十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

2015-03-31 | Weblog
うつくしきお国訛りや雪女郎     跡上裕子

「うつくしきお国訛り」としか書かれていないので、どこの地方の言葉なのかわからないが、きっと雪女郎のお国の訛りだったのだろう。この世のものではない「雪女郎」が配されて、透明感のある作品になっている。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

水仙

2015-03-30 | Weblog
幻の遣唐船行く野水仙      本田久子

唐との交易のために、玄界灘を越えて行ったと思われる遣唐船があった。遣唐使は、菅原道真が廃止するまで何と250年以上も続いたというから、日本と唐の友好な関係が推察できる。さて、日本海に向かい遥か遠くを見つめている作者である。そして見たものは、「幻の遣唐船」。過去から今を伝えるものとして「野水仙」が配されて、詩情高い作品となっている。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

初神籤

2015-03-29 | Weblog
老いわれに恋そそのかす初御籤    荒牧成子

初御籤の恋愛運が「成就」と出たのだろうか。「今さら恋など」と思いながらも、「恋そそのかす」と詠んで楽しい一句となった。「老いわれに」と、自ら老いを自認している作者であるが、その気にもなってみたいような、もう一人の私もいるようだ。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

春潮

2015-03-28 | Weblog
揺籃のごとくに島や春の潮     岩岡中正

大海に浮かぶ島は、まさに「揺籃のごとく」である。「揺籃」は、様々な生きものたちにとって安息の場所。穏やかな波音を子守唄のように聞きながら、今も昔も変わらず小さな命を育んできたのだろう。「島や」の大きな切れに、そんな感動が余韻となって伝わってくる。「春の潮」が、やわらかな調べとなって揺籃を包んでいるようだ。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

2015-03-27 | Weblog
翅使ふことなく蜂の花移り     深見けん二

徹底した写生が、詩となり得るということを実感!蜂は、それほど警戒心がないのか、ゆっくりと花の上を移動する姿をよく見かける。飛ぶものは翅を使って移動するものだという固定観念が、写生の力を弱くしていることに改めて気付かされる一句である。句集『菫濃く』より抄出。(Midori)

鶯餅

2015-03-26 | Weblog
鶯餅喉元過ぎるとき鳴けり    木村日出夫

鶯餅を手にして、お腹に収まるまでの一句である。喉元を鶯餅が通る時に誰もが感じるあの感覚・・・。自分だけに聞こえる鈍い音を、「鳴けり」とは、鶯餅ならではの発想である。鶯餅を鳴かせると思えば、手に取ることさえちょっと躊躇してしまう。2014年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori)

春雷

2015-03-24 | Weblog
山の背をころげ廻りぬ春の雷    高浜虚子

「ころげ廻る」とは、春の雷ならでは比喩。しかし、
比喩と言っても、確かな視覚的な映像が立ち上がってくる。
虚子の提唱する客観写生の世界は、とても広い。
第4版『虚子俳話』より抄出。(Midori)

蝌蚪

2015-03-23 | Weblog
蝌蚪生まる子どもの覗く進化論     大坪蕗子

地球上に生命体が誕生して、今日までの進化の過程を見ることは難しいが、「蝌蚪」であればどうだろう。紐状に連なる卵が孵り、蝌蚪が生れて水中を泳ぎ回る。やがては蝌蚪に脚が生えると地上へと這い上がる。まるで進化の縮図を見ているようだ。さて、掲句。子どもが覗いているのは、「進化論」ではなく、「蝌蚪」でありながら、「蝌蚪」から「進化論」への飛躍がとても楽しい一句である。句集『野の百合』より抄出。(Midori)

2015-03-22 | Weblog
仰ぎゐる頬の輝くさくらかな     深見けん二

桜を仰ぎ見れば、桜の花はもちろん、その向うには眩しいばかりの空がある。しかし、そんな輝かしい対象物に視点はありながら、視点は作者に戻り、「頬の輝く」という。桜を仰ぐ作者に、漲る艶やかな生命力が感じられた。句集『菫濃く』より抄出。(Midori)

2015-03-20 | Weblog
くつさめや開放されし厨事    畑中伴子

「くつさめ」は、風邪の前兆。用心のために水を使う厨事から開放されたのかもしれないが、それでは原因結果で終ってしまう。どういう理由で開放されたのかは不明だが、長年の厨事からいざ開放されてみると、ふと寂しさを覚えた「くつさめ」ではないだろうか。「滝」3月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

手毬

2015-03-19 | Weblog
戦場につながる空や手毬唄     庄子紀子

いまだ地球上のどこかが戦場となり、関係のない人々まで巻き込んでいる現状がある。日本からは遠く離れた場所であれば、戦争が現実のものとして信じられない思いも重なるが、メディアは、容赦なく現実の映像を伝えて来る。地球は一つであり、どこまでも青い空が広がっているはずである。戦場とは異なる空間を生み出している「手毬唄」が悲しみを深くしているが、どこか怖い手毬唄である。「滝」3月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

末黒

2015-03-18 | Weblog
末黒野の果てひとすぢの川光る    上遠野三惠

早春、野火に焼けつくされて末黒野となった高原である。それまでは高い枯草に覆われて見えなかった一筋の川が、末黒野となった今、太陽の光を反射して光っていたのである。すべての命を焼き尽くしたかのように思えた末黒野の果てに光る川は、まさに早春の命の輝きである。「滝」3月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

繭玉

2015-03-17 | Weblog
まゆ玉の影のゆらめく夜の地震     庄子紀子

繭玉は繭の豊収を祈願するもので、正月に飾られるもの。そんな縁起の良いものであるはずの繭玉の影が、夜の地震に揺れたとしたら、どんなに不気味であることか・・・。地震が、時を選ぶことなく起こり得るということを今更ながら気づかされる一句。東日本大震災から4年が経過した今なお、余震が続く仙台在住の作者ならではの作品である。「滝」3月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

雪山

2015-03-15 | Weblog
獣みな鍵を持たざり雪の山     中井由美子

家の扉や窓に鍵を掛けてしまえば、一応の安全は保障されるのが現代社会の人間の生活様式だが、山の中に生きる獣の場合はそうはいかない。それぞれの生態に合わせた最も安全な場所を彼らは知っているとは言っても、決して完全ではないだろう。しかし、雪がすっぽりと山を閉ざしてしまえば、「雪」は「鍵」に代わって、彼らを守るのだろうか。「滝」3月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

独楽

2015-03-14 | Weblog
澄む独楽の己の影を持たざりき     堀籠政彦

独楽は、回るスピードが増すほどに、独楽の透明感も増してゆく。その時の独楽に影は一体あるのかないのか?「己の影を持たざりき」と断定されると、きっと無いに違いないと思わせてくれる。「滝」3月号〈滝集〉より抄出。(Midori)