十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

2015-05-31 | Weblog
流し雛天地有情のふところに     所玲子

流し雛の行方をじっと見守る作者であるが、「天地有情のふところに」とスケールの大きな展開である。虚子の説く「天地有情」という観念的な言葉から、「ふところに」と飛躍することによって、壮大なロマンが生まれた。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

若葉

2015-05-30 | Weblog
妻はパンセなど読んでをり窓若葉     岩岡中正

フラゴナールの代表作、「読書する娘」をふと思い出す。読んでいる本が「パンセ」だからか、あるいは「窓若葉」によって本を読んでいる場所や構図が想定できるからだろうか。「パンセなど」の「など」の措辞によって引き出されるものは、いかにも平和で、ゆったりとした豊かな時間。「窓若葉」の季語の選択によって、日常のほんのひとコマを美しく透明感のある詩に変えている。「阿蘇」6月号より抄出。(Midori)

海苔

2015-05-29 | Weblog
春灯や曲のはじめのピアニシモ
海苔掻くや水平線に舟つなぎ
運気いま乱調にあり花万朶
万葉のひかりの中や蓬摘む     みどり

*「阿蘇」6月号、岩岡中正主宰選

  有明海は、干満の差が大きく、海苔の養殖には最適な環境です。満潮の時は、海の栄養を十分に摂取し、干潮の時は太陽の光をたっぷりと浴びて、海苔は大きく育つのです。今年も水平線にはたくさんの海苔篊が並んでいました。(Midori)

天牛

2015-05-28 | Weblog
天牛のどこから星を負ふてきし     渡辺久美子

「天牛」とは、想像上の動物の名のようだが、カミキリムシの中国名で、長い触角を牛の角に喩えたもの。天牛にはいろんな種類があるようだが、一番親しみのあるものは、何といっても黒っぽい翅や触覚に、白い星のある天牛である。「どこから星を負ふてきし」と、作者の素直な問いかけが魅力的な一句だが、「天牛」と「星」の言葉の響き合いに、宇宙のロマンを感じさせる一句でもある。句集『立田山』(「阿蘇」叢書)より抄出。(Midori)

金魚

2015-05-25 | Weblog
しやがむより金魚掬ひの目となりし    深見けん二

地べたに置かれた金魚掬いの水槽を見ても、はじめは金魚掬いを実際にやってみようとは思ってはいなかったはずである。しかし、ふとその気になって、「しやがむ」ことより変わる心の動きを、「金魚掬ひの目となりし」と表出されて見事である。句集「菫濃く」より抄出。(Midori)

時鳥

2015-05-23 | Weblog
忘るゝが故に健康ほととぎす    高浜虚子

人間の脳は、寝ている間にその日の記憶を整理整頓して、必要な記憶と不必要な記憶を振り分けるのだそうだ。忘れっぽいと託つより、そもそも必要でなかった情報だったと思えばいくらかは諦めもつく。さて虚子は、感覚として、あるいは諦観からか、忘れることが健康につながることを信条としていたようだ。「ほととぎす」は自己投影とも思われる。第4版「虚子俳話」より抄出。(Midori)

霾る

2015-05-22 | Weblog
カタカナ語話すロボット霾れり     佐藤時子

カタカナ語とは、外来語や英語のカタカナ表記らしいが、最近は特に増えているような気がする。「尊敬」が「リスペクト」となると、直接的な言葉の意味が薄らいでしまう気がするが、それだけ人と人との関係が希薄になっているのが現実なのかもしれない。さて、掲句にも「カタカタ語」があるが、この場合のカタカナ語は、一字一字区切って話すロボットの話し方を指している思われる。配された季語は、「霾れリ」。カタカナ文化に、「霾れリ」の漢字は何と複雑で難しいことか・・・。「滝」5月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

地虫出づ

2015-05-21 | Weblog
声継ぎて読経のびやか地虫出づ     原田健治

読経とて息継ぎは必要。声を継ぐたびに、声の調子は大きく変わり、聴くものの心にも響く。「読経」と、「地虫」。地虫にはじまる森羅万象の目覚めである。「滝」5月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

風光る

2015-05-20 | Weblog
風光る張れば滴る舫ひ綱     及川源作

船が風に吹かれ、海中に沈んだままの舫い綱がピンと海上に引つ張られたのだろう。舫い綱を滴る海水が、太陽の光に輝いてまるで生まれたばかりのようだ。早春の海辺のワンカットに、漁の始まりを予感させる生命感あふれる一句である。「滝」5月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

土筆

2015-05-19 | Weblog
土筆野に忘れしダリの時計かな     鈴木要一

ダリの代表作の一つ、「記憶の固執」の中に描かれた時計は、ゆっくりと融けてゆくカマンベールチーズからの発想だというが、まるで時間そのものまでも融けていきそうなシュールな絵画である。時間はいつの間にか人を束縛してしまうものだが、土筆野に広がっているのは、時間の観念ではなく、郷愁であり、春到来の喜びである。「土筆野」に置かれた「ダリの時計」。土筆野に、歪んだやわらかな時間がゆっくりと広がっていくのだろうか。「滝」5月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

目借時

2015-05-17 | Weblog
ひらがなの崩るる午後の目借時     あいざわ静子

午後からの講座など、講師の声もふっと遠ざかって、心地よい眠りに襲われる。眠ることが許されない時間、襲ってくる睡魔と戦いながらの文字は、つい崩れがち。崩れている「ひらがな」は、眠気と懸命に闘っている作者の姿にも似ている。「滝」5月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2015-05-15 | Weblog
診られてる時間の先は朧にて     相馬カツオ

体調不良の原因が何なのか解らず、医師に診察してもらう時の何とも言えないあの時間。問診、触診、聴診などの診察のあと医師の下す診断を待つ間、不安感は最高潮に達する。「診られてる時間の先」とは、このような時間ではないだろうか。「朧にて」とは、診断が下される前のファジーな時間、あるいは診断そのものが「朧」だったとも言える。まさに心理的な臨場感のある「朧」である。「滝」5月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

白れん

2015-05-14 | Weblog
はくれんに月蝕の闇迫りけり     鈴木三山

2015年4月4日、今年も日本全国で皆既月食を観測することができた。月蝕が進むにしたがって、刻々と迫ってくる闇を、「月蝕の闇」と捉えて、詩情高い。また「はくれんに」と、焦点が絞られて、月蝕の闇の迫りくる臨場感を見事に表出することができた。「はくれん」の白さが闇に際立つ一句である。「滝」5月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

2015-05-13 | Weblog
古雛の白きがんばせ太柱     木下あきら

古雛の佇まいの中で、「白きがんばせ」に焦点が絞られたことによって見えて来るものは、面長な顔に切れ長な目、能面に似た静かな表情である。愛らしいイメージの雛とは違って歴史を感じさせる古雛の風格が辺りを圧しているようだ。下五に置かれたのは、「太柱」。どっしりと時を支えてきた太柱が、存在感のある措辞となって一句をしっかりと支えている。「滝」5月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

花御堂

2015-05-12 | Weblog
花御堂袖を離さぬ幼女かな     菅原鬨也

4月8日の仏生会。釈迦の誕生像が安置された小さな御堂は、様々な花で飾られている。この日はちょうど小学校の入学式。入学式を終えたばかりの母子だろうか。着物姿の母に連れられた少女であることは、「袖を離さぬ幼女かな」の措辞によって、容易に想像することができる。「花御堂」の華やぎの中の静謐と、美しく着飾った母子の非日常の緊張感が、微妙に響き合って、美意識の高い作品となっている。「滝」5月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)