十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

小晦日

2019-12-30 | Weblog
万葉集に収められた大友旅人の序文が、「令和」の典拠となったことから、大宰府政庁跡や坂本八幡宮が一躍注目された令和元年だが、この場所は、私が20年近く慣れ親しんだ場所でもある。テレビで放送されるたびに変わらぬ山々に囲まれた政庁跡を見るのは、何とも不思議な気分だった。(Midori)

    音もなく来し方濡らす冬の雨  

「阿蘇」1月号

2019-12-28 | Weblog
さくと噛む林檎は星の匂ひして
団栗の転がつてゆく黄泉の坂
はたはたの跋扈してゐる墳墓かな
もろこしの光の粒に歯を立てる

*「阿蘇」1月号、岩岡中正選

【選評】 林檎に「星の匂ひ」がするというのは、いかにも若々しい感性。「さくと噛む」という音がまた、この若さを加速させる。「匂ひして」の語尾も、余情たっぷりで、私たちはそれぞれの若い時代への郷愁へと誘われるのである。(中正)


「林檎」の句は、兼題句。林檎は身近な果物でありながら、生産地は東北で、長野産と青森産がほとんど。やはり林檎の原点に立ち返れば、あの触感こそが「林檎]ではないかと思った次第。(Midori)

「阿蘇」12月号Ⅳ

2019-12-20 | Weblog
身にしむや災禍を分かつ川一つ     角田宏子

地球温暖化は、生態系だけでなく、気象にも大きな変化をもたらした。かつてないゲリラ豪雨が各地を襲い、「災禍を分かつ川一つ」は、まさしく、人の運命をも分かつものだった。決して他人事でない近年の災害に、「身にしむ」は、自分自身の危機感にも繋がっていくのだろう。(Midori)

「阿蘇」12月号Ⅲ

2019-12-15 | Weblog
芒原決闘の風吹いて来る      木村佐恵子

「芒原」に内包するイメージは、時に類想の危険性も孕むが、「決闘」とは言えそうで言えないイメージ。剣豪、宮本武蔵の決闘のシーンを思い出させて、臨場感あふれる一句。「決闘の風」という具象によって詩となった。(Midori)

「阿蘇」12月号Ⅱ

2019-12-13 | Weblog
星月夜宇宙船めく山ホテル     高橋満子

9月に行われた阿蘇での1泊2日の研修会での一句。宿泊所となったホテルを「宇宙船めく」と形容されて、山ホテルの映像が一瞬にして浮かび上がる。「星月夜」という季語の力と、比喩との相乗効果によって、ロマン溢れる壮大な一句となった。 (Midori)

鴨日和

2019-12-09 | Weblog


熊本市内を流れる一級河川、白川。阿蘇根子岳を発し、有明海に注ぐ。昨日はこの白川に面する会場での句会。雲ひとつない青空の下、散策を楽しみながら句会場へ向かいました。(Midori)

   をちこちに鴨が陣解く日和かな     *探勝会 中正選

ふる里☆

2019-12-06 | Weblog
ふる里の風の懐より小鳥
芋の露こはれ微塵となる山河
赤や黄の菌生えたる魔界かな
火の山の億年のこゑ曼珠沙華
雲はいま山羊のかたちや豊の秋

第41回熊本県民文芸賞一席    *選者 岩岡中正、星永文夫、福永満幸各氏

【選評】 一句一句の完成度が高く、叙景と叙情の調和のとれた作品群で、全体として豊かな「産土への賛歌」となった。「風の懐」、「微塵となる」、「億年のこゑ」、「山羊のかたち」と、一語一語を無理なく詩語に変えていくところに力がある。それもこれも、「小鳥」、「芋の露」、「菌」、「曼珠沙華」、「豊の秋」の季語を熟知し、中核に置いて十分生かしているからだ。文句なしの一席である。(中正)

田畑が広がるわが町、そして熊本を詠みたいと思って、揃えたつもりであるが、それを「豊かな産土への賛歌」とのお言葉を頂いたことは、至上の喜びである。改めて自然の豊かさに感謝したいが、住民の高齢化とともに自然が守れなくなっていることには一抹の淋しさを覚える昨今である。(Midori)

「阿蘇」12月号Ⅰ

2019-12-03 | Weblog
秋彼岸過ぎたる山の高さかな      岩岡中正

それまで見ていた山が、「秋彼岸」を過ぎたとき、高いと感じたのは、作者の主観である。しかし、「過ぎたる」という措辞によって、単なる主観を超えて一つの詩となっている。真正面から季語を詠むことも大切だが、少し角度を変えてみると、意外な詩情を得ることに気づかされる。(Midori)

「阿蘇」12月号

2019-12-01 | Weblog
初鵙や息を弾ませ女坂
いつからか露けき心持ち歩く
存在のいろとなりたる吾亦紅
露けさのあつまつてゐる眼かな

*「阿蘇」12月号、岩岡中正選

「露けし」という季語は、感覚的にも実感がなく、詠めずにいた、というより詠みたくない季語だったが、最近ではそうでもなくなった。兼題で、「露けし」が出されたことがきっかけではあるが、俳句の幅を広げてゆきたいもの。(Midori)