十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

枯る

2010-01-31 | Weblog
     枯色といふやさしさの中にゐる    南野幸子

時々目が疲れたと思うことがある。今では広辞苑を開かなくても、インターネットで瞬時に検索できる時代だ。蛍光灯の明かりは私の目には冷たすぎると思っていたら、癒しの空間は意外にも白熱灯だった。目の疲れを感じ、家から外に出てみると迎えてくれたのは枯野だった。枯色は私の目を刺激することなく、とてもやさしい。この作品に出会えてはじめて気づかされたことだった。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)

冬耕

2010-01-30 | Weblog
    動くともなく冬耕の場所変へて     大熊のぼる

作者は、窓からあるいは遠くから冬耕の人を見ているのだ。遠景なのだろう。農作業の仔細は見えなくとも、田畑を懸命に耕しているらしいことは見て取れるのだ。第三者の目が捕らえた冬耕の様子ではあるが、「動くともなく」、「冬耕の場所かへて」に作者の視線の確かさを感じた。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)

浮寝鴨

2010-01-29 | Weblog
      晩年に少し間のある浮寝鴨     岩岡中正  

人間の寿命が大きく伸びた昨今、晩年はいつからをそう呼ぶのだろうか。「少し間のある」といっても作者はまだ60代前半だ。「少し」には逆説的な謙譲の思いがあるようだ。「浮寝鴨」に自己投影されたものは、還暦という人生のひとつの節目を超えた作者の深い感慨ではないだろうか。押し寄せる波に揺られるままに・・・。そんな作者の余裕が感じられた。「阿蘇」主宰。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)

冬日和

2010-01-28 | Weblog
     冬日和詩嚢は今日も素寒貧     高野ムツオ

「すかんぴん」とキーボードに入力して、Enterキーを押すと一発で「素寒貧」と表示されたが、いかにも寒々とした言葉だ。「詩嚢」はもともと漢詩の草稿を入れる袋のことだ。「今日も」と仰るムツオさんだが、空っぽの詩嚢も冬日和ならそれもいいような気がする。余裕のある句づくりに、素寒貧とも思えないユニークな詩情を感じた。「小熊座」主宰。「俳句」平成21年4月号より抄出。(Midori)

霜夜

2010-01-27 | Weblog
     父と子の会話濃くなる霜夜かな   小島 健

霜夜に交わされる父と子の会話・・・。「子」とは言ってももう子供ではなく、りっぱな大人ではないか。しんしんと更けゆく霜夜、会話も次第に深まってゆく。たまにしか交わされることのない父と子の会話であれば尚更だ。どこか透明感と静謐感のある霜夜に、「会話濃くなる」に親子の温もりを感じた。「俳句」1月号より抄出。(Midori)

日脚伸ぶ

2010-01-26 | Weblog
      育児書の頁に折り目日脚伸ぶ   小野裕三

初めての赤ちゃんなのだろう。新米パパとママにとって育児書はバイブルにも等しい。「折り目」はたぶんママの方がつけたのだろうか。「折り目」に込められた思いは、子への大きな愛情だ。「日脚伸ぶ」に、すくすくと育っている子どもの成長と両親の喜びが伝わってきた。「俳句」1月号より抄出。(Midori)

初鏡

2010-01-25 | Weblog
 端つこを妻に借りたる初鏡   佐藤郁良

日常のチョッとした構図、
男性の初鏡とはこんなものかもしれない。
省略の利いた写生にリアルな実景が見えてきた。
「俳句」1月号より抄出。(Midori)
 

初御籤

2010-01-24 | Weblog
私の初句会は、熊本県北に位置する菊池神社での吟行句会だった。建武の中興において南朝の首将として善戦した菊池氏が祭られている神社だ。車で約1時間、さっそく御参りを済ませ、おみくじを引く。「なにか奥歯にものがはさまっている状態。願い事を成就させるには勇気をもって邪魔者を噛み砕けばよい」と少々物騒だ。歯には自信がある方だが、果たして邪魔者を噛み砕けるかどうか?!(Midori)

爪立ちてあしたに結ぶ初みくじ   みどり

草枯る

2010-01-23 | Weblog
     草枯れてポツンと一ツ水道栓     大倉憲一郎

草が生い茂っていたときには、草に覆われて見えなかった水道栓だ。こんな所に水道栓があることすら誰も知らなかったに違いない。ところが草が枯れて、はじめてその存在に気づいたのだ。草が枯れれば、やがて枯野と化すが、水道栓は、バルブの開閉によりいつでも水が迸りでてくる。対照的に置かれた水道栓に、待春の思いも伝わってきた。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

黄落

2010-01-22 | Weblog
      黄落や模擬店に鳴る発電機     佐々木博子

広場などでの催しものだろうか、あるいは参道に並ぶ模擬店かもしれない。樹木は黄葉し落葉もはじまっている。発電機の音に混じって、いろんな匂いも溢れていそうだ。賑やかな情景でありながら、「模擬店に鳴る発電機」という作者の視点の意外性に、セピア色のノスタルジーを覚えた。それは、「黄落」「模擬店」「発電機」に共通して存在する「あやうさ」にも似たものかもしれない。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori)   

大寒

2010-01-21 | Weblog
     大寒や見舞に行けば死んでをり    高浜虚子

虚子の一切の主観を排除し、徹底した客観写生の裏側にあるものは、一体何なのだろうか?「一つの死」への尊厳というものはなく、あるのはただ一種の哀しいまでの可笑しさだ。大悪人虚子の虚子たる所以がここにあるのかもしれない。「五百五十句」に所収。「高浜虚子の世界」より抄出。(Midori)

毛糸編む

2010-01-20 | Weblog
       編みかけの毛糸そのまま恋終る    三宅久美子   

俳句は未だ恋を詠むには向かない文芸だと思われているが、角川学芸出版の『高浜虚子の世界』によると、虚子は恋の句をとても大事にしたという。「喜寿艶」という句集までまとめ、老虚子になっても恋の句を作りつづけている。恋が終われば、また新たな出会いに恋がはじまる。日本伝統俳句協会2009年12月カレンダーより抄出。(Midori)

芭蕉忌

2010-01-19 | Weblog
     芭蕉忌の海はほがらに明けにけり      木下あきら

「ほがら」というと「朗らか」と同義だが、心が晴れ晴れとしたさまを言うのかと思っていたら、第二に空が曇りなく晴れていること、第三に広々と開けているさま、第四に明るく光るさま、第五に精通していることとあった。蕉風といわれる芸術性の高い句風を確立し、俳聖といわれた芭蕉だ。彼に相応しい海の明け方は、「ほがら」の一語に尽きるようだ。形容詞や形容動詞を使うのはあまり好ましくないと言われるが、ここでは、「ほがら」によって高い詩情を獲得した。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

立冬

2010-01-18 | Weblog
     結び湯葉椀にほごれる今朝の冬     宇野成子

京都や日光が、湯葉の古くからの産地として知られ、日本料理には欠かせない食材の一つだが、約1200年前に最澄が中国から持ち帰ったのが初めといわれる。さて、その結び湯葉が、椀のなかで解けたという。ただそれだけのことだが、「今朝の冬」と置かれたことによって、静謐な詩情が広がってくる。「結び湯葉」のはんなり感もいいけれど、作者のお洒落な感覚も見逃せない。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

玉子酒

2010-01-17 | Weblog
     夜を継ぎて未完の稿や玉子酒     加川則雄

毎晩、原稿用紙に、あるいはパソコン画面に向かっている作者だ。もしかしたら一晩で書き終えるはずの原稿だったのかもしれない。しかし、いまだ未完成の稿なのだ。「夜を継ぎて・・・」の柔らかなフレーズに、抑制された作者の心労が、じんわりと伝わってきた。少し風邪気味でもあったのか、玉子酒は、家族の方の気遣いだったに違いない。玉子酒が作者の心も身体も温めてくれたことだろう。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori)