十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

語らふ

2017-09-30 | Weblog
暁の真水の匂ひ蓮開く
胸びれで恋を語らふ金魚かな
ぬばたまの闇に背を割る兜虫
しほさゐや旅の終はりのソーダ水


*「阿蘇」10月号、岩岡中正選

7月は、主宰の選を受ける機会を逃してしまい、自選による投句となってしまった。地元句会で評が高かった句、そうでもなかった句などなど。「最近の句は大人しくなった」とは、主宰より頂いたお言葉。「もっとチャレンジせよ」ということか・・・?!(Midori)

露草

2017-09-28 | Weblog
 29日早朝庭にて☆

毎月第4水曜日は、車で3分の町公民館での句会。今月の兼題は、「露草」であるにも関わらず、当日になってもなかなか詠めない。詠めない理由は、もうすでに「露草」を詠んでしまったからだ。「露草」のイメージが私の中で固定化してしまえば、もう新たな側面を見出すのは難しい。それはそれで仕方ないとして、さらなるイメージの深化を目指して一句。(Midori)

    露草や大地に藍のひとしづく

曼珠沙華

2017-09-26 | Weblog


稲穂が熟れる頃、きれいに刈られた畔には、今年も曼珠沙華が咲いた。青空と稲穂と曼珠沙華・・・。自然のコントラストは見事としか言いようのない。やがて稲刈りがはじまれば急速に秋は深まる。(midori)

    あと戻りできぬ道行曼珠沙華
  *平成28年作

夏祭

2017-09-24 | Weblog
がま口に八つ折紙幣夏祭     松川佐津子

がま口は、小銭入れ程の小さなもので、紙幣は小さく折りたたんでやっと入るくらい。紙幣は、万円札ではなく、きっと千円札だ。夏祭への小さな高揚感が、「八つ折紙幣」に小さく畳まれているのだ。「がま口に八つ折紙幣」という誰もが知っている日常が、「夏祭」という季語を得て、物語性のある発見の句となった。「滝」9月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

曼珠沙華

2017-09-22 | Weblog
甘えてはいけない 時に情けはない~♫
手離してはならぬ筈の何かを間違えるな~♪
中島みゆきの「慕情」ではじまる、倉本聡監督の『やすらぎの郷』が、今月29日で最終回を迎える。豪華キャストで評判のドラマだが、最晩年の在り方について深く考えさせられる番組だった。自然豊かな恵まれた住環境の中で繰り広げられる人間模様。番組の中で、一番印象的だった言葉は、「遺されるものの覚悟」という台詞である。思えば、私の父は70歳にして、母に「遺される覚悟」をして、その後18年を生きたのだと、今更ながら感涙。さてさて、私の老いの入口はもうすぐそこ・・・。 (Midori)

    老境の入口に咲く曼珠沙華

未央柳 

2017-09-20 | Weblog
人音の感じやすくて未央柳     長岡ゆう

未央柳の雄蕊の数を見れば、確かに感じやすそうだ。花言葉は、「多感」。まさしく、作者直感の句である。「滝」9月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

水中花

2017-09-19 | Weblog
独り言ふやしてをりぬ水中花     中井由美子

「ふやしてをりぬ」を終止形と解するか、連体形と解するかで、句意は全く違ってくるが、ここは「水中花」に掛かる連体形だと解したい。すると、独り言を増やしているのは水中花。物理的な要因で、水中花から泡が出ていると思われるが、「水中花」にはなぜか命を吹き込みたくなるような親近感がある。水中花と作者の距離感がそう思わせるのだろうか。「滝」9月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

子規忌

2017-09-17 | Weblog
台風18号の九州上陸前日、熊本市内での本部例会に参加。小雨がわずかに降る中、参加者は40名と少なめ。9月19日の子規忌に因んで、会場には、例年のごとく子規の遺影が飾られ、萩の花など秋草が供えられている。一分間の黙祷のあと五句選。「子規忌」の情のある句に、評が集まった句会であった。(Midori)

<    柿熟るる伊予の空より子規のこゑ

虎杖

2017-09-15 | Weblog
わが家欲しあの虎杖の野の果てに    谷口加代

「わが家」とは、高層マンションの一室ではなく、土のある一軒家。都会の暮しの便利さは言うまでもないが、時に思うのは、自然に囲まれた長閑な暮らしである。そこがどこなのかは、具体的に提示されていないが、「あの虎杖の野の果てに」とは、いかにも詩人である。「滝」9月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

秋めく

2017-09-13 | Weblog
秋めくや坐禅のあとの粥甘し     酒井恍山

心身を統一し、世の中の邪念を払拭するまで・・・。それは容易なことではないと思われるが、坐禅を終えた作者の心身はすでに坐禅を組む前とは違っていたようだ。どんな御馳走よりも一杯の粥の甘さ。「秋めく」思いは、作者自身の心の在りようとも重なって行く。「滝」9月号〈瀬音首〉より抄出。(Midori)

秋季研修会Ⅱ

2017-09-11 | Weblog
2日目の秋季研修会は、夜明け前の吟行から始まる。まだ残る月や星、露に濡れた久住高原の暁・・・。ところが不覚にも私は一日のはじまりを朝食の時間に合わせてしまったのだ(泣)。のんびりと高原に降りて行くと、すでに吟行を終えた句友とのすれ違い。それでも朝露に濡れた高原の朝は、いろんな秋草にも会えて素晴らしかった。夜明け前の大自然の神秘に触れた句に、主宰の高い評価が集まった二日目の研修会であった。(Midori)

    露草の藍にはじまる水音かな

秋季研修会Ⅰ

2017-09-10 | Weblog
俳誌「阿蘇」の一泊二日の秋季研修会に行ってきました。両日とも秋晴の良い天気!阿蘇の花野、池山水源、久住高原と巡りましたが、句会会場係となっていたため、それぞれ30分ほどの吟行をして久住高原ホテルへ。まあそれも覚悟の上だったので、照準を合わせての苦吟。車窓から見る阿蘇、久住は相変わらず雄大で、赤牛黒牛の草食む姿も長閑でした。(Midori)

ゆらゆらと張力ゆがむ芋の露

2017-09-08 | Weblog
地響きに滝の重さのありにけり     井芹眞一郎

熊本県山都町の五老ケ滝を間近にすると、まさしくこんな感じだ。ドドドドドーッと滝壺に落ちる滝音は、大地を揺るがすばかり。それを「地響きに滝の重さ」と詠まれて詩情高い。地響きのような滝音は、物理的にも水の落下する重力そのものであると思うと、作者の感覚の鋭さに驚かされる作品である。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

泳ぐ

2017-09-06 | Weblog
なほ先の水掴みつつ泳ぎけり     坂田美代子

数年ぶりに近くのプールに泳ぎに行ったが、屋内プールは、すっかりリフォームされて、とてもきれい。子どもたちでいっぱいかと思ったが、二、三人のシニアの方がゆったりと泳いだり、水中を歩いたり・・・。さて、掲句。「なほ先の水掴みつつ」の描写が見事!「泳ぐ」ということは、「なほ先の水」をどう「掴む」かにかかっていると実感したものだった。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

桑の実

2017-09-03 | Weblog
桑の実の甘さに罪のごときもの     高橋満子

「桑の実」というと、郷愁。まわりの自然がそのまま遊びの場となっていた懐かしい時代である。しかし今、「桑の実の甘さ」に感じるものは、郷愁とは違う「罪のごときもの」だという。どこか官能的な味わいのある一句ではないだろうか。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)