十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

雲の峰

2008-09-30 | Weblog
推敲に閃く一語雲の峰    松木一恵
                         「阿蘇」10月号<雑詠>
『推敲』は、唐の詩人賈島が、「僧は推す月下の門」の「推す」を、「敲(たたく)」に
しようかと迷い、韓愈の助言で「敲」に決めたという故事に基づくが、
助言がなければ、自らの推敲に頼るしかない。
推敲に行きづまり、時間を置けば、ふと閃く一語に「これだ」という確かな感覚。
一句の達成感に、雲の峰も、眩しいほど輝いて見える・・・
一恵さんは、身近な素材をありのまま捉えながらも、詩に昇華できる俳人だ。
今月、「阿蘇」巻頭句。(Midori)

鹿

2008-09-29 | Weblog
野の果てに鹿のごとくに目覚めけり    岩岡中正
                                   「阿蘇」10月号<近詠>
鹿は秋の季語として和歌などに多く詠まれ、日本ではなじみ深い動物だ。
雄は秋になると、求愛のため独特の声で鳴き、角をつきあわせて戦いにも望む。
しかし、鹿のイメージといえば、やはり「非力」「大人しい」といったものだろうか・・・
第一句集、『春雪』には、「なにもかも途上にありて青き踏む」と詠む作者である。
「野の果てに」と、衒いのない謙虚な姿勢は、作者の俳句観そのものだと思う。
岩岡氏は、日本伝統俳句協会九州支部長、「阿蘇」主宰。(Midori)

落鮎

2008-09-28 | Weblog
落鮎の寂々と身の色鎮め   長谷川久々子
                          「俳句」10月号<一つきり>
鮎は、秋になると産卵のため下流域への降河を開始する。
これを下り鮎、または落鮎といい、夏に灰緑色だった体色は、
秋に成熟し、「錆鮎」と呼ばれるオレンジと黒の婚姻色へと変化する。
この婚姻色を、「寂々と身の色鎮め」と捉えた作者の感覚に共感を覚える。
命の極まりの色ともなった落鮎に、作者の厳粛なまなざしを感じた。
長谷川氏は、「青樹」主宰。(Midori)


銀河

2008-09-27 | Weblog
銀河濃し水の宅急便届く   浦川聡子
                         「平成秀句選集」
水を買う時代になって久しいが、すでに宅配も珍しくはなくなっている。
「水の宅急便」に、そんな文明批判などあるはずはなく、とても清々しい作品だ。
まるで、銀河の水が、魔女の宅急便で届いたかのような錯覚を覚えた。
着想のユニークさは、読者の想像力を大いに刺激する。
浦川氏は、石寒太に師事。「炎環」所属。

とりかぶと

2008-09-26 | Weblog
とりかぶと夜伽の紐の前結び   伊藤通明
                             「平成秀句選集」
鳥兜は、キンポウゲ科の多年草で青紫色の美しい花を咲かせる。
古代から猛毒植物として知られ、東西を問わず毒薬として用いられてきた。
前結びの紐を解くのは容易だ。それだけに容易く解いてはならない結び目・・・
思い切った二物配合と、官能的な華やかな世界に思わずどきりとした。
作者は、「白桃」で第22回角川俳句賞受賞。福岡市在住、「白桃」主宰。

ばつた

2008-09-25 | Weblog
犀の背の縫合や螇蚸跳ぶ   磯貝碧蹄館
                             「平成秀句選集」
「犀の背の縫合」と形容された犀の背の描写に、思わず納得させられる。
黒犀は鉄の鎧のような皮膚を持ちながら、夜行性の草食動物なのだ。
背の縫合から、まるで螇蚸が跳び出したかのような錯覚・・・
固有のイメージ、静と動の配合が読者の想像力を刺激する。
「縫合」には、万物の創造主の限りない愛を感じた。
作者は、第6回角川俳句賞受賞。「握手」創刊主宰。

流星

2008-09-24 | Weblog
流星群見て黎明の石と化す  泉田秋硯
                          「平成秀句選集」
今年8月9日夜、阿蘇九重高原で、ペルセウス座流星群を見ることができた。
流星は、小惑星が、地球の大気に突入し発光したものであるが、
放射点にある天球上の星座の名をつけてこう呼ばれている。
掲句、いつまでも飽きることなく流星群を見ている作者である。
そして、いつしか、黎明の石と化してしまうまで・・・・
まるで、作者が流星となり、隕石となって地球に落ちたかのような印象を覚えた。
「黎明の石」とは、俳界における作者自身なのかもしれない。 
泉田氏は、「苑」創刊主宰。(Midori)


大花野

2008-09-23 | Weblog
大花野ぼくの臓器鳴りました    安西 篤
                             「平成秀句選集」
先日は、古墳の民家村で篠笛の展示をはじめて見る機会を得た。
篠竹で作られるのでこの名があるが、横笛で7つの指孔があった。
掲句、臓器には「オルガン」とルビが振ってある。人間の身体には9つの孔があるが、
大花野で、臓器が楽器となって奏でる音はどんな音色なんだろうか・・・
安西氏は、金子兜太に師事、現在、海程会会長。
作句信条に、「人間に執し、その面白さや哀しみを詠む」とある。(Midori)


秋思

2008-09-22 | Weblog
右頬は秋思の指のゆくところ   西 美愛子
                            「阿蘇」<雑詠>
ふとした時に見せる手や指の表情は、言葉より饒舌に心を語るものだ。
指は、日常の哀歓がもっとも素直に現れるところかもしれない。
そして、「秋思の指」とは指にフォーカスされた秋思が想像を膨らませる。
美愛子さんは、今年「ホトトギス」同人になり、ますます輝いている女性だ。
右頬をはなれた指は、次に何を語ろうとするのだろうか。(Midori)


2008-09-21 | Weblog
有りて無きやうな径なり雨の萩    井芹眞一郎
                               句集 「梢風」
萩といえば、なぜか「源氏物語」を思い出す。
登場人物の思いは、四季を彩る草花に託されて、言葉以上に深く伝わってくる。
雨に濡れた萩に、ますます道を狭められている作者である。
「無きやうな径」を歩む姿は、眞一郎氏の俳句への矜持であり、
「雨の萩」の乱れるさまは、時に心の姿でもあるのかもしれない。
眞一郎氏は、ホトトギス同人、俳誌「阿蘇」の当季雑詠選者である。(Midori)

露の玉

2008-09-20 | Weblog
露の玉俳句は古格愛しけり     岩岡中正
                              句集 「春雪」
「古格」とは、花鳥諷詠を基礎とする有季定型を守ろうとする伝統俳句だ。
美しくもはかない露の玉・・・玉のように俳句を愛し、
露のように一瞬一瞬を大切に生きている作者を思った。
俳句に出合った青年期の心そのまま、俳句を愛する作者の思いが伝わってくる。
「阿蘇」主宰の還暦を迎えての第一句集「春雪」の中の一句だ。(Midori)

2008-09-19 | Weblog
握手するやうに泉に手をひたす  岩岡中正 
                             句集 「春雪」
久しぶりに訪れた阿蘇白川水源は、神々しいまでに透きとおり、
たっぷりの水を湛えていた。泉には、浄化と再生の力が漲っているように思えた。
「俳句は存問の詩」であり、「万物の存在のかなしみが、人に詩を詠ませるのだ」と、
語る中正氏は、いつも自然と一体化し、自然と語らっているかのようだ。
繊細な感受性と強靭な詩精神が溢れた句集でありながら、
一句一句はどれも、平明な言葉でつづられている。(Midori)


香魚

2008-09-18 | Weblog
山宿や香魚の肌の化粧塩  酒井恍山
                         「滝」9月号<渓流集>
渓流のせせらぎが聞こえてくる山宿で饗応された一品は、鮎の塩焼き。
おどり串を打った塩焼きは、鮎を最高に味わうための定番なのだ。
香気があって「香魚」とも呼ばれる鮎の身は、初夏を告げる味わいだ。
何の説明の必要のない作品でありながら、言葉の選び方に作者の美意識が伺われ、
山宿の、どこか艶やかな風情と情緒が感じられた。(Midori)

2008-09-17 | Weblog
手を拡ぐ蛇の長さに異議のあり    熊谷貴志子
                                「滝」9月号<滝集>
「こ~んなに長い蛇がいたんだよ」と、
興奮気味に、両手いっぱいに広げて見せてくれたのだろうか。
その両手を測る作者の冷静な目が、その長さに異議を唱えた。
「異議のあり」と俳句としてはちょっと異色な言葉ながら、
一句から立ち上がる映像は、非常に現実的だ。
「蛇」の本質的なものの感覚が、リアルに伝わってきた。(Midori)

棕櫚の花

2008-09-16 | Weblog
ポケットに男の稚気や棕櫚の花    仲村美佐子
                                「滝」9月号<滝集>
大抵の男がどこかに持っていそうな稚気、それは少年の心だ。
いつでも取り出せるところといえば、ポケットということだろうか?
棕櫚のすらりと伸びた樹形の美しさと、葉間に覗かせる粟粒のような花、
「棕櫚の花」との取り合わせは、不思議と納得させられる。
女性が、現実的である分、男の稚気は愛されるべきものだと思う。(Midori)