十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

銀河

2015-11-30 | Weblog
修羅の世へつづく坂道曼珠沙華
不死鳥のはばたき生るる銀河かな
球形の山河ありけり芋の露
太陽の化身のごとき色鳥来     みどり


*「阿蘇」12月号、岩岡中正主宰選

【選評】
 来世へつづく道ならやや平凡だが、この句は「修羅の」この道へつづく「坂道」のところが面白い。一人一人にあるこの世の戦いのような修羅の道にこそ曼珠沙華はふさわしい。その各々の修羅の世について問いかけている句である。

☆ 枯色が広がる畔に、青々とした曼珠沙華の葉はどこか不思議な景ですが、今年ほど曼珠沙華がたくさん見られた年はなかったと思います。少々の坂道を行くのは何とも思わなかったのに、少しの傾斜にも負荷を感じるようになりました。まだまだ長い坂道、これからも鍛錬の日々がつづきます。(Midori)

銀杏散る

2015-11-29 | Weblog
いてふちるほろびの光ふり撒きて     西村和子

良く晴れた日に散りゆく銀杏黄葉は、まさに黄金をまき散らすかのようである。銀杏黄葉の美しさが詠まれることの多い中で、「ほろびの色」というマイナスイメージに、現実的な発見があり、詩情も高い。句集『ひとりの椅子』より抄出。(Midori)

悴む

2015-11-27 | Weblog
悴んで来ぬ人棒になつて待つ     内原弘美

四つも動詞がありながら、邪魔に感じないのは「来ぬ」以外は、作者自身のことだからだろうか。「棒になつて」という具象が一句を支えてユニーク。日本伝統俳句協会「花鳥諷詠」332号より抄出。(Midori) 

セーター

2015-11-26 | Weblog
セーターをくぐりし首のあらたまる     進藤剛至

セーターの裾から頭を入れて、くぐり抜けるまでのわずかな時間。同時に、両手をくぐらせ裾を下ろして・・・と、瞬時に行っている動作はいろいろだ。しかし、セーターを着終ったあとの感覚は、「首のあらたまる」に尽きるようだ。セーターを着るという一連のリアルな動きが見えるようで楽しい一句である。日本伝統俳句協会「花鳥諷詠」332号より抄出。(Midori)

冬籠

2015-11-25 | Weblog
主義主張どこかに忘れ冬籠     小田連子

しっかりと主義主張を持ち、世相に敏感な作者であったのだろう。しかし加齢とともに、出歩くのが億劫になればつい家に閉じこもりがちである。冬ともなると尚更だ。「主義主張どこかに忘れ」といいながらも、どこか肯定的な作者である。俳誌「阿蘇」合同句集より抄出。(Midori)

山眠る

2015-11-24 | Weblog
地図の上にあこがれし山眠りしか     渡辺久美子

地図を開いては、いつか登りたいとずっと憧れていた山である。しかし、今ではもう地図の上に見るだけの山になってしまったのだ。それでも、「眠りしか」という作者である。いまだ消えることのない山へのあこがれが、下五の問いかけにしみじみと感じられる作品である。句集『立田山』(「阿蘇」叢書)より抄出。(Midori)

落葉

2015-11-23 | Weblog
からからとポテトチップスめく落葉      進藤剛至

若葉から、青葉、そして紅葉とそれぞれに目を楽しませてくれた木々も、今は落葉の真っ盛り。すっかり裸木になってしまうまでは、落葉は切りがなく続く。風に「からからと」乾き切った音を立てる落葉は、手に取れば、ぱりりとすぐに壊れてしまう。「ポテトチップめく」とは、よく言ったものである。発想の柔軟さ、現代的な比喩に作者の若さが感じられる一句である。「落葉」の名詞止めも上手く決まった。「花鳥諷詠」332号より抄出。(Midori)



朝顔

2015-11-22 | Weblog
朝顔の蔓の行先小宇宙    梅森 翔

行先をまるで決めかねているかのように、宙にある朝顔の蔓は、何とも頼りなげだ。その朝顔の蔓の虚空を「小宇宙」と捉えた作者である。感覚的な発想によって置かれた「小宇宙」によって、朝顔の神秘性が生まれた。「滝」11月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

颱風

2015-11-20 | Weblog
颱風のあしたに米を研ぎにけり     佐々木博子

日本列島を北上中の台風が、明日の朝には接近するというのだ。進路によってはどんな「あした」が来るのか予測できないまま、不安な一夜を過ごしている作者である。しかし米を研ぐという日常の暮しを変えるわけにはゆかない。「颱風のあした」という限定された非常時に、「米を研ぎにけり」という日常の行為が、一句にリアルな臨場感を与えている。「滝」11月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

今日の月

2015-11-19 | Weblog
叢雲の裏はなやげる今日の月     加藤信子

今年の十五夜は確かこんな月だった。雲ひとつない十五夜も確かに美しいが、雲のかかった十五夜も決して引けを取らない。さて、「はなやげる」ものが、「叢雲の裏」という確かな写生である。まるで金箔を施した襖絵のような映像が浮かび上がる。「今日の月」と置かれ、他ではない特定された名月の感が表出されて、余韻のある一句となっている。「滝」11月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

古代笛

2015-11-18 | Weblog
夏の夜や社を包む古代笛     倉基七三也

古代笛とは、どんな楽器なのかわからいが、精巧なものではなく、竹などで作られた素朴な笛だと推察できる。その音色が社を包むように静かに響き渡っているのだ。「古代笛」の奏でる音色が、「夏の夜」の幻想的な空間を満たしている。「滝」11月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2015-11-17 | Weblog
雁の声沼の水位の上がりけり     中井由美子

最近では、湖水の水位が下がったとよく耳にするが、雨量が減ったというより、都市化による人為的な理由が挙げられそうだ。水位の低下は、自然体系にも大きな影響を及ぼすと思われるが、掲句では、「沼の水位の上がりけり」である。上五に「雁の声」と、置かれてここで情景が切り変わり、今年も雁がやって来たという喜びが、「沼の水位の上がりけり」という措辞へと繋がったと思われる。昂揚感ある一句である。「滝」11月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

梔子

2015-11-16 | Weblog
梔子の花錆びぬ間の野良仕事     佐々木經義

梔子の花は芳香のある純白の可憐な花だが、すぐに錆びてしまう花である。「梔子の花錆びぬ間」とは、一体どれほどの時間なのか、曖昧な時間設定が、この作品の魅力となっているが、やはり朝から夕方までの時間ではないだろうか。下五の「野良仕事」への展開に意外性があって、生活感のある楽しい一句となっている。「滝」11月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

熟柿

2015-11-15 | Weblog
混沌のつつまれてゐる熟柿かな     石母田星人

熟柿の皮は、まだ張りがあってパリッとしているのに、触るとふわふわと柔らかく、果肉が熟しているのがよく分かる。少し力を入れるとすぐに破れてしまいそうだ。一枚の皮に包まれた果肉は、まさに「混沌」そのものである。しかし、「熟柿」の定義づけとして、「混沌のつつまれてゐる」と詠んだところは、一歩上級の技だろうか。「滝」11月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

秋日和

2015-11-15 | Weblog
縞馬に水のゆらめく秋日和     菅原鬨也

縞馬の白黒の縞模様は、サバンナに生きるために描かれた天与のものだと思われるが、あの美しい曲線はまさに芸術的でもある。さて、掲句。「縞馬」という文字にしても流麗な印象を覚えるが、「水のゆらめく」によって、縞馬の「縞」と水影が互いの動きを増幅させて、印象鮮明である。「秋日和」が、たっぷりとした明るい光が感じられて効果的であり、サバンナの長閑な一風景を想像させる。「縞馬」という動物でなければ決して得られない詩情である。「滝」11月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)