十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

撫子

2009-10-31 | Weblog
    撫子の咲く野の宿といふだけで    佐久間和子

阿蘇の草原には、淡紅色の可憐な撫子が咲いている。今まで、園芸用の品種改良した撫子しか知らなかった私には、何だか不思議な花を見る思いがしたものだ。しかし、和子さんは当然ご存知だったのだ。「撫子の咲く野の宿」という形容が、とても優しい。市内の喧騒から離れて、ひと時のくつろぎを撫子に求める思いがしみじみと伝わってくる。さらに、「というだけで」の省略の効いた表現に余韻が感じられた。「阿蘇」11月号巻頭作品。(Midori) 

秋風

2009-10-30 | Weblog
     秋風のふれてゆきたる点字板    岩岡中正

秋風が点字板に触れていったという、それだけのことである。しかし、それだけで充分に詩情を感じることができるのは、点字板の所為だ。俳句が即物の文学であり、「存在」の詩だと仰る所以がここにあるのかもしれない。点字は6つの盛り上がった点を組み合わせて表記される文字であるが、秋風の手のひらが、この点字に触れて、まるで点字を読んで行ったかのように思えるのは想像のしすぎだろうか・・・。秋風は、そこはかとない哀れを感じさせるものだが、それだけに、心をも癒してくれる。「阿蘇」主宰。「ホトトギス」同人。「阿蘇」11月号より抄出。(Midori)  

芋虫

2009-10-29 | Weblog
       芋虫の脚で笑うてくれにけり    ふけとしこ

芋虫をじっくり見たことがなかったので知らなかったが、芋虫の脚は、前方に3対、おなかに4対、しっぽのあたりに1対くらいが標準のようだ。そう言えば芋虫がひっくり返ったときに見た記憶によると、たくさんの小さな短い脚がうごめいていたようだ。それを、ふけさんは一句にした。確かに「脚で笑うてくれていた」のだった。「船団の会」会員。句集『インコに肩を』より抄出。(Midori)

2009-10-28 | Weblog
     計りごと着々秋を近づけて    稲畑汀子

秋は、読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋と、心身ともに充実する季節だ。「計りごと着々」に、そんな季節に相応しい楽しい計画が着々と進んでいる様子が伺える。しかし「計りごと」には、何かしら秘密めいたニュアンスも含まれていそうだ。「俳句」11月号特別作品50句には、「秋近し」の季語で3句掲載されていた。秋を待ちきれないでいらっしゃる汀子先生の高揚した思いが伝わってきた。「秋を近づけて」にやわらかな情感も覚える。「俳句」11月号より抄出。(Midori)

蔦紅葉

2009-10-27 | Weblog
     蔦紅葉息ととのへて君を待つ   金子 敦

紅葉といっても、初紅葉、柿紅葉、桜紅葉など、いろいろだが、蔦紅葉といえば、やはり教会、学校、図書館などの建物を想像する。この句も、読者を裏切ることなく淡い恋が詠まれているが、「蔦紅葉」がその甘さを、うまく抑制し、待合せの場所もおのずと想定できるようになっている。「息ととのへて」に作者の若々しい緊張感が伝わってきた。第三句集「冬夕焼」より抄出。(Midori)

秋螢

2009-10-26 | Weblog
     今生の狂ひが足らず秋螢     手塚美佐

狂うほどに夢中になれるものがあるということは、それだけ幸せなことだと思う。作者は、「狂ひが足らず」と仰っているが、裏を返せば、相当何かに狂っているということだ。それでもまだ狂いが足らないらしい。俳人であれば、狂うほどに感覚はますます研ぎ澄まされて行くのかもしれない。「秋螢」に、作者の今生の狂気が感じられた。昭和9年生まれ。「琅玕」主宰。(Midori) 

秋雨

2009-10-25 | Weblog
         秋雨にくたと五體の蝶番    高橋睦郎

今日は、久々の雨だった。秋雨前線が停滞すると、しとしとと降りつづく雨にどこか心までうすら寒くなる。「五體の蝶番」が、くたと外れるのもこんな日なのだろうか?旧字体の「體」の字に、複雑に組まれた骨格の中のたくさんの蝶番を想像した。作者は昭和12年生まれ。蝶番をもう一度締めなおすことはまだできそうだ。角川学芸出版「俳句手帖」平成21年版より抄出。(Midori) 

蓑虫

2009-10-24 | Weblog
       蓑虫の思案の糸の長短か    そね杜季

一本の糸にぶら下がっている蓑虫をよく見かけたものだが、最近では随分と少なくなってきた。糸は小枝や枯れ葉をつなぎあわて蓑をつくるためのものだが、その糸の長さはさまざまだ。それを、「思案の糸の長短か」とは、蓑虫は結構慎重な生きものらしい。『万葉集』に「蓑虫いとあわれなり。鬼の生みたれば、親に似てこれもおそろしき心あらむとて・・・」とあるように、「鬼の子」は蓑虫の異称となっている。しかし、どこか憎めないところがあるのは、「思案の糸」にぶら下がっているせいだろうか?「滝」167号〈滝集〉より抄出。(Midori)

赤い羽根

2009-10-23 | Weblog
     赤い羽根つけてどこへも行かぬ母   加倉井秋を

「赤い羽根」は毎年10月1日から一ヶ月間、社会福祉事業として定着している募金活動のことだ。今年も、地域の班長さんが赤い羽根をもってやって来た。そして毎年この句を思い出す。「どこへも行かぬ」とは、まるで自分の意志でどこへも行かない母のようだが、きっと外へ行きたくても行けない母上なのだ。赤い羽根をつけたら、ふっとどこへでも飛んでゆけそうな気がした。(Midori)

毛虫焼く

2009-10-22 | Weblog
     一睡の覚めて七十毛虫焼く    渡辺民子

一睡は、どれほどの眠りだろうか。昏々と眠りつづけていたのか、それとも、ほんの数分間の眠りなのか・・・。どちらにしても夢を見ることもない深い眠りから覚めたようだ。「四十九年一睡の夢一期の栄華一杯の盃」とは、上杉謙信の辞世の句だが、今、一睡から覚めたのは、七十歳の作者だ。「毛虫焼く」の夢まぼろしでない現実が、リズムよく淡々と詠まれ、哀歓のある作品となっている。古稀を迎えられた民子さんの人生は、まだまだこれからだ。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

夕焼

2009-10-21 | Weblog
       夕焼や前衛書家の夢一字    三浦柳子

月刊誌「俳句」のグラビアには、毎月、俳人の「一字入魂」が直筆により紹介されている。金子兜太の「山」、深見けん二の「水」、今月号、宮坂静生の「地」と、それぞれに個性的だ。そしてここでは、前衛書家の「夢」の一字だ。前衛とよばれる人たちが抱いているのは、限りない「夢」なのかもしれない。「夕焼」に託された作者の心情はどんなものだろうか・・・。名詞だけが語りかけてくる作品に、しみじみとした感動を覚えた。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

流星

2009-10-20 | Weblog
      星飛んでポストに銀のまぶたかな   小嶋洋子

10月21日の23時ごろ、オリオン座流星群の活動がピークになると予想されている。今、一躍大注目の大流星群だ。さて、「ポストに銀のまぶた」とは、あのポストの投函口にある銀色の小さな庇のことだろうか。何の変哲もないポストがこう詠まれると、流れ星に、銀のまぶたが一瞬、パチリとウインクしたような気がした。「沖」会員。沖新人賞受賞。角川学芸出版「俳句手帖」平成21年版より抄出。(Midori) 

2009-10-19 | Weblog
    鰯焼く苦節十年けぶらせて   高橋悦男

魚偏に、弱いと書いて「いわし」という。高級魚とは言えないが、誰でもよく知っている栄養価の高い魚だ。「苦節十年」が長いのか短いのかわからないが、十年しか七音に納まる数字はなさそうだ。脂ののった旬の魚はたくさんあるが、あえて「鰯」を選んだのはやはり「鰯」への自己投影だろうか。読む者まで鰯を焼く煙が眼にしみてくるようだ。「海」主宰。角川学芸出版「俳句手帖」平成21年版より抄出。(Midori) 

風死す

2009-10-18 | Weblog
「ふだんなんということもないように思えることにも、言葉の使い方次第で思わぬ価値があらわれてくるのです」とは、仁平勝の著書、『俳句をつくろう』からの引用だ。「言葉」は何かを表現し、それを人に伝達するために創られたものだが、言葉の持つ曖昧さ、不完全さはある意味いろんな可能性を持っている。何でもないようなことに言葉によって詩情を与えることができたら最高の喜びだ。(Midori)

からつぽの馬穴のなかに風死せり    平川みどり
*「滝」10月号〈滝集〉掲載

煙草の花

2009-10-17 | Weblog
       一村のなべて門徒や花煙草    堀籠益子

平成の大合併により、こんな小さな村はなくなりつつあるが、わが町も町と名はつくものの、人口一万ほどの小さな村だ。淡緑色の大きな葉を特徴とする煙草の畑をみると、煙草農家の苦労はどんなものかとふと考えたりする。しかしここでは、一村のほとんどが同じ門徒だという。花煙草との取合せの作品であるが、煙草産業をこんな村人が担っていることを改めて知る思いがした。門徒の暮らしも一本の煙草に癒されるのだろうか・・・。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)