にもやさしく映る。
多くを語らない作品に感動は大きいことを教えられた。
艸魚氏は熊本市在住、ホトトギス同人。(Midori)

冬ざれ

2009-01-29 | Weblog
冬ざれて石には石の物語    岩岡中正  
                           「阿蘇」2月号<近詠>
「冬ざれ」は、冬の万象の荒れさびれたるさまを言うが、「ざれ」の濁音の響きは、
冬の蕭条としたさびしさを思わせる。石は人間の一生という時間の中では、
大きな変化も起こらず、長い時間を存在する存在だと考えられ、石は永遠性の
象徴として崇められてきた。しかし、掲句、「石には石の物語」があるという。
冬ざれに、何気なく小さな石ころを手に取れば、その存在に心が癒される。
今月号、「阿蘇」主宰の一句に石に投影された思いを感じた。(Midori)

冬蕨

2009-01-28 | Weblog
冬蕨日に反るや日を抱けるや  宮坂静生
                            「俳句」 2月号
冬蕨ならではの、やさしい情感だ。
薄い冬日に、その身を反らせるのか、
それとも、真綿のような細い葉毛に日を抱くのか・・・
柔らかな命の輝きを見出した視点の細やかに、
静かな息吹の予感を感じた。(Midori)

冬の月

2009-01-27 | Weblog
そして、火坂雅志といえば、『天地人』の原作者だ。
彼が中学校の野球部に所属していた時、野球帽のツバの裏に、「愛」と
書いていて、監督に「野球を真面目にやっとるのか~!」と怒られたという。
兜の正面に「愛」という文字をつけている武将、直江兼続を知って、
「この男を書けるのは自分しかいない」と思ったそうだ。二人はともに新潟人。
大河ドラマの第一話、大阪城のシーンは、実は熊本城ロケだったのです。

天守へとつづく石段冬の月   みどり

コート

2009-01-26 | Weblog
田渕久美子と言えば、高視聴率となった、NHK大河ドラマ「篤姫」の脚本家だ。
脚本家を目指したきっかけは、山田太一の脚本したドラマ「想い出づくり」の
テロップ「脚本 山田太一」の部分が、「脚本 田渕久美子」と見えたという。
夢は見るものでなく、叶えるものだとか・・・ポジティブな思考は成功の秘訣かも!?

珈琲の香のなかコート脱ぎにけり   みどり

冬服

2009-01-25 | Weblog
旅のあてなくて冬服えらび見る   松原秋果
                              「阿蘇」1月号<雑詠>
「旅のあてなくて」と、句跨りのフレーズが、まずは寂しく響く。
しかし、そうでもないのかも知れない。冬服を選んでいるのだから・・・
やっぱり、訪れてみたい旅行先を想像しながら、相応しい服装を
選んでいるのだろう。旅のあてなくても、作者の生活の中には
豊かな時間が流れているのを感じた。作者は島根県在住。(Midori)

マスク

2009-01-24 | Weblog
マスクして瞳のおだやかになりにけり   樋口 保
                                  句集 「玉繭」
顔の半分以上も隠れてしまいそうな真っ白い大きなマスクだ。
そして、マスクの上の二つの瞳に焦点が当てられた。
ただ、「おだやかになりにけり」の平明な表現に隠された思いは、何だろうか・・・
省略の効いた作品に、何もかも、「無」に還してしまうような余韻を感じた。                   
作者は、長野県生まれ。「橘」同人。平成19年、第一句集を文學の森より出版。

大根

2009-01-23 | Weblog
流れ行く大根の葉の早さかな  高浜虚子

「大根は二百十日前後に蒔き土壌の中で育ち、寒い頃に抜かれ、
野川のほとりに山と積まれて洗はれるのであるが、葉つぱの屑は
根を離れて水に従つて流れて行く。水は葉をのせて果てしなく流れて行く。
ここにも亦た流転の様は見られたのである。」

*『虚子俳話』 S31.4.8付「生々流転」より抜粋。

湯婆

2009-01-22 | Weblog
今日の熊本日日新聞には、米新大統領就任祝賀舞踏会でダンスを
披露するオバマ夫妻のカラー写真が大きく掲載されている。
「変革」をスローガンに掲げてきたオバマ氏への期待は大きいが、
世界のメディアに見せた二人の「スマイル」は最高だった。(Midori)

湯婆に昭和の余熱ありにけり    みどり

寒月

2009-01-21 | Weblog
熊本の西北端に位置する南関町は、かつて参勤交代の関所として賑わっていた。
肥後のお殿様の休憩所だった「御茶屋」も、修復されて立派になっている。
薔薇展が開催中というので久しぶりに出かけてみた。入場料200円で抹茶と干菓子も
魅力的だ。「細川のとのさんが座った場所ばいた~」と勧められたので、
床の間を背にして座ってみた。抹茶を頂きながら、町一番の絶景に感動した。

寒月や半紙のうへの角砂糖   みどり

大根引

2009-01-20 | Weblog
いつだったか、畑から大根を引かせてもらったことがある。
簡単なことだと思っていたけれど、大根の半ほどで折れてしまった。
流石に大根に申し訳ないと思い、今度はゆっくりと、大地に垂直に引いた。
でもやっぱり、途中で折れてしまった。それから、5、6本どれも満足に引くことは
できなかった。大根を買うたびに思い出すのです。

うつくしき水の星より大根引く  みどり 

散る紅葉

2009-01-19 | Weblog
美しき間合引きつつ散る紅葉   井芹眞一郎
                             「阿蘇」1月号<近詠>
先日、はじめて訪れた監物台樹木園は、熊本城の一角にあり、2000種を超える
樹木が植えられていた。まず、目に入ったのがメタセコイヤの紅葉だ。
風に吹かれ金色に輝きながら散るさまは、思わず足を止めて見入ってしまう。
さらに行くと、一面の落葉で、自分の影まで埋め尽くされそうな不思議な空間に出合った。
さて掲句、紅葉の散るさまが詩情ゆたかに詠まれている。まさに十七音の美しき間合を
そのフレーズに感じた。眞一郎氏は、ホトトギス同人。(midori)

時雨

2009-01-18 | Weblog
天地の間にほろと時雨かな    高浜虚子

「時雨をたづねて、二三子と共に、京の西山、北山をさまよつた。
京の時雨にあはん事を願つたのである。
東京の時雨は暗い。京の時雨は明るい。
東京の時雨は物淋しい。京の時雨は華やかだ。
私も時雨を愛する。特に京の時雨を愛する。
天にも命がある。地にも命がある。
その間に一粒か二粒の時雨が生れて、天地の命が動いて、それがほろと落ちる。」

『虚子俳話』(昭和33年11月23日付「天地有情」)より抜粋。

枯野

2009-01-17 | Weblog
遠山に日の当りたる枯野かな    高浜虚子

「自分の好きな自分の句である。
どこかで見たことのある景色である。
心の中では常に見る景色である。
わが人世は概ね日の当らぬ枯野の如きものであつてもよい。
寧ろそれを希望する。
ただ遠山の端に日の当つてをる事によつて、心は平らかだ。」

*ホトトギス社発行、『虚子俳話』(昭和33年3月2日付「遠山に」)より抜粋。