十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

2011-08-15 | Weblog
縞蛇に生れてそなたをとらまへる   あいざわ静子

ここには、大蛇となった清姫のような怨念もなく、
ただ、愛おしいだけの情愛だけが感じられる。
「そなたをとらまえる」の和語がいかにも甘やかだ。しかし、
男は、いつか縞蛇に息の根を止められることになるのだろうか?
「滝」8月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

天の川

2011-08-14 | Weblog
咆哮の渦となりたる天の川    山崎真中

澄みわたった秋の夜空に横たわる天の川は、
七夕伝説にも見られるように、古来よりロマン溢れるものだ。
しかし、作者は宮城県在住。「咆哮の渦」は、
いまだ数千の行方不明者と、
一万を超える死者の魂の叫びの渦なのだ。
「滝」8月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

昼顔

2011-08-13 | Weblog
昼顔にかの海鳴りの迫り来し    遠藤玲子

海鳴りの恐怖は、大震災から5か月が経った今でも、
決して忘れることのできない記憶となっていることだろう。
昼顔の咲く海辺は、穏やかな波音が聞こえている。
しかし、海鳴りの恐怖が蘇る。
昼顔に迫り来るあの海鳴りが聞こえてくるのだ。
「滝」8月号〈特別作品〉より抄出。(Midori)

朝焼

2011-08-12 | Weblog
    朝焼や羽化の始まる語彙ひとつ     石母田星人

「語彙」とは、その人が所有する言語活動を構成するもの、とでも言ったらいいのだろうか?たとえ語彙が豊富だとしても、ただそれだけでは、全く無機質なものでしかあり得ない。語彙が生き生きとした生命を得るのは、持ち主の言語感覚によって生み出される時を待つしかないようだ。「羽化の始まる語彙ひとつ」とは、そういう意味ではないだろうか?作者には、以前から気になっている語彙が一つあったのだ。朝焼を見ている作者。一つの語彙がふっと羽化し始めたのだ。「滝」8月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

花氷

2011-08-11 | Weblog
    その名よき六魂祭や花氷      菅原鬨也

7月16日・17日、青森県のねぶた祭りを筆頭に、東北6県の夏祭りが仙台に結集し開催された。名づけて「六魂祭」。六魂祭は、まさに古の東北人の魂そのものの祭りであり、大震災からの復興を願っての祈りでもあった。テレビ中継でしか見ることはできなかったけれど、復興への熱い思いはしっかりと伝わってきた。配合された季語は、花氷。祭りの熱気とは対照的な花氷の格調高い造形美が、とても印象的。一万余の御魂への供花なのかもしれない。東北の復興への力が結集した六魂祭に、こちらまで元気を貰ったような思いがした。今日で、東日本大震災から5か月が過ぎた。
「滝」8月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

南風

2011-08-10 | Weblog
蝸牛水平線を這うて来し
ほととぎす青く眠れる夜の底
二の腕の薔薇のタトゥーや南風
星々のささやき古代蓮の夢      平川みどり


*「阿蘇」8月号に掲載

入園

2011-08-09 | Weblog
入園式帽子は脱がず返事せず    村川順子

揃いの制服と帽子を身につけて、賑やかな園児たち。
いよいよ入園式のはじまりだ。ところが、我が子(孫)は、
帽子は脱がず、呼ばれても返事もしない。
しかし、それはりっぱなアイデンティティーの芽生えだ。
帽子を脱がず返事をしなかった理由はちゃんとあった筈。
「右へ倣え」ではない自己主張も時には必要だ。
困惑というより、どこか頼もしさを感じている作者のようだ。
「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

山女

2011-08-08 | Weblog
大山女夜明けの色に釣られけり    田中茗荷

山女は、サケ科に属する魚で、海へ下らず、
一生を河川で過ごす、いわゆる陸封型の淡水魚だ。
さて、熊本のどこか渓流で山女釣を楽しんでいる作者。
夜明けとともにやっと釣れたのは、大きな紅色の山女だった。
「夜明けの色に釣られけり」の詩情あふれる形容に、
作者の大きな感動が伝わってきた。
「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

亀鳴く

2011-08-07 | Weblog
何せむと二階へ来しや亀の鳴く    江島敏子

もちろん、二階に何か用事があってやって来たのだ。
しかし、いざ二階に来てみれば、その用事を忘れている。
よくあることだ。こんな時は、もう一度階下に戻って、思考回路を辿るか、
あるいは左程の用事ではなかったと諦めるしかないようだ。
結局、思い出せないままの間の抜けた時間・・・。
「亀の鳴く」がいかにも滑稽味があって楽しい。
「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

余花

2011-08-06 | Weblog
  青空の懐に余花こぼれゐる    大川内みのる

余花は、夏になっても咲き残っている桜の花のことだが、
山地などの若葉青葉の中でふと出合うと、新鮮な感動を覚える。
その余花の花びらが、一陣の風に吹かれて空へと舞い上がったのだ。
まるで、青空の懐に零れて抱かれるように・・・。
大景の中に描かれた余花ならではの情感に心惹かれた。
「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

花の雲

2011-08-05 | Weblog
  花の雲より分校の声下り来    内藤桂花

分校は、丸い運動場と一棟の木造校舎があるだけの、
まるで、別天地のように長閑な自然に囲まれている学校だ。
そして今、花の雲の中を子どもたちが、下校してきたのだ。
幻想的な風景の中から聞こえてくる子どもたちの声・・・。
「分校」という甘くなりがちな素材にもかかわらず、
「花の雲」の美しさは、「分校」によって一層際立っている。
「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

2011-08-04 | Weblog
滝といふ水の歓喜を仰ぎけり    西 美愛子

滝を、「水の歓喜」と捉えた作者。
「滝」が夏の季語だということをしみじみと実感させられる。
「歓喜」という、本来人の感情を表出する言葉が、
「滝」の形容に、これ程ぴったりだとは想像もしなかった。
一方で、「仰ぎけり」の抑制の効いた下五が何とも心憎い。
「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

2011-08-03 | Weblog
  汗ふいて待人がゐるやうに佇つ    岩岡中正

めざす目的地に辿り着いたのか、それともまだ途中なのか?
流れる汗を拭けば、心地よい風にふっと吾を忘れる。
待合せでもしているような、心弾む思い・・・。
静かに佇む作者の姿に、やさしい抒情が感じられた。
評論集『虚子と現代』が、第11回山本健吉文学賞に決定した
「阿蘇」8月号より抄出。(Miori)

慈雨

2011-08-02 | Weblog
  雨音の八十八夜慈雨となる    中山純子

立春から数えて88日目にあたるこの日、播種の適期とされ、
茶摘みの最盛期となる。農家はこの頃を境に忙しくなる。
さて、「雨音の八十八夜」の省略を効かせたフレーズ・・・。
そして、「慈雨となる」への展開。
「雨音」から得た一瞬の感動を一句にした技は見事。
中山氏は、このほど第六句集『水鏡』を上梓された。
「俳句」8月号「新作12句」より抄出。(Midori) 

麦笛

2011-08-01 | Weblog
麦笛のどうしても短調になる    佐藤郁良

麦畑を見かけることも少なくなったが、
麦笛のあの素朴な音色を聞くこともなくなってしまった。
時に懐かしく麦笛を手にしている作者だろうか?
麦笛で今流行りの曲など吹こうと思っても、
「どうしても短調になる」のは仕方ない。麦笛を手にした時から、
すでに「郷愁」という短調に心は傾いているのだから。
「俳句」8月号「作品12句」より抄出。(Midori)