十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

網戸

2011-09-30 | Weblog
網戸越しこの世見てゐる卒寿の眼    和田知子

今年の夏は、網戸やグリーンカーテンなど、電気に頼らない、
ライフスタイルが見直された年だったが、網戸越しに見えた、
この世の夏は、果たして卒寿の眼にどのように映ったのだろうか?
戦中戦後を生きてきたその眼に映るものは、人間の哀しさだったかもしれない。
「俳句」10月号「作品8句」より抄出。(Midori)

空蝉

2011-09-29 | Weblog
空蟬や引出しといふ秘密基地    中村正幸

子どもの頃の遊び場としての「秘密基地」という言葉は、
もう聞かれることもないのかと思っていたら、
こんな秘密基地があった。しかし、ここは、
人間一人も入ることのできない引き出しの中・・・
空蟬が象徴するものは、やはり記憶だろうか。
「俳句」10月号「作品12句」より抄出。(Midori)

虫の夜

2011-09-28 | Weblog
  捨てきれぬ物に囲まれ虫の夜は    赤尾恵以

できるだけシンプルな生活を心がけているつもりでも、
いつの間にか、物が増えてしまう。思い切って捨ててしまえば、
どれほどスッキリするかと思うが、結局捨てきれずにまた元に戻してしまう。
捨てきれないのは、物ではなくて、思い出なのかもしれない。
静かな虫の夜、捨てきれない物に囲まれているのもいいかも・・・
「俳句」10月号「作品8句」より抄出。(Midori)

秋出水

2011-09-27 | Weblog
秋出水十年杉を巻き込みて   藤本安騎生

台風シーズン、豪雨がもたらす出水は、濁流となり、
大きなうねりとともに、草木を巻き込んでしまう。
十年杉は、もう何十回となく、秋出水を経験したことだろう。
それでも風雨に耐え、秋出水にも耐えてきたのだ。
よく見る秋出水の光景が、こんな風にリアルに詠まれたことに、
写生句といっても言葉が語るものだということを痛感した。
「俳句」10月号「作品8句」より抄出。(Midori)

水中り

2011-09-26 | Weblog
観音の呪符の効きたる水中り   三村純也

広く信仰礼拝の対象となっている観音さまの御符。
御符の種類は多く、呪符はすでに在る災難を除くもの、
護符は災難を予防するもの、という分け方もあるようだ。
観音さまの呪符をいただいてきた作者だが、
さっそくの効き目が、水中りだったとは?
「俳句」10月号「作品21句」より抄出。(Midori)

2011-09-25 | Weblog
   雁の空見上げ印象派となれリ    菅原鬨也

19世紀後半のフランスに生まれ、絵画芸術に新風を吹き込んだ印象派は、
単なる写実主義ではなく、心に刻まれる印象こそが内なる真実だとするもの。
俳句が、心の目が捉えた印象であり、視覚的に感受されたイメージだとすると、
印象派の省略の効いたリアリティは、絵画だけでなく俳句の世界にも通じそうだ。
さて、雁の空を見上げて佇んでいる作者。一句の中の実像は、
いつしか印象派の一枚の絵画と化してしまいそうだ。
「俳句」10月号「作品12句」より抄出。(Midori)

菊の酒

2011-09-24 | Weblog
   若者の君にこよひは菊の酒     長谷川 櫂

「菊の酒」は、重陽の節句に、菊をこの日の花として、長寿を願って飲む酒をいう。
中国から伝わったものだが、何とも古典的で優雅な風習だ。
その「菊の酒」を、今宵はほかでもない「若者の君に」酌をしようという。
若者への期待は大きいが、その期待に応える若者だと思う。
「俳句」平成23年1月号より抄出。(Midori)

2011-09-23 | Weblog
  萩刈りて風のよるべを断ち切りし    水田むつみ

昔から多くの人に愛され、『万葉集』では最も多く詠まれている萩の花。
萩は、木であるにもかかわらず古来「草」の感覚で扱われ、
秋の七草の筆頭にも挙げられている。さて、萩は風が良く似合う。
「思い乱れる心を託すのに相応しい花」とされるが、
風のよるべを断ち切りし・・・、作者の迷いのない決断にも思えた。
2011版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

2011-09-22 | Weblog
  かじりたる渋柿舌を棒にせり    小川軽舟

渋柿だと知って齧る人は、あまりいない。
「かじってみれば渋柿」だったというのが、本当のところだろうか?
甘柿だと信じていたものが渋柿だったときの落胆と可笑しさ。
棒になった舌を持て余している作者がいる。
飾らない比喩が面白い。2011版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

鳳仙花

2011-09-21 | Weblog
鳳仙花張作霖は爆死せり    高橋 龍

侵略戦争という愚かな行為・・・、
避けては通ることのできなかった人間の愚かさ。
しかし、今、この事件の真相を究明する必要はなく、
一つの歴史上の事実が語られているだけ。
「鳳仙花」の在りようと語感が、作品を詩として昇華させた。
2011版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

梅擬

2011-09-20 | Weblog
思うたびに佳くなる昔うめもどき   池田澄子

思い出したくない記憶は、記憶中枢の中で淘汰されて、
美しい昔の記憶だけが、残ってゆくのだろうか。
たとえ辛かった昔も、今では懐かしい記憶となったりして。
「うめもどき」の諧謔のある季語の付け方が楽しい。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

蛇穴に入る

2011-09-19 | Weblog
   思ひどほりに生きて蛇穴に入る    川崎陽子

思いどおりに生きることは、簡単なようで案外難しい。
世の中が、多かれ少なかれ人と人とで構成される組織体であれば、
そうそう思いどおりという訳にも行かないからだ。しかし、可能なことさえ、
自らブレーキをかけてしまっていることもありはしないだろうか?
蛇は思いどおりに生きているように見えても、穴に入る時は知っている。
作者の生き方が、きっとそうなのだろう。
2011版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

良夜

2011-09-18 | Weblog
捨て舟のぎいと相寄る良夜かな    山千枝子

誰も乗る人もなく打ち捨てられたままの二艘の小舟。
風でも吹いて来たのか、ぎいと相寄って来る・・・
月がくまなく照らし出している良夜、
まるで中世の物語を見ているようなロマンが感じられた。
2011版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)
 

曼珠沙華

2011-09-17 | Weblog
   西国は外様の多し曼珠沙華    土肥幸弘

外様大名は、関が原の合戦以降に徳川家に従った大名のこと。
遠く西国からの参勤交代は、藩の威勢を誇るためにも、多くの、
財力を要したとされるが、地方の文化交流の果たした役割も大きいという。
街道を行く西国の大名たちに、今と同じ曼珠沙華が畔を彩っていたのだろうか。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

2011-09-16 | Weblog
異次元のひかり満つ夜の冷蔵庫
外れたる心の釦シャワー浴ぶ
蚊遣香白くのこれる記憶かな
国よりも君を愛してソーダ水     平川みどり


*「滝」9月号〈滝集〉に掲載されました