十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

大歳

2008-12-31 | Weblog
大歳の引けばかたかた厠紙    菊田一平 
                             句集 「百物語」
今年、2008年の漢字一文字は、世相を最も反映した「変」が選ばれた。
政治の変、経済の変、気候の変・・・、思えば私にとっても楽しくてちょっと変な一年だった。
掲句、厠紙といえばトイレットペーパーだが、厠も随分と文化的な空間に変わった。
何でもない一つひとつが、とても貴重なもののように思えるのは、大歳だからだろうか。
新しく生まれ変わった2009年が、「引けばかたかた」と、来そうな気がした。(みどり) 

下り簗

2008-12-30 | Weblog
落ち延びしものにまたある下り簗     大川内みのる
                                   「阿蘇」1月号<雑詠>
下り簗は、川の瀬を両岸より杭や竹などで堰き止め、一か所をあけて、
そこに簀を張り、落ち鮎を捕らえる仕掛のことを言う。掲句、人間の営みでありながら、
自然界と人間の関わりに不条理と哀しみを覚える。作者ならではの発見が、
無理なく伝わり、命のきらめきと哀しみを感じた。
下五に置かれた「下り簗」が、清冽な詩情と余韻を与えている。(みどり)

2008-12-29 | Weblog
詩湧いてこぬかと泉覗きけり     永野由美子
                               「阿蘇」1月号<雑詠>
熊本は、水と緑の豊富な自然豊かな美しいところだ。南阿蘇には、
日本名水百選の白川水源をはじめ、たくさんの湧水が多くの人で賑わっている。
俳人は、とにかく何でも覗いてしまう。真砂子が躍る泉を、じっと見ていると
いつか詩が湧いてくるのではないかと期待するのは、私だけでないらしい。
季語を、思わぬ側面から切り取って、「阿蘇」今月号の巻頭となった。
作者は、ホトトギス同人。(みどり)

2008-12-28 | Weblog
崖といふあやふきところより冬に     岩岡中正
                                   「阿蘇」1月号<近詠>
崖というと、断崖絶壁。立ち止まるしかない場所だ。
しかしここでは即物的な「崖」の概念だけでなく、心象的な「崖」を想像する。
危うきところ・・・それは自分の心の淵に立ちはだかる崖かもしれない。
宮崎駿原作の「崖の上のポニョ」は海沿いの街を舞台に、人間になりたいと
願う魚の子、ポニョの物語であった。俳句は自然との存問だと言う作者の
求める詩情は、どこへ向っているのだろうか・・・
岩岡氏は、伝統俳句協会理事。「阿蘇」主宰。(みどり)

ぽつぺん

2008-12-27 | Weblog
再会の夜はぽつぺんを吹きにけり    中田尚子
                                  「俳句」1月号
「ぽっぺん」と言うより、ビードロと言った方がわかりやすいかもしれない。
ビードロは、ガラスの弾力性を使った玩具で、息を軽く吹き込むと、
底の部分がとても薄くなっていて、「ポッペン!」と音が出る。
再会は、きっと「ちゃん」付けで呼び合う仲間だろうか・・・
ぽっぺんの音に昔の笑顔が戻ってきそうだ。今月、扉作品より掲出。
中田氏は、昭和31年生れ。「百鳥」編集長。(みどり)

2008-12-26 | Weblog
やがてまた海境濡らす鯨かな   渡辺誠一郎
                             「俳句」1月号
俳句は一瞬を切り取る文芸だとすると、やや反する作品だとも言えるのだろうか。
どこか鯨の定義のようでありながら、さらりとした詠み方に不思議な余韻を感じた。
それは、生命の営みにある哀しみのようなものかもしれない・・・
何より、「ウ」音の調べのよさ、そして「海境濡らす」に大きな詩情を覚えた。
渡辺氏は、宮城県生まれ。「小熊座」編集長。(みどり)

2008-12-25 | Weblog
嚏して小言の枝葉忘じけり   山田真砂年
                           「俳句」1月号
ぶつぶつと不平や文句を言うことを「小言」といい、「小言を並べる」などと言う。
小言は、次第に枝葉末節まで及び、言われている者より、言っている本人の方が
興奮している場合も多いものだ。そこへ予期せぬ嚏に小言の枝葉が吹っ飛んだのだ。
「小言の枝葉」という形容により、抽象的な概念に具象性をもたらし、読者に鮮明な
イメージを結ばせてくれる。山田氏は昭和24年生れ。「未来図」同人。

毛皮

2008-12-24 | Weblog
毛皮着て妹駅に降り立てり    高本和子
                            句集 「玉名」
ただ、これだけのことなのに、情景がすっと浮かび上がる。
そして、何も語らない作品に作者の微妙な心模様を感じた。
句集の序文には、農家に生れ、実家の農業を手伝っていると書かれているが、
タイトルにもなっている玉名は、熊本県北に位置し田園が広がる長閑な町だ。
近くの駅に降り立った妹を誇らしく思いながらも、一抹の寂しさも交叉している。
高本氏は、昭和17年、熊本県玉名市生まれ。「白桃」同人。(みどり)

寒気団

2008-12-23 | Weblog
寒気団押し寄せ道理引込める    樋口 保
                               句集 「玉繭」
西高東低は、冬型の典型的な気圧配置だが、シベリアからの寒気団に、
日本列島は凍えてしまう。さて、「無理を通せば道理が引っ込む」の諺によれば、
無理は道理より強いものらしいが、寒気団が押し寄せれば、道理を引っ込めると
いう作者だ。大自然の脅威が相手では、道理に勝ち目はないものらしい。
ユニークな発想にとても俳諧味を覚えるが、どこか自嘲の思いもあるのだろうか・・・
樋口氏は、長野県生まれ。「橘」同人。平成19年、第一句集を文學の森より出版。

年忘

2008-12-22 | Weblog
御一行様とは豪華年忘    岩岡中正
                         句集 「春雪」
ホテルや旅館などの忘年会会場でよく見られる、歓迎の「御一行様」の文字だ。
たいてい、企業や学校、同窓会などの団体の名前がずらりと並んでいる。
そして、その仰々しさにかすかな驚きを感じながらも、どこか安堵感もあるものだ。
「御一行様とは豪華」の飾らない表現に、可笑しさと共感を覚えた。
年忘れは、こんな豪華に・・・。そしてささやかな新年を迎えたい。
「阿蘇」主宰の第一句集「春雪」より。(みどり)

湯豆腐

2008-12-21 | Weblog
湯豆腐の出汁は日高よ利尻よと    菊田一平
                                句集 「百物語」
湯豆腐は、鍋に昆布を敷き、水を張った中に一口大に切った豆腐を入れ、
温まったところを引き揚げてつけダレで食べる、冬の代表的な鍋料理だ。
なにしろ豆腐、水、昆布だけの材料なのでそれだけに高品質なものが求められる。
「日高よ利尻よと」の昆布へのこだわりが、湯豆腐をますます一流の味にする。
省略の利いた昆布の産地の畳みかけは、リズム感もありとてもユニークだ。
今日は、冬至。湯豆腐に、柚子をギュッと絞って暖まるのもいいかも・・・
菊田氏は、宮城県生まれ、東京在住。「や」「豆の木」「晨」同人。(みどり)
*出汁には「だし」とルビあり。

冬の月

2008-12-20 | Weblog
冬の月三日逢はねば懐かしく   森 敏子 
                             句集「薔薇枕」
2008年もやがて終ろうとしているが、一年の過ぎる早さには驚かされる。
月日は、年齢とともに早く感じられるものらしいが、ここでは3日である。
一時の別れから、3日も逢わないうちに、もう懐かしく思っている・・・・。それは、
恋心というよりも、慈愛にも似たやさしさを感じるのは、「冬の月」だからだろうか?
今年8月、ふらんす堂より出版された第一句集「薔薇枕」の一句だが、他に、
「会ふのみは逢瀬に非ず薔薇館」がある。「懐かしく」にはない、まさに情念だ。
森氏は、昭和10年、福岡県生まれ、「白桃」同人。兄は俳優の高倉健。(みどり)

菊日和

2008-12-19 | Weblog
衣擦れの遠のくロビー菊日和     池添怜子
                                「滝」12月号<滝集>
衣擦れというと、やはり和服の裾の擦れ合う音を想像する。
小粋に和服を着こなした熟年?女性の後姿を見送っているのだろうか・・・
心地よい緊張感の漂うロビーで、誰かを待っている作者なのだ。
「菊日和」に明るい陽射しと、上品な華やぎを覚えた。(Midori)

赤い羽根

2008-12-18 | Weblog
小さき子の小さき風生む赤い羽根    三浦しん
                                  「滝」12月号<滝集>
今年も、10月になると地域の班長さんが赤い羽根の募金活動にやって来た。
赤い羽根の先に付いていた針は、いつの間にか、粘着テープに変わっている。
掲句、幼い子どもが胸に赤い羽根をつけていたのだろうか・・・
「小さき風生む」が、まるで小さな幸せを運んできたかのように思えた。
喪失感、閉塞感の多いこの世の中にあって、小さな温もりを感じた。
小さな風は、大きな風となって世界中の子どもたちを救うのだろうか。(Midori)

秋高し

2008-12-17 | Weblog
想はざり秋高き日の別れとは     佐藤憲一
                                「滝」12月号<滝集>
いきなり、「想はざり」という終止形の否定にはじまっている。
具象性は少ないが、「秋高き日の別れとは」の「ア」の母音のリフレインに、
作者の思いが切々と伝わってくる。別れは突然にやってきたのだ。
高く晴れ渡った空が、一層悲しみを深くすることがあることを知った。
「虫の音に送られ母の逝きにけり」が、この後に掲載されている。(Midori)