初夢 2018-03-28 | Weblog 初夢や天地をかよふシャトルバス 佐々木博子 「天地をかよふシャトルバス」とは、何ともユニーク!作者の日頃の願望が初夢となって現れたと思われるが、一方で、そのような「シャトルバス」など実在しないことも十分承知している作者である。「シャトルバス」というリアルな映像が、虚構の景を支え、一句となった佳句である。「滝」3月号〈滝集〉より抄出。(Midori)
冬の蝶 2018-03-26 | Weblog ふと消えし詩片のひとつ冬の蝶 中井由美子 詩になる「言葉」であるかどうかの判断は、作り手の感性によるものだと思う。詩になる「言葉」が、つまり「詩片」。さて、作者が持っていたいくつかの詩片の一つが、ふと消えたのである。その謎解きの答えは、「冬の蝶」。詩片は冬の蝶と化したのだ。「冬の蝶」は、一年で最も詩的な蝶だと思う。「滝」3月号〈滝集〉より抄出。(Midori)
❄ 2018-03-24 | Weblog 雪後の天洗ひたてなる顔のやう 鈴木幸子 「洗ひたて」という比喩は、あるかもしれないが、「洗ひたてなる顔のやう」とは、虚を突かれた思い。雪後の雲ひとつないすっぴんの青空が見えるようだ。感動がストレートに伝わる一句一章の句は、やはり力強い。「滝」3月号〈滝集〉の巻頭句。(Midori)
卒業 2018-03-22 | Weblog 昨日の南関句会の兼題は、「卒業」。「卒業」は3月の季語となっているので、小学校から大学までの卒業を意味すると思われるが、「卒業」は、一般的にもよく使われる言葉である。そこを誤ると本意でない俳句となってしまうので、注意を要する。兼題に出されなければ、なかなか詠まない季語ではあるが、誰もが経験していることなので、様々にチャレンジできる季語でもあった。「卒業」の句を4句出句して、3句入選。1句は本意外として却下されたが、ぎりぎり本意内ではないかと捨てきれない。(Midori) 父の背を越えたる朝卒業す *指導者特選☆
寒満月 2018-03-20 | Weblog 大いなる影さび色の寒満月 鈴木要一 月蝕は、今では地球の影だと知っているが、解明以前の地球人にとってはさぞや不気味な現象だったに違いない。地球の影を見ることが出来る唯一のチャンスだと思えば、感慨は一入だ。「大いなる影」とは、そんな思いを根底に、太陽と月と地球による一大天体ショーへの讃歌ではないだろうか。皆既月蝕を詠みながらも詩情高い一句である。「滝」3月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)
風船 2018-03-18 | Weblog 風船を離し孤島にゐるごとし 成田一子 風船を持つ手を離した瞬間、風船は空高く飛んで行ってしまう。そこまでの映像は、誰もが経験することであるが、飛び立った風船から俯瞰した構図は、どうだろうか?だんだん小さくなる作者の姿は、まるで「孤島」にひとり取り残されてしまったかのようだ。「孤島にゐるごとし」という比喩には、独創性はもちろん精神性も感じられ、作者の感性の高さが伺える。「滝」3月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)
寒卵 2018-03-16 | Weblog 寒たまごこつんと朝の空気割る 二木恵子 キーンと張りつめた寒中の朝、寒卵をこつんと割れば、割れたのは卵の殻ではあるが、「朝の空気割る」と大きく飛躍。寒卵を割った瞬間の空気感が、一瞬緩んだようにも思える一句である。「阿蘇」 3月号より抄出。(Midori)
落葉 2018-03-14 | Weblog 老いたのし庭の落葉をちよと掃いて 島田眞理子 老後をどこでどう過ごしているのかは、その時にならないと分からない。しかし、この作者は庭のある一戸建ての自宅で、自らの「老い」を楽しんでいるのだ。「落葉」を気が向くままにちょっと掃き寄せたり、自然との暮しに決して無理はない。「老いたのし」ではじまる一句は、とてもリズミカルで楽しそう。「阿蘇」 3月号より抄出。(Midori)
探勝会 2018-03-12 | Weblog 昨日は、「阿蘇」の探勝会で、阿蘇大観峰へと出発。枯一色の阿蘇山に野焼への期待が高まるが、本格的な野焼きは午後からと聞いて、がっかり。車窓からは、赤牛や黒牛の長閑に群れる様が印象的で、何とか一句。投句間際にできた句は推敲不足だったので、「火の山の」にあとで推敲。(Midori) 火の山のかげろふを食む牛の群
枯野 2018-03-09 | Weblog 枯野てふこよなき色に立ちつくす 丸山ゆきこ 一面に広がる「枯野」を見ると、形容しがたい感動を覚えるもの。「こよなき色」とは、これ以上でもなく、これ以下でもない全き「枯野」を意味するのだろう。自然の潔さの前に、ただ「立ちつくす」しかない作者。心惹かれる一句である。「阿蘇」 3月号より抄出。(Midori)
霜のこゑ 2018-03-07 | Weblog 耳しひの仰臥目覚むる霜のこゑ 本田久子 同時掲載句を読めば、年を越すことはなく、百歳でご逝去された作者の御母堂様だと分かる。「霜のこゑ」と言っても、実際に霜の声が聞こえるわけではなく、風のないしんと静まり返った夜である。「耳しひ」の母が「霜のこゑ」で目覚めたという感覚的な把握・・・。霜の夜ならではの研ぎ澄まされた緊張感のある作品である。「阿蘇」 3月号より抄出。(Midori)
初鴨 2018-03-05 | Weblog ざぶと水音初鴨でありにけり 田中茗荷 「ざぶと」という表現は、一見大雑把で、常識的なオノマトペではあるが、突然の初鴨の飛来への驚きがよく現れているのではないだろうか。「ありにけり」は、その最初の驚きが、感動に変わった瞬間である。同時作、「初氷夜明けのこゑを放ちけり」は、本部土曜例会で、5選の一句に頂いた作品である。「阿蘇」 3月号より抄出。(Midori)
文学 2018-03-03 | Weblog おでん屋で文学の手解きすこし 岩岡中正 「文学」を論じるのに場所は厭わない。誰もがその気になりさえすれば、簡単に手に入るものなのに、難しいものだと、最初から諦めてはいないだろうか。「すこし」には、そんな控え目な励ましの気持ちが含まれているような気がした。「阿蘇」3月号より抄出。(Midori)
氷 2018-03-01 | Weblog ペンギンのやうに氷の上あるく 寒雷や窯変したる海のいろ 落葉踏む太陽のいろ月のいろ せつせつと帰心湧く夜の根深汁 *「阿蘇」3月号、岩岡中正選 【選評】よく見るユーモラスなペンギンの歩きぶりに愛情をこめた視線である。ふと転がしたような詠み方で、印象的で親しめる映像である。このペンギンたちから、幼な子を連想されるのだが、軽やかで愛らしく文句なしに楽しい句である。(中正) 「氷」の句は、「氷」という兼題から得た一句。「氷」という最近では経験しない季語に、どうしたものかと頭をひねりましたが、過去のさまざまな場面を思い出していると、厚いコートを着て、手袋をして歩く姿が思い出されたのです。(Midori)