十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

去年今年

2016-12-31 | Weblog
夏目漱石の小説、『それから』を読んでいます。ブックオフでたまたま手に入れた昭和60年改版30版の文庫本です。漱石の生き方には、彼なりの哲学やこだわりがあるのだと知り、漱石がちょっぴり好きになりました。さて、「それから」という言葉・・・。「それ」が、何であっても、「そこ」から始まる「それから」は、誰でもなく、自分自身で構築してゆくしかありません。ささやかな備忘録として、これからも続けて行きたいと思います。(Midori)

   栞して閉ぢる一書や去年今年

瓢の実

2016-12-29 | Weblog
瓢の実の中より風の子守唄
佇める人うつくしき水の秋
手鏡の中の他人や十三夜
火の礫吐きたる山や鵙の贄


*「阿蘇」1月号、岩岡中正選

【選評】 一寸メルヘン、一寸郷愁のある一句。いかにも幼児期の揺籃のように楽しい瓢の実の形を思わねばならない。大人になっても私たちの心中には、この子守唄が聞こえ続けるのである。

 大地震、そして阿蘇の大噴火と、熊本は自然災害に泣かされた年でしたが、このたび南阿蘇の俵山バイパスが暫定開通しました。数年かかるとされていた復旧工事が、何と8か月で開通です。少しずつではありますが、地震前の姿を取り戻しつつあると実感しています。(Midori)

年の市

2016-12-28 | Weblog
近所のスーパーでは、大歳の市がはじまりました。すでに門松が立つ店頭には、注連飾、神花、仏花、葉みかん、うらじろ、そして地元で採れた里芋や人参も並んでいます。売子さんに立っているのは、たぶん地元の高校生?スマホを片手にしている姿は何処にもなく、はにかんだ笑顔がちょっと新鮮でした。(Midori)

   神々の私語もまじれる年の市

贅沢な時間

2016-12-26 | Weblog
時々行く茶店で飲んだレッドピンクのハーブティーと同じものをカルディで見つけました。その名、セレッシャルのレッドジンガーは、ハイビスカス、ローズヒップ、レモングラスなどのハーブの入った香り高いもので、レッドピンクがとってもお洒落でした。(Midori)

逃のローズヒップの紅茶の香

万両

2016-12-25 | Weblog
「パンを離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない」 
夏目漱石の小説、『それから』の冒頭に出てくる一文である。「パンを離れ水を離れ」とは、生きて行くために働くことから一時離れることを意味している。「贅沢な経験」とは、何も高価なものを手に入れることではない。漱石は、「経験」と言っているのだから、演劇鑑賞や野山を歩くなど、非日常の時間を過ごすことが、「贅沢な経験」ではないだろうか。今年一年、ささやかではあるが、私にとって贅沢な経験は、たくさんできたと思う。「贅沢な経験」には、「贅沢な時間」や「贅沢な空間」も含まれる。人間に生まれたからには、出来るだけ多くの甲斐ある経験をしたいもの。(Midori)
 
    残生の輝けるとき実万両

蜻蛉

2016-12-22 | Weblog
とんぼうを飛立たせたる魚信かな     堀籠政

根気強く釣竿の糸を垂らしている作者であるが、いつの間にか蜻蛉が竿先に留まっているのである。ふとその時、釣竿を持つ手に感じる確かな魚信。その瞬間を、「とんぼうを飛立たせたる魚信」と、詠まれて見事である。「魚信」とあれば、「釣竿は言わない」とは、先師の教えであったことを思い出す。「滝」12月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

秋蝶

2016-12-19 | Weblog
木道に秋蝶ふかく息すなり     渡辺登美子

なぜ、「木道」なのか?「木道」の必然性は何なのか?一句に置いて必然性のない言葉は、一つもないからだ。しかし、「木道」は、秋蝶が蜜を吸う訳でなく、「ふかく息する」ために必要な場所だと分かる。「なぜ」と訊かれると「何となく」としか言いようのないが、きっと「木道」の語感や質感に温もりが感じられるからかもしれない。「ふかく息すなり」という意外性にも納得の一句である。「滝」12月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

鯖雲

2016-12-18 | Weblog
鯖雲やバーを揺らせし胸の反     及川源作

鰯雲でなく、鯖雲としたのは、「や」で切ることによって、景に広がりが生じるからだと思われる。どちらにしても、小波のような白い雲は、躍動感を感じさせる。さて、具体的な競技名は書かれてなくとも、高跳びだとわかるのは、「バーを揺らせし胸の反」だけで、誰もが知る映像に結びつくからだ。高跳びをクリアするときの緊張感が伝わる一句である。「滝」12月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

綿虫

2016-12-16 | Weblog
綿虫や天地の精気うすれゆく     鈴木要一

良く晴れて風のない昼間、綿虫が浮遊するさまは、どこか混沌としている。そんな感覚を持つのは、私だけかと思っていたら、ここにも一人居た。「天地の精気うすれゆく」とは、そんな混沌とした原風景ではないだろうか。綿虫という季語が絶妙に利いた、感覚的な詩情が素敵な作品である。「滝」12月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

美学

2016-12-15 | Weblog
閻魔帳覗いてゐたる小鳥かな
水神の使ひの如く秋の蛇
亡びゆくものの美学や草の花
白亜紀のひかりを曳いて銀杏散る


*「滝」12月号〈滝集〉成田一子代表選

 第二次断捨離を行いました。一回目の断捨離で残したもの、新たに増えたものをさらに見直しました。「いつか使うかもしれない」、「勿体ない」という固定観念そのものを捨て去ることでもあります。さて、一年後、あったことさえ忘れていることでしょう。(Midori)

冬銀河

2016-12-14 | Weblog


不死鳥のはばたき生るる冬銀河 
  
先日、父の三回忌の法要を大宰府市近郊の菩提寺で行いました。
思えば、庭の小さな花にも、必ず目を留めてくれる父でした。
一株のインパチェンスの苗は、夏から秋、冬まで次々と花を咲かせました。
霜が降りると、もう終わりでしょうか。(Midori)

曼珠沙華

2016-12-13 | Weblog
曼珠沙華吾青春に胸を病み     黒田華々史

青春期に胸を病んでいたという作者である。誰もが、勉強に、恋に、仕事に、ただただ夢中だった時代、自分一人だけが療養生活を余儀なくされた苦悩は、一体どれほどだろうか。野見山朱鳥の句集に、『愁絶』があるが、まさに、「曼珠沙華」の真っ赤な色は、愁絶の炎の色ではないだろうか。「曼珠沙華」との取合せに、壮絶な青春の日々が偲ばれる作品である。「阿蘇」12月号より抄出。(Midori)

竜胆

2016-12-12 | Weblog
退院を待てる机上の濃竜胆      森山昭子

退院を待っているのは、誰よりも何よりも作者である。しかしそれでは直接的過ぎる。退院を待っているのが、「机上」であり「濃竜胆」であるという提示によって、入院している人が、机上で過ごすことの多い人だと分かる。また竜胆をこよなく愛する人でもあるのだ。退院を待つ気持ちが、物に投影されて、詩情深い作品となっている。「阿蘇」12月号より抄出。(Midori)

花八手

2016-12-11 | Weblog
門一つ表札二つ花八手     佐本あい子

「門一つ表札一つ」という通常の家族形態から、「門一つ表札二つ」という形態に変わったものと思われる。門があり、花八手が咲く家というと、昔ながらの日本家屋である。長男が跡を継ぎ家を守って行くという風習も、今は昔である。幸せの容はさまざまである。ここでは、「表札二つ」がその幸せの容なのである。「花八手」に、静かな家の佇まいが想像された。「阿蘇」12月号より抄出。(Midori)