十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

花火

2015-09-30 | Weblog
高々と花火は祈りにも似たる     岩岡中正

花火は、中国の宋の時代に作られ、日本には鉄砲伝来の後に伝わったというが、今や花火は日本の夏の風物詩である。さて、八月はさまざまな鎮魂の月でもある。「高々と」の措辞が一句の決め手となっているが、「高々と」、夜空に揚がる花火に、「祈り」を見た作者である。花火は夏の終わりを告げるとともに、人々の「祈り」にも似ているというのだ。「高々と」から、「似たる」への着地に、祈りの余韻が感じられた。「阿蘇」10月号より抄出。(Midori)

青柿

2015-09-29 | Weblog
青柿の転がつて行く夜の坂
雲海や神の降臨かと思ふ
栞には夢二のをんな夜の秋
蟻と蟻行き交ふ南大手門     みどり


*「阿蘇」10月号、岩岡中正主宰選

【選評】
 藤沢周平の海坂藩の小さな坂道だろうか。ここから物語が始まりそうな楽しさがある。転がってゆく青柿が不遇な中年の藩士の爪先で止まって、そこからドラマが始まる。色々と想像させる「青柿」である。

 今年も庭の柿がたくさんの小さな実を付けましたが、せっかく育った青柿も可愛そうなくらい落ちてしまいます。ジューンドロップという自然の営みですが、青柿はずいぶん大きくなるまで落ちていました。(Midori)

金風

2015-09-26 | Weblog
金風を容れ大仏は地獄耳     西村和子

さて、「金風」をどこに「容れ」たのだろうか?御堂かとも思ったが、やはり大仏の耳の中だと思われる。大仏の大きな耳は、人々の願いを聞くためかとも思っていたが、地獄耳だという。浄土へ導くはずの大仏の耳が、「地獄耳」だという可笑しさ。意外な発想が楽しい一句である。句集『ひとりの椅子』より抄出。(Midori)

貝割菜

2015-09-25 | Weblog
地を離れはじめし影の貝割菜    野見山朱鳥

大地にわずかに芽を出したかと思うと、やがて二枚貝を開いたような貝割菜。そこに「影」の誕生を見た朱鳥である。トリビアルな写生に惹かれるが、地を離れることのない「影」が、なぜ地を離れはじめたのか?「貝割菜」の成長が、「地を離れ」という感覚につながって行くのかとも思えた。1999年初版『愁絶の火 野見山朱鳥』より抄出。(Midori)

流星

2015-09-24 | Weblog
星一つ命燃えつゝ流れけり     高浜虚子

星に「命」を見た虚子である。「星一つ」に宿る一つの命は、自己投影でもあるのだろうか。昭和30年9月作。第4版『虚子俳話』より抄出。(Midori)

2015-09-23 | Weblog
廃船の白き竜骨夏の月     鈴木要一

「廃船」の「白き竜骨」を照らし出している「夏の月」であるが、それぞれの措辞が詩情を高めるのにとても効果的に作用している。詩情ある言葉の斡旋が心憎い一句である。「滝」9月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

蛇衣

2015-09-22 | Weblog
蛇衣を脱ぐまばたきのうるう秒    今野紀美子

今年、7月1日は例年より1秒長い「うるう秒」だった。「うるう年」は、良く知られているが、「うるう秒」があるとは、時間の観念がますます厳密になっているということだろうか。さて、1秒は、まさに「まばたき」の間。まばたきの間、蛇は衣を脱ぐことはできないと思われるが、脱ぎ終りの時間が、丁度うるう秒であったとしたら納得がゆく。そうでなかったとしても、二物の取合せは、微妙に響き合っている。「うるう秒」を「まばたきのうるう秒」と詠んだ作者に拍手。「滝」9月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

台風

2015-09-21 | Weblog
憲法の横書破り台風来     佐藤憲一

「横書破り」とは、和紙は横には裂きにくいことから、自分の思った事を無理に押し通そうとすることだが、このたびの安保法案の可決はまさに、台風さながら惨事だった。国際情勢が複雑になっているとは言え、憲法の解釈を無理に変えようとするのは、「横書破り」と言われても仕方がない。台風一過、秋晴のシルバーウイークとなったが、日本の将来もそうあって欲しいもの。「滝」9月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

鬼瓦

2015-09-20 | Weblog
炎昼の時を吐きたる鬼瓦     今野紀美子

鬼瓦のルーツを辿ると、ギリシャ神話の怪物メドゥーサをシリアのパルミラ遺跡入口の上に厄除けとして設置していた文化が、シルクロードを経て中国に伝わり、日本には奈良時代に伝わったというから驚きだ。さて、掲句。炎昼の鬼瓦は、火を吐くほどの暑さかと思われるが、「時を吐きたる」とはユニーク。鬼瓦がずっと睨みを利かせて来た「時間」を一気に吐き出したのかと、楽しい想像が膨らんだ。鬼瓦らしい迫力のある一句である。「滝」9月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

捩花

2015-09-18 | Weblog
ねぢ花やふと南溟の低気圧     堀籠政彦

「ねぢ花」と「低気圧」との関連性は、容易に想像がつくが、両者は、大きく異なっていることも確かだ。ともに人知の及ばない自然の現象でありながら、一方は、やがて脅威となって日本に迫ってくる。「ふと」に、小さな恐怖の芽生えが感じられる一句である。「滝」9月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

夏の月

2015-09-17 | Weblog
脱がれゐし軍手の疲れ夏の月    佐々木博子

「脱がれゐし」とあるので、作者のものではなさそうだ。汚れたままの軍手、手の形が残ったままの軍手など、使用前の軍手と使用後の軍手とでは大きく違う。まさに労働の証しである。それを「軍手の疲れ」と捉えた作者である。しかし、軍手を外すとともに、「疲れ」までもするりと脱ぎ捨てられたような錯覚を覚えるのは、煌々と輝く「夏の月」が配されたからだろうか。「軍手の疲れ」から「夏の月」への斡旋が見事な一句である。「滝」9月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

2015-09-16 | Weblog
蛇交み法螺貝のゆく天地かな    石母田星人

寺院でのさまざまな儀式でよく聞かれる法螺貝であるが、ここでは、「法螺貝のゆく天地」であるから、修験道に使われるものだと思われる。山伏が法螺貝を吹けば、その音色は天地にあまねく響き渡ることだろう。清浄な場所には、その結界として注連縄が張られるが、注連縄はもともと蛇が交む形だとも言われる。点景と大景の取合せであるが、何かしら神聖な景が立ち上がって来た。「滝」9月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

花野

2015-09-15 | Weblog
棒持つて知らぬ子ついて来る花野     菅原鬨也

花野は、可憐な秋の草花が咲き乱れる野原であるが、どこか淋しさも感じられるのは、秋風が吹き、昼の虫が鳴いているからだろうか?しかし、それだけではなさそうだ。棒を持った子は、昔はいくらでも居たような気がするが、今ではあまり見かけなくなってしまった。棒を持った「知らぬ子」は、もしかしたら幼き日の作者自身かもしれない。「花野」らしい郷愁を覚える作品である。「滝」9月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

2015-09-14 | Weblog
島唄や白く灼けたる滑走路
古代蓮月の光を零しけり
球場は歓喜の渦や雲の峰
向日葵の咲くや光の曼陀羅図     みどり


*「滝」9月号〈滝集〉菅原鬨也主宰選

 阿蘇山が再び活性化し警戒レベル3となりました。阿蘇の噴火はどうしようもないのですが、気になるのは、再稼働したばかりの川内原発。自然の力は、結局予測できないものであり、今までに想定内の自然災害などあったのでしょうか。(Midori)

2015-09-13 | Weblog
蟻の道声なき声を繋ぎ合ふ     大川内みのる

我々人間には、「声なき声」としか認識できないが、社会性昆虫として知られる蟻たちだけに理解できる信号や匂いなどの合図があるはずである。詳しい生態は他に譲るが、「繋ぎ合ふ」ものが、「声なき声」であるという詩情は、俳句が一つの文芸であるということを再認識させてくれる。「阿蘇」9月号、井芹眞一郎選(Midori)