十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

寒卵

2014-12-31 | Weblog
日本や炊き立て飯に寒卵      成田一子

炊き立ての真っ白なご飯の真ん中に、寒卵を落とせば、それは日本の象徴である日の丸。「日本や」の感慨は、古来より米を主食としてきた日本人の食文化に通じるが、大日如来や天照大神を太陽神として信仰してきたことに気づかされる。さて、2015年ももうすぐそこまで!初日に輝かしい未来を祈りましょう。「滝」1月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

枯野

2014-12-30 | Weblog
枯野てふ十一面に迷ひこむ     石母田星人

「十一面」という特殊な数字に、十一面観音像を連想するが、四季の変遷を十一面に喩えるとしたら、「枯野」は十一番目ということになるのだろうか。仏教思想が背景にあるようだが、「枯野」は、芭蕉の句によって、旅人をイメージし、死生観へとつながってゆく。しかし、掲句においては、「迷ひこむ」であり、一時の滞在である。いつかきっと、枯野という十一面からの出口が見つかるはずだ。「滝」1月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

逝く年

2014-12-29 | Weblog
疾走のたてがみありぬ年の逝く     菅原鬨也

加齢とともに、過ぎ去ってゆく時間は早い。20代では時速20km、30代では時速30km・・・、と次第に加速されてゆく時間の経過は、やがては法的速度を超えてしまう。若い頃よりも一日一日がとても貴重な時間であるはずなのに、思いとは反比例して、時間はまさに疾風の如くである。さて、「疾走のたてがみ」という駿馬を想像させる具象は、刻々と過ぎゆく時間の流れを美しいものに変えているが、来たる2015年をどう駆け抜けるのだろう。「滝」1月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

星冴ゆる

2014-12-28 | Weblog
星冴ゆる高倉健といふロマン
太陽の匂ひのページ冬の蠅
三島忌や背中にまはるペンダント
胸中に棲める木枯二号かな     みどり


*「滝」1月号〈滝集〉菅原鬨也主宰選

 初冬に、初めて吹く北よりの強風を気象庁では、「木枯し1号」と発表しますが、では「木枯し2号」はあるのかと思ったら、特に発表はしないが、1号があれば2号もあり得るのだそうです。(Midori)

胼薬

2014-12-27 | Weblog
胼薬燐寸蝋燭ごちやごちやと    下坂速穂

どこにも分類できないような日用品が、自然と集まる場所は、何といっても抽斗。何度整理しても、すぐにごちゃごちゃとかき回されてしまう。「胼薬燐寸蝋燭」は、ごちゃごちゃの常連さんだが、漢字になっても、何だかごちゃごちゃとしている。2014年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori) 

年の暮

2014-12-26 | Weblog
捨てられぬ本動かして年の暮      小島 健

いつの間にか増えてしまった本や雑誌を思い切って処分しようと決心しても、手にとって捲ってみると、やはり捨てきれずに並び替えただけ、ということに・・・。捨てきれなかった本への執着は、自分自身の何かを捨てきれないでいることに繋がるのだろうか。2014年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori)
     

山眠る

2014-12-25 | Weblog
引けばすぐほどけるリボン山眠る    中根美保

贈り物などの包みを開ける時、引けばすぐに解けるリボンはとても有難いもの。リボンというものは、本来そういうものであるはずなのに、時に簡単に解けないように固く結ばれているリボンもあるようだ。さて、配された季語は、「山眠る」である。眠っているのは、「山」でありながら、美しい女人を想像してしまうのは私だけだろうか。2014年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori) 
    

年の暮

2014-12-23 | Weblog
ふとしたる事に慌てゝ年の暮     高浜虚子

年の暮、何でもないことに、ふと慌ててしまうのは、
年の暮でもあるけれど、歳の所為かとも思う。
残りわずかな人生で、虚子は、何を慌てる事があったのだろう?
『虚子俳話』、昭和34年1月25日掲載作品。(Midori
)

懐手

2014-12-22 | Weblog
懐手解いて何かを言ひ出す気      瓦 玉山

ずっと懐手をして何やら考え事をしていた人が、ふいに懐手を解いた時、
何を言い出すのかと、構えてします。案外、何でもなかったりして安堵。
『ホトトギス新歳時記』より抄出。(Midori)

枯木立

2014-12-21 | Weblog
枯木立絵硝子に歌ひびきけり      谷口加代

「枯木立」に「絵硝子」と来れば、教会だろうか。 森田 峠の “教会と枯木ペン画のごときかな”をすぐに思い出すが、枯木は、教会とよく響き合う。たぶんクリスマスの季節でもあり枯木に電飾の灯る頃とイメージが重なるからかもしれない。こういう私も、「滝」1月号への投句によく似た句を投句している。さて・・・? 「滝」12月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

日向ぼこ

2014-12-19 | Weblog
ゆつくりと卵にもどる日向ぼこ     成田一子

貴重な暖かな日差しに、何も考えずに、ただぼんやりとして居れば、生命の進化を遡って、卵にもどる・・・、という楽しい発想。母の胎内にいるような安息にも似た感覚に、うつらうつらと卵であった記憶までタイムスリップするのだろうか。「滝」12月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

木槿

2014-12-18 | Weblog
白木槿機音包む薄き闇     酒井恍山

「薄き闇」を通して、ぼんやりと見えてくる「機音」という過去の記憶。「白木槿」が、リアルな生活感を与えながらも、「白」という色には失ったものへの郷愁が感じられる。機音が織り出すものは、絹織物などの高級品ではなく、きっと飾らない木綿の織物なのだろう。古い映像を見るような静謐な作品である。「滝」12月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

風花

2014-12-17 | Weblog
風花や壺の口より壺の底      石母田星人

壺を覗けば、中は空っぽで、見えるのは壺の底だけ。何だか拍子抜けしてしまうが、壺の空間の存在は、壺が空っぽでなければ感知できないものであることは確か。「風花」が、まるで壺に挿す生花のような働きをしながらも、無機質な壺の中に消えてゆく儚い存在として配されて、作者の硬質な美意識が感じられた。「滝」12月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

2014-12-16 | Weblog
オカリナや萩のこぼるる記紀の径     中川浩子

菊池神社の月見台で、十五夜を見ながら、友人がオカリナを吹いてくれたことを思い出す。曲は忘れてしまったが、その音色は、名月が昇るほどに、ますます美しく透きとおっていった。掲句は、そんなオカリナの音色が、まるで記紀の世へと導くように詠まれて、幻想的な美しい作品となっている。「滝」12月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

憂国忌

2014-12-15 | Weblog
猫足の家具につまづく憂国記      谷口加代

「猫足の家具」と言えば、ドレッサーや電話代などのアンティークな家具に多いが、その優雅さは、まさにヨーロッパの資産階級を思わせる。「猫足の家具につまづく」に、配された季語は、憂国忌。忌日の句は、難しいとされるが、「猫足の家具につまづく」という具象は、三島の生涯をよく表出していると思われる。「滝」12月号〈滝集〉より抄出。(Midori)