十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

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2013-09-30 | Weblog
人間といふ一塊の汗まみれ      岩岡中正

勤勉は人間の美徳であり、自然災害が多い日本にとって、勤勉は復興への一番の原動力となった。しかし勤勉は必ずしも大きな成果をもたらすとは限らない。一見、無意味だと思われることにさえ、ひたすら汗して励んでいたり・・・。きっと俳句もその一つなのかもしれない。今年は、例年にない猛暑の中、手に汗し、額に汗し、むやみに動けば全身汗まみれとなった。「一塊の汗まみれ」と、自嘲気味ではあるが、真に愛すべき人間の姿が、ここにあるような気がした。「阿蘇」10月号より抄出。(Midori)

コスモス

2013-09-29 | Weblog
コスモスや風の形見の円舞曲     越谷双葉

四季や方位の名を冠して名づけられたり、地域によって固有の名前を持つものも多いが、風は空気の流れである。風そのものは、捉えようもなく、容器に入れた途端、それはただの空気。物として保存することは不可能だ。しかし、「コスモスや」と置かれて、「風の形見の円舞曲」という発想は楽しい。円舞曲に合わせて、コスモスが風に舞うさまが見えるようだ。「滝」9月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

夜の秋

2013-09-28 | Weblog
青林檎噛めば宇宙の匂ひせり
哀しみを脱ぐごと月見草ひらく
蟻と蟻行き交ふ朱雀大路かな
行間に寄する波音夜の秋     平川みどり


*「滝」9月号〈滝集〉菅原鬨也選 

青葉

2013-09-27 | Weblog
青葉若葉して看護師の喉ぼとけ     森田光子

かつては看護師というと女性の職種であったが、今では多くの男性の姿が見られるようになった。窓から見える青葉若葉が眩しい季節、お世話になった看護師さんだろうか。きっと青葉若葉のように弾けるような若さと強さをもった頼もしい青年だったに違いない。明るい日差しが作品一杯に溢れ、「喉ぼとけ」という素朴な措辞にも、若々しい命の輝きが感じられて良かった。「滝」9月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

青葡萄

2013-09-26 | Weblog
涙するための旅なり青ぶだう      小林邦子

旅の目的は、観光ではなく、「涙するための旅なり」と、言い切っている。楽しいはずの旅が、涙するための旅だとすると、辛い旅に違いないが、それでも何かと決別し、新しい自分に出会いたいと願う作者なのだ。青葡萄は、まだ熟する前の青々とした堅い実。旅の行き先は葡萄の産地かも知れないが、青葡萄に投影された作者の心かもしれない。「滝」9月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2013-09-25 | Weblog
泉掬ひ運命線の揺らぎをり      桜井幸宏

清らかな泉を見れば、手に触れてみたくなる。冷たい感触とともに掬った水は、この上もなく透き通り、手のひらの運命線がくっきりと見えることだろう。「運命線の揺らぎをり」とは、その時のリアルな描写でありながら、「運命線」となれば、ゆらゆらと揺らいでいては困ってしまう。しかし、作者の意図がそこにあることは明白。どこか俳諧味を覚えて楽しい。「滝」9月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

万緑

2013-09-24 | Weblog
万緑の中を舟唄すべり行く     鈴木幸子

日本の地形の特徴の一つに渓流がある。自然の造化は、四季折々の渓流の美しさを見せてくれるが、清涼な川の流れや豊かな木々の緑に触れることのできる夏は、渓流の一番の魅力だ。さて、万緑の渓流を滑って行く一艘の舟。万緑にこだまする舟唄が心地よく響き、清々しい開放感を覚えた。「滝」9月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2013-09-23 | Weblog
夕ひぐらし流離の果の帽子かな     菅原鬨也

流離は、故郷を離れて他郷をさまようことだが、ここでいう「流離」は現実的なものではなく、心象的な流離ではないだろうか?自己の可能性やアイデンティティの確立、何かを求めて彷徨い、その果てに辿りついたところは、一体どこなのか・・・。それがどこであれ、「夕ひぐらし」が配されたことで、感じられるものは、心の安寧である。帰還兵の帽子をふと思ったが、帽子が流離を共にした帽子だとしたら、作者にとって感慨深い存在であり続けるのだろう。「滝」9月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

秋扇

2013-09-22 | Weblog
考への闇をたたみし秋扇      梶原美那

「考え」とは、「考えること。また、考えて得た結論、判断、予測、決意など」と、辞書にはあるが、考えて得たものを、必ずしも相手に伝えるとは限らない。「考えの闇」とは、そんな心に仕舞ってしまうようなものではないだろうか。秋扇を開いて、述べる一つの考えもあれば、一方で、秋扇にたたんでしまう考えもあるようだ。秋扇ならではの諦観も感じられる。「俳句」9月号より抄出。(Midori)

霍乱

2013-09-21 | Weblog
霍乱や写楽のごとき眼して    仙田洋子

「鬼の霍乱」と言いながら、「霍乱」の本来の意味はもちろん、「霍乱」が季語であることを知ったのは最近のことである。今でいう霍乱は、激しい嘔吐や下痢を伴う急性胃腸カタルのことで、食中毒や暑気中によって起こるものらしい。写楽のごとき眼、写楽のごとき口・・・、霍乱は大変苦しむもののようだ。「俳句」9月号より抄出。(Midori)

涼し

2013-09-20 | Weblog
金色が朱に衰へて日涼し      岸本尚毅

太陽が金色から朱色に変化して見えるのは、地球上の空気の層による現象なので、「朱に衰へて」とは視覚が捉えた主観ではある。しかし、いかにも太陽の表面温度が低下したかのように見える朱色に、「日涼し」は納得ゆく措辞。夕日の色は郷愁を誘う色でもある。「俳句」9月号より抄出。(Midori)

糸瓜

2013-09-18 | Weblog
昔男ありけり糸瓜太りけり     大木あまり

これもまた、子規忌を修する句の一つと言えるのだろうか。どのような生涯を送ろうと、結局は「昔男ありけり」と結論づけられてしまえば、どう生きたのか想像するしかないのだが、「糸瓜太りけり」となれば、感慨は大きい。今年もまた大きく育った糸瓜を見れば思い出すのは、やはり子規のこと・・・。「俳句」9月号より抄出。(Midori)

子規忌

2013-09-17 | Weblog
子規さんの忌をぱたぱたと美顔水      武田奈

9月19日は、正岡子規の忌日。辞世の句3句によって、「糸瓜忌」ともいうが、へちま水は、咳止めに効用があるとされる他に、化粧水としてもよく知られている。「子規さんの」、「ぱたぱたと美顔水」と、親しみのある明るい措辞によって修す「子規忌」もまたいい。「俳句」9月号〈結社歳時記〉より抄出。(Midori)

秋思

2013-09-16 | Weblog
頬杖や秋思に重さありとせば      村上瑪論

ロダンの「考える人」は、思索にふける男性を描写したブロンズ像だが、その頬杖は、手の甲に深く顎を乗せ、苦悩の大きさを物語る。愁思に重さがあるとしたら、やはり頬杖にかかる重さと言えるのだろうか。「俳句」9月号〈結社歳時記〉より抄出。(Midori)

2013-09-15 | Weblog
母の日のメールの沙汰もなかりけり     内藤悦子

メールは、電子メールの略語で、瞬時に情報を伝達することのできる便利な手段だ。さて、母の日の当日。特に何かを期待するわけでもないが、メールくらいは送ってくれるかと待っている作者。ところが、「メールの沙汰もなかりけり」と、半ば嘆息交じりだ。しかし、根底にある親子の深い信頼が詠ませた一句には、愛すべき愚痴にも思えて楽しい。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)