十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

2013-06-30 | Weblog
今生の終の祭を見逃せり     文挟夫佐恵

「今生の終の祭」となるのかどうかは、なってみなければわからない。明日のことさえ誰もわからないのだから・・・。さて、99歳を迎えた作者。「見逃せり」とは、なんと泰然自白として、人間味溢れる言葉なのだろう。まだまだ生きるつもりの作者なのだ。「俳句」7月号より抄出。(Midori)

氷菓

2013-06-29 | Weblog
氷菓子いつもの言葉口ごもる     大牧 広

いつも、自然に口にしていたはずの「いつもの言葉」を、口ごもってしまうのは、「いつもの言葉」に、いくらかの嘘があることに気づいたからだ。信じて疑うことのなかった日常に、ふっと疑問を抱いてしまう出来事があったのかもしれない。配合された季語は、氷菓子。色鮮やかな甘い氷菓子が融けてしまえば、残るのは木製の棒だけだ。物語性のある作品に想像が膨らむ。「俳句」7月号より抄出。(Midori)

メロン

2013-06-28 | Weblog
お義母よりのメロンや木箱入り     神野紗希

「おかあさん」と言葉に発しても、その「おかあさん」のニュアンスは違う。文字にすると「お義母さん」となって、実の母でなく、夫の母だと分かる。「木箱入り」の最高級品のメロンを手に、どこか戸惑いと緊張が隠せない作者。同時掲載句、「絶海や水母ふたつが並び浮く」に、二人の新しい人生のスタートへの覚悟のほどが詠まれていて、微笑ましい。Congratulations!
 「俳句」7月号より抄出。(Midori)

海苔掻く

2013-06-27 | Weblog
岩のごと黙し岩海苔掻いてをり     大串 章

先日、鉄道の復旧工事のために昼夜別なく任に当たっている鉄道マンの姿が報じられていたが、彼の静かに語る一つの言葉が忘れられない。それは、ただ「一日でも早い復旧を・・・」という言葉であった。さて、掲句、岩海苔掻きとて大変な作業であることに変わりはない。岩海苔だから「岩のごと」という訳ではなく、真に海に生きるものの姿が、「岩のごと」であったのだと解した。「俳句」7月号より抄出。(Midori)

風鈴

2013-06-26 | Weblog
貝風鈴ひとり遊びの風に鳴る      関口恭代

「ひとり遊びの風」とは、風の世界にもあるのか、ひとり遊びが好きなキュートな風なのだろう。そんな小さな風に、鳴らない風鈴もあるかもしれないが、貝風鈴は美しい音を響かせたのだ。まるで波間に遊ぶように、風に遊ぶ貝風鈴の微かな音色が聞こえるようだ。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

夏の海

2013-06-25 | Weblog
誰とも会はず剝き出しの夏の海     高勢祥子

「誰とも会はず」とは事柄でありながら、夏の海辺を活写するのに最も端的な叙述だと言える。つまり、あるのは眼前に広がる海原だけなのだ。誰とも会わず一人夏の海に向かえば、「剝き出し」の夏の海は、夏潮となって迫って来たことだろう。「剝き出しの夏の海」というメタファーに、生命力の漲る夏らしい躍動感を覚えた。「俳句」6月号より抄出。(Midori)

朝焼

2013-06-24 | Weblog
朝焼は猫の鼻ほど湿りをり     青山茂根

幼いころ、ずっと猫を飼っていて激愛していたが、ひんやりと湿った猫の鼻は、一つのチャームポイントだった。そして、乾いて生暖かい猫の鼻ほど、可愛げのないものもなかった。さて、「夕焼」が猫の乾いた鼻だとしたら、「朝焼」は、断然、冷たく湿った猫の鼻だ。朝焼の日は、天気が崩れるというが、この程よい湿りが雨をもたらすのかもしれない。「俳句」6月号より抄出。(Midori)

余り苗

2013-06-22 | Weblog
寄せられて風を呼びけり余り苗      島谷征良

早苗が整然と植えられて、それぞれの位置で風に小さくそよぐ様は気持ちの良いもの。一方で、隅に寄せられた余り苗は、同じ早苗でありながら何と気の毒なものだろう。しかし、俳人の目が気になるのは、この余り苗の方だ。「寄せられて風を呼びけり」と、余り苗への視線はやさしい。「俳句」6月号より抄出。(Midori)

夏痩

2013-06-21 | Weblog
夏痩せて妻は美人に戻りけり    長谷川 櫂

夏は、生物学的にも、脂肪を体内に蓄える必要がないので、本来痩せるのが普通。「夏痩せ、イコール、美人」という訳でもないと思うが、「妻は美人に戻りけり」となると、季語、「夏痩せ」の本意には、女性のほっそりとした美しさもあるのだろうか。「俳句」6月号より抄出。(Midori)

夏蝶

2013-06-20 | Weblog
     夏蝶に千体仏の扉を開く     菅原鬨也

千体仏は、一つの面に多数の小仏を彫刻したり描いたりしたもの、あるいは多数の仏像を一つの堂内に安置したものだが、いずれにしても「千体仏」は、信仰の対象であり、容易に立ち入るこのできない神聖な空間を醸し出しているものだ。秘仏であれば、一般公開はごく限られた期間だけ許されるものであり、閉ざされた「扉」が開くのは、いつでも、という訳には行かない。さて、いま千体仏の扉が開かれようとする瞬間だ。息を呑むような緊張が走る中、どこからか夏蝶がすっと現れたのだ。まるで夏蝶のために扉が開けられるかのように・・・。千体仏の荘厳な美の世界に、夏蝶の華麗さがとても印象的な作品。第4句集『琥珀』より抄出。(Midori)


2013-06-19 | Weblog
アネモネに風の甘噛みありにけり
山国の光にまみれ蝶生まる
手のひらに伸ばすローション春の宵
シクラメン皿の触れ合ふ音の中     平川みどり


*「滝」6月号〈滝集〉に掲載されました

初燕

2013-06-18 | Weblog
千枚田千の光を初燕      鈴木三山

昨日17日、「福島第1原発事故以来、3年ぶりに田植えが行われた」という嬉しいニュースが報じられていたが、田植えが許されたのは、ほんの数戸だけという現実はまだまだ厳しい。さて、宮城県角田市に在住の作者。「千枚田千の光を」と、初燕の到来とともに願わずにはいられない切なる思いは、ここ角田市でも同じなのだろうか・・・。祈りにも似た一句に、深い感動を覚えた。「滝」6月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

木の芽

2013-06-17 | Weblog
楢の芽の濃きくれなゐに躓けり     池添怜子

木の芽が赤いのは、太陽の強烈な紫外線から身を守るためらしいが、色の少ない季節であれば、真っ赤な木の芽に、思わず立ち止まってしまうものだろう。「濃きくれなゐに躓けり」とは、そんな楢の芽に息づく、くれないの生命に対する驚きの表出であったように思われた。「滝」6月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2013-06-16 | Weblog
照らされて闇に息吐く桜かな     加藤信子

ライトアップされた夜桜は、漆黒の闇をバックに、幻想的な美しさを醸し出す。しかし、それは人間の身勝手な演出であり、桜の身になってみれば、長時間のライトアップは耐え難いことだろう。「照らされて闇に息吐く」とは、夜桜の一面を捉えて見事。夜桜のふっと息を吐く情景が見えるようだ。「滝」6月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

山笑ふ

2013-06-15 | Weblog
歯車の見ゆる時計や山笑ふ     及川源作

静かに時を刻んでくれる時計は有難い。時間を知りたいと思えば、時計盤をみれば、針が正確な時を知らせてくれる。しかし、たまに歯車の見える時計はある。せっせと休みなく働いている歯車を見るのは、まるで人間社会を見るようで、どうも辛い。一方で、「山笑ふ」の自然の大いなる時の移り変わりが対照的に置かれて、ほっと心づく思いがした。「滝」6月号〈滝集〉より抄出。(Midori)