十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

空に☆

2014-10-31 | Weblog
八月の空に修する大きな忌     西 美愛子

八月の「大きな忌」といえば、終戦記念日。百田尚樹の著書、『永遠の0』は、フィクションでありながら、太平洋戦争がどういうものであったかを語る記録であったが、たくさんの若い操縦士の命が、ゼロ戦と共に太平洋に消えて行った。その日から、やがて70年を迎えようとしているが、「八月の空に修する」のは、忘れてはならない敗戦の記憶。「阿蘇」11月号より抄出。(Midori)

秋風

2014-10-30 | Weblog
秋風もせせらぎもわが後ろより     岩岡中正
どこ歩きても秋風の袖袂           〃
かたまつて秋風の来る淋しさよ       〃

まだ暑さが残る頃、ふと感じる秋の気配。秋風は、すでにすぐ後ろまでやって来ていたのだ。せせらぎもまた、いつの間にか秋の音色を立てていたことだろう。やがて、「秋風の袖袂」と秋風を存分に感受している作者に、春風では味わえない人生の充実感さえ感じられる。しかし、「かたまつて」来る秋風には、流石に諦めに似た寂寥感が漂う。初秋、仲秋、晩秋の「秋風」に、人生の秋を思った。「阿蘇」11月号より抄出。(Midori)

2014-10-29 | Weblog
小面の眦に秋立ちにけり
月光の絡まる烏瓜の花
蛇皮を脱ぐミサイルの発射台
出港す晩夏の長き水脈曳いて    みどり


*「阿蘇」11月号、岩岡中正主宰選

【選評】 能面のなかでも小ぶりな若い女面である。小面の、その眦に秋を見つけたという繊細な句。小面の眦のわずかな陰影を通して、己の心中にかすかな秋を見た作者である。

☆ 熊本県北の和水町の古民家村の一画には、能面を彫る作業場があります。束髪の能面師の方が一人で作業されており、小面をはじめ、泥眼、般若、翁などの面が壁に掛けられていました。基本的な質問にもかかわらず、丁寧に説明をして下さいました。(Midori)

鳴子

2014-10-27 | Weblog
こゝもとで引けばかしこで鳴子かな     高浜虚子

鳴子は、ほとんど見かけることのなくなった秋の風物詩だが、
虚子の句を読めば、記憶の中の鳴子がカラカラと音を立てた。
『ホトトギス新歳時記』より抄出。(Midori)

夜長

2014-10-25 | Weblog
一つ置く湯呑の影の夜長かな    深見けん二

湯呑が一つ置かれているというだけの情景である。湯呑の影は、太陽の運行による影ではないので、短くなることも、長く曳くこともなく、いつまで経っても同じ長さのまま。一人で過ごす夜は、しんと静まり返って、夜が更けるにつれて湯呑の影も色を深めて行くようだ。『菫濃く』より抄出。(Midori)

2014-10-23 | Weblog
柿を剥く山道たどるごとく剥く    きくちつねこ

柿の皮を、山道を辿るようにくるくると剥けば、
山道の形をした柿の皮が出来上がる。
柿ならではの直喩に心も弾む。
角川書店『必携季寄せ』より抄出。(Midori)

秋蛍

2014-10-21 | Weblog
秋蛍ことば一つを失へり     渡辺登美子

「秋蛍」といえば、飯田蛇笏の “たましひのたとへば秋のほたるかな”があるが、秋蛍は、魂そのものであると言えるのかもしれない。さて、3.11の大震災を経験した作者である。もしかしたら、失った一つの言葉は、「魂」ではないだろうか。言葉だけでなく、魂そのものも失っていた一時期があったかもしれないが、3年が経った今、少しずつでも立ち直っている作者であって欲しい。「滝」10月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

秋冷

2014-10-20 | Weblog
秋冷の犀舎に犀の居る暗さ    相馬カツオ

舎内に、犀が居るのと居ないとでは、居る方が暗く感じられるのは、犀の存在感も大きいかもしれないが、息づくものがそこに居る、という犯しがたいような距離感によるものと思われる。この感覚は、犀に限らず、小さな生き物が棲む穴や洞にも感じられるものではないだろうか。「滝」10月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

2014-10-19 | Weblog
大壺の芒に自動ドアの風     佐々木博子

ロビーの入り口近くに、一抱えもあるような大きな壺に、芒が活けられていたのだろう。無造作に活けられた芒は、自然のままの素朴な味わいがあってとても風流なものだが、人の出入りのたびに、開いたり閉じたりする自動ドアの風に吹かれる様は、何とも切ない。芒を素材に、現代的な一場面がすっと切り取られて見事。「自動ドアの風」という、句跨りのリズムもいい。「滝」10月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

茅の輪

2014-10-17 | Weblog
偕老の野良着のままの茅の輪かな    松川佐津子

「偕老」とは、夫婦が、年をとるまで仲よく一緒に暮らすこと。「偕老同穴」という古い成語でよく知られるところである。さて、「野良着のまま」というのだから、二人して近くの氏神様に詣でているのだろう。老いてなお現役で農作業をしている二人の姿が、この上もなく美しいものに感じられたのは、「茅の輪かな」の深い余韻によるものだろうか。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

鰯雲

2014-10-16 | Weblog
来し方を語らふ足湯いわし雲     及川源作

足湯を使ってみたいと思いながらも、まだ一度も経験したことがないが、爪先からゆっくりと温まるのは、どれ程心地よいものだろう。さて、見知らぬ者同士、あるいは句友かもしれないが、足湯に並んで、しみじみと語る来し方は、自らを振り返ることである。「足湯」によって景が広がって、「いわし雲」にゆったりとした時の流れが感じられた。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

無花果

2014-10-15 | Weblog
無花果のたわわに罪の重かりき     中井由美子

目の前に、たわわに実った無花果があれば、つい捥いでみたくなるもの。しかし、捥いでしまうのも勿体ないような思いもどこかにあって、小さな葛藤は罪の意識にまで及んでしまう。たわわに実った無花果を捥ぐことが罪なのか、それとも捥がないことがかえって罪なのか?無花果の重さは、罪の重さ・・・。さて、この無花果はどうなったのだろう。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

夜の秋

2014-10-14 | Weblog
海底に山脈ありぬ夜の秋     赤間 学

海底と言っても、決して平坦ではなく、山脈もあれば海溝もある。しかし、太陽の光さえ届かない深海は、まだまだ謎の世界。さて、「海底に山脈ありぬ」という地質学上の事実を述べただけであるが、「夜の秋」が配されると神秘的な色合いが増してくる。海底に存在する神秘のベールが静かに剥がされて、何かがはじまるような気がしてくるのだ。静謐なロマンを感じる作品である。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

雲海

2014-10-13 | Weblog
雲海や青春の尾根とほく浮く     佐藤時子

「青春」という言葉ほど不確かなものはない。しかし、作者にとって、「青春」と言えば、「山」と答えることができるほど青春を謳歌した女性であったようだ。さて、いま遠く目にしている山は、彼女を虜にした数々の山の一つなのだろう。「青春の尾根」は、美しい青春の記憶でありながら、「とほく浮く」に、還らなぬ日々を思わせる一抹の淋しさとノスタルジーが感じられた。「滝」10月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

小鳥

2014-10-12 | Weblog
白亜紀につながる朝を小鳥かな      石母田星人

小鳥の先祖は、白亜紀まで遡るのだろうか。きっと恐竜のように巨大な鳥で、大きな嘴と鋭い爪を持っていたことだろう。どんなに可愛らしい小鳥でも巨大化すれば、それは恐ろしいだけの存在。「白亜紀につながる朝を」と、「朝」が限定されているが、この日の小鳥は、白亜紀からやって来た特別な小鳥だったのかも・・・。「滝」10月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)