十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

2015-01-31 | Weblog
昼月へほどけて高き芒かな      勝又洋子

昼月は、あわあわとして、気づくことも少ない存在。そんな昼月に向かって芒もまたほどけて行くというのだ。風に日に艶やに靡く芒も、時と共に解けてしまう哀れさであるが、その様を詩情高く詠まれて秀逸。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)

時雨

2015-01-30 | Weblog
再会のいつも時雨れてゐるやうな     岩岡中正

「いつも」とあるので、それほど長い間会わなかったという訳でもなさそうだが、会えばいつも時雨れていたような気がするというのである。「再会」という言葉の華やかさの中にある、いくらかのウエット感が、時雨を誘っているようにも思えるが、「時雨」とともにある「再会」であるからこそ、再会を確かな記憶として留めることができるのだとも言える。「ゐるやうな」の不確かな断定が、時雨への親近感へと繋がっている。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)

古墳Ψ

2015-01-29 | Weblog
ひかり曳き玄室を出る秋の蝶
玄室にこもる風音冬ざるる
石室に灯るあかりや鵙のこゑ
天界にほのと匂へる返り花     みどり


*「阿蘇」2月号、岩岡中正主宰選

 熊本県、菊池川沿いには多くの古墳群があります。吟行で訪れたのは、山鹿市の『肥後古代の森』。円墳の石室、玄室には、古代人の祈りが感じられました。(Midori)

オリオン

2015-01-28 | Weblog
オリオンや干肉を嚙む船の旅     神野紗希

スパイスを求めて海を渡り、東南アジア諸国を次々に植民地化した大航海時代があった。スパイスは、生肉の保存にはそれほど重要なものだったようだが、「干肉」もまた、保存方法の一つであったことだろう。「干肉を嚙む船の旅」は、そんな時代を想起させる措辞であり、「オリオン」が過去から現在までの悠久の時を伝えている。2015年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

枯る

2015-01-27 | Weblog
枯れしこと忘れて一樹立ちつくす     大串 章

地上から姿を消してしまうことなく、立ちつくしている枯木である。
人間もまた、いつか「枯れ」を忘れて立ち尽くすしかないのだろうか。
「立ちつくす」は、作者の達観でもある。2015年版「俳句年鑑」より抄出。

炬燵

2015-01-26 | Weblog
恋の夢覚めて炬燵の脚がある     大石香代子

夢から覚めて、果たして夢だったのか、現実なのか一瞬わからなくなる時がある。悲しい夢ならば、「夢だった」と安堵もするが、恋の夢だとすると、「炬燵の脚」という現実に、すっかり夢から覚めてしまう。「炬燵」という季語が、こんな形で登場するとは、思いもよらない一句。2015年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

水鳥

2015-01-25 | Weblog
水鳥を数ふる手順なかりけり     上田日差子

修学旅行生が、きちんと一列に並んでいるのは、外国の人が見るととても珍しく映るらしいが、日本では幼い時から点呼しやすいように「並ぶ」ということを習慣づけられているようだ。しかし、水鳥はそうは行かない。一列に並んでいるわけでもなく、どこまで数えたかどうかさえ分からなくなり、また最初からやり直し、ということになる。まさに「数ふる手順なかりけり」と、結論付けられて納得の一句。2015年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

買初

2015-01-23 | Weblog
買初の靴なり前途三千里     今瀬剛一

三千里というと、『母を訪ねて三千里』を思い出すが、一里を4kmとすると、三千里は12000km。毎日、一里を歩いたとしても、三千日を要する距離だ。買初の品物が靴とは、何と楽しいことだろう。相性の良い靴は、吟行の一番の味方。靴への期待はまだまだ大きい。2015年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

氷柱

2015-01-22 | Weblog
世の中を遊びごころや氷柱折る     高浜虚子

虚子が生きた明治から昭和、「世の中」はどんな世の中だったのか。『虚子俳話』の序の中に、「大東亜戦争が、日本国民の思想の上に大きな影響を齎した事は争はれない事実であらう」とあるが、戦中戦後の只中にあって、「遊びごころ」を持ち続けることは容易ではなったと推察できる。「世の中を」の「を」に込められた「世の中」は、そんな世の中であったのではないだろうか。しかし、虚子はいつの世でも泰然自若。そんな時代でさえ、「俳句は何の影響も受けなかった」と、新聞記者を唖然とされたというから、今更ながら虚子には唖然とさせられる。「ホトトギス新歳時記」より抄出。(Midori)

2015-01-20 | Weblog
太陽の滑りさうなる厚氷     介弘紀子

絵本の中の太陽を見ているようで、思わず笑ってしまう。薄氷だと、太陽が滑るはずもないが、厚氷であれば「滑りさうなる」気がするから愉快。朝日にキラキラと輝く厚氷のスケールの大きな比喩に、氷の厚さへの作者の驚きや感動が伝わって来た。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

十三夜

2015-01-19 | Weblog
十三夜結界を出る能面師     米澤貞子

能面を彫る作業場を見せて頂いたことがあるが、よく見ると作業場の周りには、注連縄が張られていた。本来、清浄な場所として、入室を禁じるものであったのかもしれない。さて、注連縄が張られた結界を出る能面師である。結界を出れば、すでに能面師ではなく、常の人間に戻ったことを意味する。「十三夜」が配されて、静謐な詩情が感じられた。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

十三夜

2015-01-19 | Weblog
繰り残す雨戸一枚十三夜      本田久子

かつて雨戸を閉めるのは子どもの毎日の仕事だったが、今でも雨戸を閉める習慣があるとしたら、昔ながらの日本家屋に御住まいなのでしょう。この日はちょうど十三夜。「繰り残す雨戸一枚」の空間から昇ってくる十三夜はどんなに美しかったことだろう。日々の暮らしの中の十三夜に、まるで切り絵のような詩情が感じられた。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)


秋の空

2015-01-18 | Weblog
啄木と寝ころんでみる秋の空      北原勝介

秋の空の透明感は、どこか人を孤独にさせる。時に郷愁を覚える所以かもしれない。 「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」、啄木の詩は、そんな当時の少年たちの心を捉えて離さなかったに違いない。かつてそんな多感な少年時代があったことさえ今では懐くかしく思い出されるのだろう・・・。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

若き

2015-01-16 | Weblog
若き等の黙こそよけれ秋の寺      岸川八重

「若き等」は、平成生まれの若者たちだろう。昭和から平成へと元号が変わったのもついこの間のように感じるが、今年は阪神淡路大震災からすでに20年。その時に生まれた子ども達も今年、20歳である。まさに日本の未来を担う若者たちであるが、寺にあっては、黙することを知っている若者である。「黙こそよけれ」と、そんな若者の背に、頼もしい未来を見ている作者である。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)

草の花

2015-01-15 | Weblog
風添へばなべてやさしき草の花     井芹眞一郎

特に目を惹くことの少ない草の花であるが、草の花ほど、その土地の自然や風土に敏感な花はないのかもしれない。だからこそ、あくまでも自然のままに素朴な花を咲かせるのだと思われる。さて、「風添へば」と、風にも命が宿っているかのような繊細さである。「風」と「草の花」の相聞は、作者の心をもまたやさしく和ませるのだろうか。「阿蘇」1月号より抄出。(Midori)