十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

煤逃

2017-02-28 | Weblog
残生の輝けるとき実千両
煤逃の茶房に聴けるボブディラン
宛先は星の棲む街クリスマス
神々の私語もまじれる年の市


*「阿蘇」3月号、岩岡中正選

平均寿命が90歳近くまで伸びたと言っても、明日の命はわかりません。昨年末、ちょっとしたことで、残生について深く考えさせられることがありました。万両ほどでなくても、千両ほどの贅沢な時間を過ごしたいものです。(Midori)

白梅

2017-02-26 | Weblog


蓮華院誕生寺は、たくさんの観光客を迎えて、お坊さんは、大茶盛のもてなしに、大忙しでした。広大な敷地には、梅林もあり、白梅、紅梅、濃紅梅と、それはそれは見事でした。(Midori)

白梅の抜苦与楽の香を放つ

盆梅

2017-02-25 | Weblog


熊本県北の蓮華院誕生寺の盆梅展に行ってきました。参道の仮設のテントには、白梅紅梅の見事な盆梅がずらりと並んでいます。樹齢百年を越える盆梅は、まさしくストイック!究極の美は、いま満開を迎えていました。(Midori)

盆梅の余白は百年の美学

2017-02-24 | Weblog
雪の中指触れあひて手話の止む      宇野成子

雪が降る中、距離を置いた二人が、手話によって会話を交わしている。きっと、雪の中にあって、互いの身を案じているのだろう。やがて、距離が縮まって、ついに二人の指が触れた時、もう手話は要らない。「手話の止む」という五音が語り尽くしているドラマチックな展開に、ただただ感動を覚えた。「滝」2月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

初雪

2017-02-22 | Weblog
初雪を受くる掌にある微熱かな     鈴木三山

初雪を掌に受ける喜びは、いつの世も、いくつになっても同じである。「微熱」が、単なる風邪の熱であるならば、詩情は失われてしまうが、ここでの「微熱」は、内在する若々しい生命のエネルギーではないだろうか。「初雪」と「微熱」の温度差に、在りし日の青春の日々が偲ばれた。「滝」2月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

久女の忌

2017-02-20 | Weblog
待つ人の居る憂さ少し久女の忌     長岡ゆう
唐紙のこちらは物を思ふ部屋         〃


 「待つ人の居る」ということは、幸せである反面、窮屈でもある。お握り持参で俳句に没頭した久女にとって、「待つ人が居る」といいことは、彼女の自由を奪うことにもなったことだろう。
 「唐紙」一枚のあちらとこちら。「こちら」が、「物を思ふ部屋」であるならば、あちらは、共有スペースというところだが、唐紙一枚の薄さは、どこか現実的でもある。「滝」2月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

蜜柑

2017-02-19 | Weblog
反撥の黙あり蜜柑剥いてをり     栗田昌子

互いに譲らず、反撥し合い、いまだ解決の糸口すら見つからないでいる二人である。二人の間にあるのは、ただ沈黙だけである。しかし、余裕があるのは、作者の方。「蜜柑剥いてをり」という一つの動作が、何かのきっかけにも繋がるのだろうか。日常のひとコマを、「蜜柑」という日常の果物で巧く伝えている。「滝」2月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2017-02-17 | Weblog
雪しづくうなじに垂れて写楽顔     鈴木要一

一読して、吹き出してしまった。「写楽顔」を想像するのに時間はかからない。両手を不恰好に前に広げ、目と眉は吊り上り、口はへの字に大きく曲がっている。どんな二枚目も、項に雪雫を受ければ、きっとこんな顔になるに違いない。一度、作者にお会いしたことがあるが、噂通りのダンディーな紳士であったことを思い出す。「滝」2月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

冬牡丹

2017-02-16 | Weblog
黒き目が冬の牡丹の縁炙る     成田一子

牡丹の花びらのくっきりとした縁どり、やや内側に反った感じは、日本画に描かれた牡丹の花を見ると、その特徴が顕著に現れている。「縁炙る」という把握は、一見、強烈な印象を与えるが、牡丹の在りようを独自の感覚で伝えているのではないだろうか。観賞用とされる「冬の牡丹」であれば、「黒き目が」という措辞も納得である。「滝」2月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)
 

風花

2017-02-15 | Weblog
風花や天より剥がれたる詩片
梟の森に息づく闇ありぬ
波音の渚に砕け野水仙
竜の玉魔神のやうな山影に

*「滝」2月号、成田一子選


【選評】
静かに風花の空を見上げていたら、ふと詩のかけらを賜った。真青な冬空とちらちら流れる雪のコントラストの中に、充足感につつまれている作者が見える。賑やかで華やかな世界は心を高揚させるが、本当に何かが生まれるのは、ただ無心で風花を見ているこんな瞬間なのだと思う。「天より剥がれたる詩片」の措辞は見事としか言いようがない。(一子)

バレンタインデー

2017-02-14 | Weblog
私の胃袋は、医師によるとハートの形をしているらしい。半世紀以上も生きて来て、そんなことを言われたことは一度もないのに、いつの間にそんな形に変わってしまったのか?若いイケメンの医師ではあったが、まさか胃袋がハートの形になるはずもない。別段、不都合があるとも、異常だとも言われなかったので、まあいいか。(Midori)

  愛情の個別包装バレンタインの日

花菜風

2017-02-12 | Weblog
俳誌「阿蘇」の探勝会で、熊本県三角町の西港まで行ってきました。車で海岸線を縫うように行けば、前方に冠雪した普賢岳。やがて、天草と九州本土を結ぶ一号橋。車を降りて、展望台まで登れば、早春の空と紺碧の海に、かつての切支丹文化が偲ばれました。(Midori)

ハライソへ架かる大橋花菜風

石蕗の花

2017-02-10 | Weblog
浄財のことりと鳴りぬ石蕗日和      堀 伸子

浄財の「ことりと」というオノマトペが、印象的な一句である。「ことりと」という小さな乾いた音に、境内の温かさや静寂を感じさせる。一人で近くの神社に詣でた時だろうか。「石蕗日和」と置かれて、懐かしいような神社の佇まいが見えて来た。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)

鴨来る

2017-02-08 | Weblog
鴨来るこころの余白充たす空      瀬戸口清子

「こころの余白」は、年齢とともに広がって行くもの。それは心のゆとりでもあるが、淋しさでもあるだろうか。 さて、北方の空から飛来した鴨である。きっと作者も待ちわびていた飛来であったに違いない。秋の空のように漠と広がる作者の心も、次第に充実感に漲って行くのだろうか。 「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)

2017-02-06 | Weblog
揺れ止まぬ心に止まれ秋の蝶     門崎博雄

「揺れ止まぬ心」とは、動揺や不安を抱えている、ということであるが、揺れるはずのない心が、まるで揺れているかのような錯覚を覚える。そこに、「止まれ」という一途な願望である。もし、秋蝶が上手く止まることができたならば、心の揺れもふっと収まりそうな気がする心象句である。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)