十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

野分

2013-10-31 | Weblog
胸中に何かはじまる野分かな     岩岡中正

 「大いなるもの」と詠んだのは虚子だが、野分は、何かしら自然の造化の大きな力を感じるものだ。いつもは穏やかな作者の胸中に、ふと生じたものは、「何かはじまる」という予感。それが何であるかは、もちろんわからない。しかし、何かがはじまるということが、一番重要なのだ。自己の内面に生じた野分にも似た感情は、未知の不確かなものへの昂揚感だ。「阿蘇」11月号より抄出。(Midori)

瓢箪

2013-10-30 | Weblog
瓢箪を叩けば空の音がする     増成栗人

瓢箪を叩けば、どんな音がするのか?その音をどう表現するのかは、叩いた人の聴覚と表現力の問題だが、「空の音がする」とは、あまりにも当たり前過ぎて、何だか可笑しい。時に、率直な表現は、真理を語っているようでもある。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

冷やか

2013-10-29 | Weblog
三面鏡その一面に昨日冷ゆ     平木智恵子

 三面鏡は、正面と左右に鏡があるもので、正面の鏡だけでは見えないところを映すことができる。昨日が映る一面は、左右どちらなのか?昨日は、すでに冷たくなってしまった過去の記憶・・・。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

風船蔓

2013-10-28 | Weblog
少女らに風船蔓揺れどほし     佐伯時子

 風船蔓は、風船のように膨らんだ果実が特徴的で、薄緑色が美しい植物だ。見ているだけでも涼しげで自然の造化の不思議を実感させられる。少女らと言っても、思春期にはまだ少し早い子どもたちだろうか・・・。近くを遊んで、風船蔓を揺らしているのか、ただ風が揺らしているだけなのか?「少女らに」の、「に」の限定が楽しい。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

登山

2013-10-27 | Weblog
登山道うしろの鈴をやりすごす    大友順子

 二、三人がやっと通れるほどの登山道なのだろう。マイペースで登る作者の後ろから、鈴の音が近づいて来たようだ。少しペースを上げれば、追い越されずに済んだかもしれないが、決して無理はしない作者。「うしろの鈴をやりすごす」の省略の利いた措辞に、登山道での飾らない心情が詠まれて良かった。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2013-10-26 | Weblog
蜘蛛の囲や別姓のまま目玉焼き     佐々木博子

 どちらか一方の姓を名乗ることが、現在の民法における婚姻の決まりだが、最近では、結婚後も旧姓を使用することのできるなど、その扱いはいくらか流動的だ。さて、目玉焼きが朝食の定番メニューとして置かれ、同居の二人の初々しい生活ぶりが想像されるが、「別姓のまま」という生活形態もまた一つの選択肢だ。「蜘蛛の囲」が、二人の住居の佇まいを伝えているが、「蜘蛛の囲」もまた一つの小さな命を育む世界でもある。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

ダチュラ

2013-10-25 | Weblog
咲き切つてかすかなる飢ゑ花ダチュラ     加藤信子

 ダチュラは、エンジェルトランペットとも呼ばれ、下向きに咲く大柄なラッパ状の花。遠くからでもよく目立つ花だ。さて、「かすかなる飢ゑ」とは、可憐な花であれば、なかなか出てこない措辞だが、ダチュラであれば、納得・・・。花の形状や大きさからのイメージもそうだが、ダチュラは毒を持つ花だからだ。ダチュラの妖しげな生命力が、上手く表出された作品に注目「滝」10月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

2013-10-24 | Weblog
虹消えて睫に一滴のしづく      遠藤玲子

 虹は、雨上がりに起こる気象現象で、太陽の光が、空気中の水滴によって屈折し、七色に分散したもの。掲句、虹が消えたということは、一つに空気中の水滴が消滅したと考えられる。しかし、最後の一滴は消滅せずに、作者の睫から滴ったというのだ。「虹消えて」からの、「睫に一滴のしづく」への飛躍は、時空を超えてとても詩的で美しい。「滝」10月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

蜘蛛

2013-10-23 | Weblog
人類のたそがれ蜘蛛の囲のあざやか      菅原鬨也

 人類は、原始時代よりさまざまに進化を遂げ、脳の発達は科学技術の発明をもたらし、生活水準は驚くほど向上した。しかし、一方で文明によって、大切な多くのものを失ってしまったのではないだろうか。文明は、自らを「人類のたそがれ」へと、向わせているのかもしれない。「蜘蛛の囲のあざやか」という、妖しくも美しい現実が、対照的に置かれ、人類への警鐘のように迫ってくる。「滝」10月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

秋風

2013-10-22 | Weblog
秋風を押さへて引けり夜のカーテン    星野恒彦

いくらか強い風が吹いていると、カーテンが大きく膨らんで、窓ガラスを閉めるのも手間取ったりするもの。ましてや、秋風だ。部屋の中を吹きぬければ、身も心もどこか震えてしまいそうだ。秋風を封じて、夜のカーテンを引けば、静かな夜長に時を忘れるのだろうか。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

そぞろ寒

2013-10-21 | Weblog
東京の地の底あるくそぞろ寒     那須淳男

愛称、東京メトロは、銀座線など9路線を運営しているというが、東京だけでなく、地の底は、地下鉄をはじめ、地下街や百貨店の地階など、重要な生活空間の一部になっている。世界でも有数の地震国であれば、日本の最先端の建築技術を信じるしかないが、地の底を歩けば、「そぞろ寒」の思いはなかなか拭いきれない。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

台風

2013-10-20 | Weblog
台風圏ペン持つ部屋の戸を叩く     寺島初巳

天気図で見る台風圏は、圏内圏外がはっきりしているが、実際に台風圏に入ったかどうかは、ほとんど自覚できないもの。「ペン持つ部屋」とは、真夜中の一人の書斎。部屋の戸を叩く音は、台風圏に入ったことを告げる音だろうか・・・。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

秋思

2013-10-19 | Weblog
熊本城の天守閣、そして大銀杏に秋の深まりを感じさせる一日、熊本市で本部例会がありました。会場は、高浜年尾と阿部小壷の忌日を修して、二人の写真と菊の花とホトトギスが活けられていました。忌日の句はもちろん、花鳥諷詠の多彩な句に楽しい時間を過ごさせていただきました。

ページ繰る指は秋思のかたちして     みどり


*「阿蘇」土曜例会、岩岡中正選 

2013-10-18 | Weblog
猪鍋の佳境もなくて終りけり      関森勝夫

猪鍋は、猪肉を薄切りにし、牡丹の花に似せて皿の上に盛りつける事から、ぼたん鍋ともいうが、正直言って、あまり馴染みのない鍋料理だ。果たして、作者もまた猪鍋を楽しむというより、好奇心の方が大きかったようだ。最後まで期待に沿うこともなく、終わった猪鍋に、「佳境もなく」とは言い得て妙。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

十三夜

2013-10-17 | Weblog
番号で呼ばるる遺骨十三夜      今井 豊

銀行や郵便局の窓口では、番号で呼ばれることが普通になってしまった。病院でも、名字の頭文字と数字の組合せの番号で呼ばれたりして、慣れないうちは自分の番号を何度も確認していたものだ。番号で呼ぶのは、個人情報の保護など、それなりの理由があると思うが、すべてに適用されてしまうと複雑な思いが残る。掲句、「十三夜」もまた番号ではあるが、数字には哀愁が漂う。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)