十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

桜湯

2016-06-30 | Weblog
桜湯にひらく言の葉ありにけり
あをあをと月光に散る残花かな
囀りや天を支ふる心柱
余震なほ月下に軋む半仙戯    みどり

*「阿蘇」7月号、岩岡中正主宰選

【選評】写生句だが、いかにも美しく幻想的でさえある。「桜湯」という具体から「言の葉」という抽象へ展開する手法に注目。言の葉はかく美しく桜湯のように花開く。美しい瞬間を詩語へと結晶させた一句。

 今月号は、「熊本地震特集」と題された特集号となっています。4月16日の本地震から月末までの投句期間・・・。会員にとっても大変な時期を迎えていたと思われます。「熊本地震」の前と後では俳句もがらりと変わってしまいました。(Midori
)

2016-06-29 | Weblog
恋をしやう心に黴の生えぬやう     大輪靖宏

「恋をしやう」と、高らかに提言する作者に拍手!「恋」は決して遠ざけるものではなくて、むしろ推奨されるべきものなのである。若々しい心を保ち、黴させないための工夫・・・。それは、恋は勿論、何かに夢中になれるそんな豊かな心ではないだろうか。日本伝統俳句協会『花鳥諷詠』330号より抄出。(Midori)

梅雨茸

2016-06-28 | Weblog
雨上がりの朝など、裏庭に茸が立っているのに気づく。昨日まではなかったはずなのに、一晩でできたものか?それとも徐々に大きくなって、はじめて気がついたのか?つい蹴りたくなるのは、人が歩いて通る場所に立っているからだ。とても脆くて崩れやすい不思議な茸。

梅雨茸崩せば星の匂ひせり      みどり

出水

2016-06-27 | Weblog
熊本県北の山間部のわが町は、地震による大きな被害はなかったものの、このたびの豪雨によって、小さな崩落はあちこちに見られます。崩落は、雨による地盤の緩みが直接の原因ですが、そもそもの地盤の弱さが根底にあるような気がします。地方だと言っても、道路や農地改革のため、川や沼だったところが、造成によって姿を変えています。都市部の液状化現象も深刻です。

地震痕か出水のあとか肥後大変    みどり

2016-06-25 | Weblog
光年を見て来し貌で蟇     上村孝子

蟇の貌を、何かに喩えた句は多いが、「光年を見て来し貌」とは、スケールが大きい。太古から、いや地球の誕生からずっと時代を見て来たかのようだ。「蟇」のユニークな容貌ならではの一句である。「阿蘇」千号記念合同句集より。(Midori)

出水

2016-06-24 | Weblog
青蘆が茂る河川も、急な出水でなぎ倒されて、その勢いの凄まじさを物語るには充分でした。1時間に100ミリを超すゲリラ豪雨の爪痕は、まさに地獄の蓋が開いたかのようです。先ほどの避難準備情報の知らせにハッとさせられましたが、特に緊急避難を要するとも思えず、自宅待機です。

誰が開けし地獄の蓋か梅雨出水    みどり

梅雨

2016-06-23 | Weblog
昨日からの豪雨に、避難準備警報、避難注意報が鳴り続けていましたが、無事静かな朝を迎えることができました。そして恐る恐る窓から外を見ると、そこにはいつもと変わらない風景が・・・。余震が続く中のゲリラ豪雨に、熊本は更なる試練を強いられています。そんな中にあって、「仲間との吟行に行ってきた」というと、「えっ」と思われるでしょうか。命の保証とタフな精神を失くしてはできないことですが、俳句は、それほど魅力なのでしょう。今日は、梅雨出水の後の有明海を見てきました。

ひとの世の芥打ちあげ梅雨の浜    みどり

2016-06-22 | Weblog
交む蠅見てをり時間長者なり      田村正義

注意深くつぶさに見ているのか、あるいは、見るとはなしに、ぼんやりと見ているのか、「見てをり」といってもその内容は随分違う。「時間長者」は、たぶん後者なのだろう。「交む」のは、蠅にとっては生命を繋ぐために重要なことではあるが、作者にとっては、「見て」時間を費やすだけである。何もなくても時間だけはたっぷりとあるという自嘲の一句。2016年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori)

早春

2016-06-21 | Weblog
早春の琥珀のひかり師の逝けり     清野やす

「琥珀のひかり」とは、何億年前のひかりだろうか。「早春」であれば、それは、原初の微光のようにも感じられる。感覚的な「琥珀のひかり」ではあるが、『琥珀』は、師の第3句集のタイトルである。永遠の輝きを得た琥珀が、美しくも切ない追悼句である。「滝」5月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

蛇穴を

2016-06-20 | Weblog
蛇穴を出づグラビアは袋とぢ     成田一子

宮城県俳句協会賞受賞作品である。「袋とぢ」とは、製本の一つの方法だが、「グラビアは袋とぢ」となると、艶なイメージが立ち上がってくる。聞けば、「袋」という席題詠だというから納得!「袋」で「袋とぢ」という今風な措辞を思いついた手柄は大きい。どんな季語を配するかは、俳句的センスの問題である。「滝」5月号より。(Midori)

ぶらんこ

2016-06-19 | Weblog
ぶらんこや哀別の眼の乾くまで    佐々木博子

「乾くまで」という余韻が、哀別の気持ちを一層深くする。「ぶらんこ」という季語の選択は、先生と生徒、師と子弟という関係、あるいはそれ以上の哀別の表れではないだろうか。「眼の乾くまで」とは、作者の一つの決意でもあるだろう。「滝」5月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

春日傘

2016-06-17 | Weblog
はんなりと言葉をたたむ春日傘     鈴木弘子

「はんなりと」が「言葉」、「たたむ」、「春日傘」、それぞれに微妙に掛かって、女性の柔らかな仕草や動きが見えて来る。また、「たたむ」が、「言葉」と「春日傘」の双方に掛かるという重層的な意味合いを持たせながらも、一つの全体像が立ち上がるという巧みな作品である。「滝」5月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

遅日

2016-06-16 | Weblog
遅き日や象舎に帰る象の臀     長岡ゆう

象舎に帰るのが、象でなくて、「象の臀」だという発見が楽しい。象舎いっぱいに帰って行く象の臀が、クローズアップされた一句であり、「臀」の表記が、いかにも大きな「象の臀」を思わせる。「滝」5月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

椿

2016-06-15 | Weblog
潮騒の不意の高鳴り椿落つ      鈴木三山

「時雨忌の不意の高さに一飛沫」という亡き主宰の初期の作品を思い出す。「不意の」という措辞が、一句に緊張感を生み出している点は同じだが、詩情の方向性は全く違っている。「不意の高鳴り」によって、「椿が落ちた」かのような錯覚を覚える格調高い作品である。「滝」5月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

立春

2016-06-14 | Weblog
春立つや余白に小さき鯨かく     服部きみ子

「滝」会員であれば誰でも知っていることだが、「鯨」は、亡くなった「滝」主宰のマスコットであり、ペンネームでもあった。「鯨波」が、「鬨の声」を意味することに由来する。立春に75歳の生涯を閉じた主宰である。余白に小さく書かれた鯨は、作者の喪失感を少しでも癒してくれるのだろうか。「滝」5月号〈滝集〉より抄出。(Midori)