十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

銀杏落葉

2019-11-28 | Weblog


福岡県星野村の大銀杏。ちょうど黄葉が散ったばかりで、まるで東山魁夷の世界!言葉による写生は何と陳腐なことか。泪。(Midori)

   手のひらに銀杏黄葉といふ光

「阿蘇」11月号Ⅲ

2019-11-25 | Weblog
もう見えぬ少年の日の天の川     土屋芳己

「もう見えぬ」という断定が、いかにも切ない。見えないのは、自分自身の加齢もあるかもしれないが、町や村が夜になっても明る過ぎるからだ。一抹の淋しさを伴いながら、立ち上がって来る映像は、夜空に輝く「少年の日の天の川」という相反した郷愁の構造となっている。(Midori)

木の葉髪

2019-11-21 | Weblog
今回の兼題は、『木の葉髪』。季語の解説によれば、「髪は常に生え変わっているが、特に初冬には抜け毛が多くなる。」とあるので、年齢とは無関係だと思われるが、老いのイメージがどうしても付きまとう。そんなイメージを少しでも払拭すべく二句。(Midori)

   紅さして鬼女となりたる木の葉髪
   木の葉髪束ねて空いろのピアス      *中正選 in NHK 

「阿蘇」11月号Ⅱ

2019-11-17 | Weblog
気迫ふとゆるみて秋となりにけり     山下さと子

「気迫ふとゆるみて」という感覚は、記録的な猛暑を乗り越えてきたという思いの表出であり、「秋となりにけり」の安堵感へと繋がってゆく。映像を持たない一句でありながら、大きな共感を覚える作品である。(Midori)

「阿蘇」11月号Ⅰ

2019-11-12 | Weblog
ひしめける死霊生霊芒原      岩岡中正

ぎょっとしたのが正直な第一印象だった。しかし、この凄味に次第に慣れるに従い、時空を超えた詩情がふつふつと湧いてきた。まるで六条御息所の生霊が彷徨っているかのようでもある。「芒原」に幻想的な人間の生き様が、今に蘇る一句ではないだろうか。「阿蘇」11月号より抄出。(Midori)

立冬

2019-11-08 | Weblog
11月8日は、立冬。昼間の陽気は、立冬とは言えないほどだが、道を歩けば草木はすっかり枯れ果て、自然は確実に冬を迎えている。さて、昨日の兼題も「立冬」。映像を持たない季語は、イメージを構築するべき具象が必要となるので非常に難しい。我が家から見えるものと言えば、なだらかな山々と刈田。身近な存在に改めて目を向ければ、どこかしら冬の気配を纏っていた。(Midori)

   しんと山暮れて乾坤冬に入る     *中正選 in NHK

菊人形

2019-11-04 | Weblog


熊本県菊池市の菊まつりでの吟行。南北朝時代の菊池一族の勇壮な菊人形が並ぶが、黄色の小菊はまだまだ蕾。それでも戦国の世の哀しみが伝わる見事な句がたくさん出句された。(Midori)

    舞台いま訣別のとき菊人形     *岩岡中正選 in 探勝会