十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

二月

2018-04-29 | Weblog
白波の翼広げて来る二月
手鏡のなか春愁の眉二つ
初音して山の茶房の開かるる
まなぶたに羽毛のやうな春の雪


*「阿蘇」5月号、岩岡中正選  

 「茶房」のモデルは、自宅から車で30分の距離にある熊本県北の『絆舎』。河津桜をはじめ早春の花木が植樹された園内にあるレストラン。この樹木園に着くと、待ち構えたように初音が聞かれるのです。(Midori)

なづな

2018-04-26 | Weblog
芹なづな御形はこべら夫癒えよ     米原淑子

春の七種のうち、四種だけを述べ、「夫癒えよ」と結ばれた一句。きっと、「芹なづな御形はこべら」のあとにも、滋養のあるいろんな野草が続くのだと思われる。人日の日、夫の快癒を願う作者の渾身の一句である。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

冬天

2018-04-24 | Weblog
冬天の剥落黒い鳥ばかり     田中茗荷

鴉などの黒い鳥が、やたらと鳴く日に遭遇したと思われるが、冬天の一部が剥落して、黒い鳥に化したという発想である。どんよりと曇った冬の空ならではの飛躍に、どきりとさせられるが、「黒い鳥ばかり」には、その日の作者の心の色にも通じるように思われる。さてさて、こんな気分は追い払うしかない。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

落雲雀

2018-04-22 | Weblog
谷口慎也さんの俳句月評に、「小手先の俳句」について書かれている。人の知らない言葉を使ったり、珍奇な表現で人を驚かせようとする俳句のことを言うらしい。しかし、「真に作者の内なる心、創作意欲の必然性から出てきたものであるとすれば、話は全く別物になる」という救いの言葉も続き、ちょっと安堵。さて、下の「死角」という言葉・・・。真に内なる心から出たものであるかどうか、わが心に問うてみた。(Midori)

   大空の死角を落ちてゆく雲雀     *「阿蘇」土曜例会、中正選

喰積

2018-04-17 | Weblog
喰積を兎の如く妻と食ふ     土屋芳己

「喰積」とは、はじめて知る季語。現代ではお正月の御節料理をさしていう場合が多いが、本来は新年の祝饌だとか。さて、二人だけで過ごすお正月。「兎の如く」とは、黙々と咀嚼しているという感じだろうか?長く連れ添う妻との暮しならではの情感が、しみじみと伝わってくる作品。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

故郷

2018-04-15 | Weblog
それぞれの故郷とほき雑煮かな     武藤和子

雑煮の中の具材の産地を、「故郷」と見立てれば、海のもの、山のものとそれぞれの故郷は遠い。しかし、解釈の仕方はそれだけでないような気もする。 「雑煮」と「故郷」は、いずれにしても切り離せないもの。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

山茶花

2018-04-13 | Weblog
川に散る山茶花絵巻つづきをり     井芹眞一郎

「山茶花絵巻」とは、何と艶やか。平安中期の宮廷物語を彷彿とさせるのは、やはり、山茶花の鮮明な赤。「川に散る」と置かれたことで、山茶花の華やぎと、いくらかの哀感を覚えるが、「つづきをり」と結ばれて、ドラマティックな造形美がどこまでも印象的だ。「阿蘇」4月号より抄出。(Midori)

虚子忌Ⅱ

2018-04-10 | Weblog
幹にちよと花簪のやうな花     高浜虚子

 久しぶりに、『虚子俳話』を開いてみた。鎌倉を詠んだ句に出会えて嬉しかったが、掲句は『虚子俳話』の最後に掲載された句である。昭和34年4月5日の句ということは、虚子が亡くなる3日前の句。虚子は亡くなる直前まで、桜を見ながら、こんな素敵な写生を行なっていたことになる。大きな幹に、「花簪のやうな花」とは、何と的確で、チャーミングな比喩!
 60年前の4月8日、その日は桜の枝が折れるほどの風が吹いていたと、椿先生が仰っていた。(Midori)

虚子忌

2018-04-09 | Weblog
鎌倉観光も兼ねて、寿福寺で開催される虚子忌に初めて参加してきました。今年は、60回目とあって176名の参加。本堂は参加者で一杯でした。法要の後、13時までに3句投句。互選の披講のあと、星野高士、星野椿、稲畑廣太郎、各先生方の選の披講、最後に御一人ずつお言葉を頂きました。(汀子先生は、風邪のため欠席) 私は、それぞれの先生から、思いがけず2句ずつ採っていただき、まさにビギナーズラック!句会は、家族的な雰囲気の中、滞りなく終了。楽しくまた良い経験をいたしました。(Midori)

はらと散り有情の花となる忌日   
忌ごころを抱けば散りゆく桜かな  *廣太郎選
山路来て虚子の手をひく春の夢
 
  *廣太郎選 



春の風邪

2018-04-06 | Weblog
五番街あたりでもらひ春の風邪     西 美愛子

春の風邪を、どこで貰ったのか?現実的な場所をここで提示したとしても、それはただの報告。しかし、「五番街あたり」と、大胆に言ってのけた作者である。春の風邪らしい優雅さと、ドラマティックな想像の膨らむ作品である。「阿蘇」4月号の巻頭句。(Midori)

春落葉

2018-04-04 | Weblog
喪心に春落葉踏みしめてゆく     岩岡中正

2月10日、熊本の作家、石牟礼道子さんが亡くなった。その翌日の火の国探勝会とあって、会員の誰もが哀悼の思いを深くしながらの吟行会となった。作者は、石牟礼道子さんを良く知る人の一人。「踏みしめてゆく春落葉」ではなく、「春落葉踏みしめてゆく」である。前者は「春落葉」に力点が置かれるが、後者は、「踏みしめてゆく」に力点が置かれる。今月号の『俳句管見』の末尾に、「何を考え何を石牟礼さんから引き継いだらいいのか。すべてはこれから始まる」と結ばれている。「踏みしめてゆく」は、喪失感から脱却への一歩のような気がした。「阿蘇」4月号〈近詠〉より抄出。(Midori)

2018-04-02 | Weblog
炉話にあつまつて来る魑魅かな
眠りたる山の頂きより朝日
青白き星の匂ひや雪女
太陽を恋うて痩せゆく雪うさぎ


*「阿蘇」4月号、岩岡中正選

【選評】魑魅とは山や木石に宿る怪物。炉話をしていると、この山の魑魅まで聞きにくる。まるで遠野物語のように楽しく豊かな「炉話」の世界が、よく描けている。(中正)

「炉」は、自分自身に課した兼題でした。「炉話」に広がる想像の世界が何とも楽しげで、山の精霊たちもみんな集まってくるような気がしました。(Midori)