十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

菠薐草

2014-04-30 | Weblog
三越に菠薐草を買ひし悔      谷口加代

菠薐草を買うために三越に行く人はいないから、きっと三越に行ったついでに地下食品部で買ったのだろう。そのまま帰宅すれば何事もなかったはずなのに、途中で予期しないことが起こったのか、結局、買ってしまった菠薐草を持て余している作者である。生活感いっぱいの菠薐草が妙に気恥ずかしかったり、格好つかなかったり・・・。「三越」と「菠薐草」のミスマッチにドラマティックな想像が膨らんだ。「滝」4月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

牡丹雪

2014-04-29 | Weblog
鋭き月の裂きし闇より牡丹雪      外崎光秋

一面の闇に覆われた空を切り裂く鋭い月。裂かれた闇は、痛ましい切り口を見せているはずなのに、そこから溢れて来たものは、何と牡丹雪だった。「裂きし闇」から「牡丹雪」への展開が、牡丹雪をますます美しいものに変えている。この世の闇の向うには、牡丹雪の舞うやわらかな異空間が存在するかのようだ。「滝」4月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

魚氷に

2014-04-28 | Weblog
魚は氷に上るロダンの肘の夢     及川源作

「ロダンの肘の夢」というと、すぐに目に浮かぶのは、ロダンの代表作、「考える人」である。深い思索にふける様が形づくられている彫刻だが、その「考える人」の肘に注目した作者である。それまでの「考える人」の肘は、思索、苦悩の象徴のような強烈なインパクトを与えるものであったが、それを覆すような「肘の夢」である。魚が氷に上る早春、ロダンの「考える人」は、長い思索から、やっと解放されたかのようだ。「滝」4月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

春の雪

2014-04-27 | Weblog
持ち時間使ひのこせし春の雪      及川源作

それそれの持ち時間は違う。たとえ長くとも短くとも、与えられた持ち時間を精一杯生きたいと思うのは、残りの人生を考える歳になったからだろうか。しかし、もし持ち時間を使いきれずに終えたとしたら・・・。3.11で奪われたたくさんの命や、失う必要のなかった若い命を奪ったこのたびの客船事故。あまりにも哀しいフレーズに、配された「春の雪」が美しくも儚い。「滝」4月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

空席

2014-04-26 | Weblog
マスクマスク一つ空席マスクマスク      長岡ゆう

まるでクロスワードパズルのような楽しい句。一つの空席に、マスクをした作者が座れば、5人のマスクが並ぶ。もしマスクしていない作者だったら残念ながらマスクは並ばない。果たして、作者はマスクをして空席を埋めたのだろうか。順を追って視覚的に捉えたマスクがユニーク。「滝」4月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

茅花

2014-04-25 | Weblog
一人来て二人で帰る茅花かな     鴨 睦子

茅花を見ると、若い穂を摘んで嚙んでいた子どもの頃を思い出すが、茅花は、今もなお心ときめくものであることに変わりはない。さて、一人来て二人で帰ったという作者である。茅花の咲く野であれば、誰もが幼い日々を語らずにはいられない。きっと心も弾む帰り道となったことだろう。「滝」4月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

葉桜

2014-04-24 | Weblog
葉桜や踏みつけ畳む段ボール     成田一子

梱包されたものを取り出した途端に、段ボールはただ嵩張るだけの不用なものになってしまう。簡単に畳めるものはいいが、そうでないものは、思い切り踏みつけて畳むしかない。誰もが経験したことのある生活のひとコマではあるが、「葉桜」と置かれると、何やらドラマティックな一面が立ちあがってくる。何かが終わったというよりも、何かを終わらせて、すでに新たな目標に向かっている、という感じだろうか。季語の力を再確認させられた一句である。「滝」4月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

春の水

2014-04-23 | Weblog
あの日から傾いてゐる春の水     石母田星人

「あの日」は、忘れようとしても決して忘れることのできないあの日。東日本に大震災とともに津波が押し寄せた日だ。この日を境に、何かが大きく変わり、季語の意味すら変わってしまったという俳人もいた。目の前に迫る津波の恐怖を経験した作者にとって、「春の水」はそれまでの春の水でなく、あの日からずっと傾いたままなのだ。「滝」4月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

下萌

2014-04-22 | Weblog
欄干にともる灯りや猫の恋
浴室の窓をはなれぬ余寒かな
神代へとつづくせせらぎ木の芽風
下萌や時計は刻をすり減らし     みどり


*「滝」4月号〈滝集〉菅原鬨也選

憲法記念日

2014-04-21 | Weblog
野に杭を打てり憲法記念の日     菅原鬨也

「野に杭を打てり」という生活のひとコマと、「憲法記念の日」の二物配合の句。私たちのさまざまな日常が保障されているのも、やはり日本国憲法のお蔭、ということだろうか。しかし、1947年5月3日に施行されて以来、現在まで一度も改正されていない日本国憲法が、今見直されようとしている。「野に杭を打てり」は、何かの始まりであり、原点でもある。戦後の日本を支え、暮らしの要となった憲法が施行された日に立ち返って、今一度憲法の意義を再確認したいもの。「滝」4月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

春眠

2014-04-20 | Weblog
受話器とる掌に春眠の重さかな     宮本径考

春の夜や明け方の春眠の心地よさは格別だ。そんな眠りの中で聞く電話の呼び出し音。夢なのか現なのか春眠覚めやらぬままに取る受話器の重さは、単に受話器の質量ではなく、「春眠の重さ」なのだ。「受話器とる掌」に、艶めいた趣もまた春眠ならではだろうか。2014年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

陽炎

2014-04-18 | Weblog
被曝野のかげろふを来し黒き猫      山下知津子

放射線物質は、見えないだけにその恐怖は大きい。陽炎のようにゆらゆらと揺れて見えるとしても、恐怖は同じではあるけれど・・・。さて、「被曝野のかげろふ」は、あるかもしれない放射線物質への恐怖を陽炎と重ね合わせたものだろうか。被曝野の陽炎から来た猫は、放射線物質にも強い黒猫であってほしいもの。2014年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

桜貝

2014-04-17 | Weblog
風紋のしとね幾重や桜貝     関口恭代

白く縁どられた風紋は、砂浜に形づくられた自然の造形美だ。そこに、一枚のあるいは一対の桜貝が彩を添えている。桜貝は、いくつになっても壊したくないロマンであり、持ち続けたいロマンである。「風紋のしとね幾重」という、桜貝の置かれたシチュエーションが、まるで中世の物語のような繊細な言葉で綴られて魅力的である。2014年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

蝌蚪

2014-04-16 | Weblog
蝌蚪の水風が凹ませ微笑ます     太田  嗟

風によって凹んだ水面を、「微笑ます」と詠まれ、穏やかな陽光も感じられる。流れの少ない静かな水たまり、そんな「蝌蚪の水」ならではの句。蝌蚪へのやさしい眼差しが捉えた瞬間である。2014年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

半仙戯

2014-04-15 | Weblog
考えないレッスン夜の半仙戯     安西 篤

「レッスン」という言葉に、どこか懐かしい響きが感じられたが、今はどうなのだろう。昭和の時代と、平成では微妙に異なるような気がする。さて、「夜の半仙戯」は、一人で考えるための遊具とも思っていたが、「考えないレッスン」とは、簡単なようで難しそうだ。世の中が複雑になればなるほど、「考えないレッスン」は必要なのかも?2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)