十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

風花

2009-03-31 | Weblog
一訃音とどいてしばし風花す    井芹眞一郎
                              「阿蘇」4月号 〈雑詠〉
訃音はいつも突然にとどけられる。届いた瞬間、想い出は過去をめぐり、そして
現実に引き戻される。訃音という語感の静謐さに、一瞬の生命の煌きを覚えた。
「しばし風花す」に、鎮魂の思いを深くしている作者の心情と、茫然自失とした
余韻が感じられた。眞一郎氏は、「阿蘇」、「ホトトギス」同人。(Midori)

2009-03-30 | Weblog
降る雪を見に出て我家眺めけり   永野由美子
                               「阿蘇」4月号 〈雑詠〉
熊本では、雪の降る日は数えるほどしかなく、俳人でなくても雪が降れば見に
出て行きたくなる。しんしんと降る雪は、まるでこの世を別世界に変えてしまう
ような神秘的な感動さえ覚えるものだ。見るとはなしに我家を眺めてみたものだ
ろうか。そこには、由美子さんが長く住み慣れている一軒の家があったはずだ。
「雪」によってもたらされた由美子さんの淡い感慨が伝わってきた。

セーター

2009-03-29 | Weblog
セーター着てふはりと母の齢越ゆ    坂本あかり
                                  「阿蘇」4月号 〈雑詠〉
母の齢を越えるという句は、いくつもあるが、あかりさんの句にはそんな類想感
がまるでなくとても新鮮にひびく。それは、「ふはりと・・・越ゆ」の軽妙さと表現
の巧みさにあるのだろうか。ふかふかのセーターを「ふはりと」着た、あかりさん
の笑顔は、在りし日の母の笑顔と重なってひとつになっていくのを感じた。

暖かし

2009-03-28 | Weblog
切株といふあたたかきもののこゑ    岩岡中正
                                 「阿蘇」4月号〈近詠〉
「昔、1本のりんごの木があり、かわいいちびっこと仲良し・・・」で始まるシェル・
シルヴァスタインの絵本 、『おおきな木』を思い出した。それは、ひとりの男の子
のために、実をすべて与え、枝をすべて与え、そして幹さえも与えてしまい最後
には切株だけになってしまうりんごの木の物語だった。やがて老人となった少年
は静かな場所を求めて切株に腰を降ろす。「阿蘇」主宰の一句に、ひとりの人間
に限りない愛を捧げる美しくも悲しい物語を思い出した。(Midori) 

雪解

2009-03-27 | Weblog
ツイードの上着雪解の匂ひして    対中いずみ 
                                「俳句」 4月号
ツイードの上着は、新調のオーダーメイドだろうか・・・。ツイードはフォーマル
ではない、お洒落のセンスが光る英国風の上着だが、ザクザクとした布の
感触は男性のものだろう。「雪解の匂ひして」の早春の感覚は、対中さんら
しい、優しさが溢れている。(Midori)

誓子忌

2009-03-26 | Weblog
3月26日、今日は、水原秋桜子、阿波野青畝、高野素十とともに、
高浜虚子門下の「四S」と呼ばれた俳人、山口誓子の忌日だ。
都会的な素材を現代的な感覚で切り取った硬質の句風は、今もな
お新鮮にひびく。新興俳句運動の先駆者となり、戦後の俳句復興
に寄与し、92歳の天寿を全うした。(Midori)

ジーンズの膝畏まる誓子の忌     みどり

花の闇

2009-03-24 | Weblog
底無しの花の闇なら落ちてよし    森 敏子
                               句集 「薔薇枕」
「花の夜」とは違う、心象的なイメージが強い「花の闇」に、
現実を越えた異次元の世界に導かれるような陶酔感を覚えるのは、
花の闇の艶やかさにあるのだろうか・・・。「花の闇なら落ちてよし」という、
どこかナルシスティックな断定に、美意識の高さが感じられた。
作者は、福岡県在住。「白桃」同人。(Midori)

2009-03-23 | Weblog
記章と言えば、高校時代の校章を懐かしく思い出すが、今ここには、
5年ほど前に下賜された記章がある。それは金と銀が嵌め込まれた
肥後象嵌で、「人」と言う文字がデフォルメされたものだ。それ以来、
私は、この四角い記章ほどの束縛を受けることになった。(Midori)

雛の前襟の記章をはづしけり     葛

*「ハイヒール句会」で、きっこさんの入選、海音さんの特選を頂きました

鳥雲に

2009-03-22 | Weblog
ハードルを運ぶ少年鳥雲に    金子 敦   
                            句集 「砂糖壺」
春、北方に帰る渡り鳥の群が、雲間遙かに見えなくなることを略して「鳥雲に」
というがどこか寂しさの漂う季語である。さて掲句、「ハードルを運ぶ少年」の
主観を排した淡々とした写生に、少年の繊細な心の風景が見えてきた。
午後の校庭だろうか・・・。「鳥雲に」の季語が、「ハードル」という硬質な教具と
少年の姿に呼応し、大きな抒情をもたらしている。(Midori)

三月

2009-03-21 | Weblog
白すこし足し三月の空を塗る   片山由美子

先週のNHK衛星第2放送の「俳句王国」の主宰の一句だ。
兼題は「三月」。「中七に三月をもってきたのは珍しい」と自句を披露。
スケッチブックに描かれた三月の空が眩しく見えた。(Midori)

実千両

2009-03-20 | Weblog
面映ゆきほどに礼受く実千両     八木れい子
                                「滝」3月号 <滝集>
お礼を言われることは、嬉しいことであっても決して嫌なことではないはずだ。
しかし、時には「わたし、何をしたんだっけ?」と、記憶にないことだってあるも
のだ。「面映ゆきほどに礼受く」の、日常のちょっとした場面を、見事に一句に
したのは、「実千両」を配したれい子さんの感性と人柄によるものだろう。
閉塞感の多いこの世の中にあって心が和む作品に出合った。(Midori)

風花

2009-03-19 | Weblog
風花を帰りて足袋の仄じめり    菅原緋沙子
                               「滝」3月号 <滝集>
青空に舞う雪片を花に喩えて言う「風花」は、とても美しい季語だ。晴れた空から
舞い降りてくる風花は神秘的で、そして感動的ですらある。さて掲句、「風花を帰り
て」の多くを語らない省略の効いた表現に、生活感を感じさせないリアルな実景が
見えてきた。風花は足元を濡らすほどでもなかったのだろう。緋沙子さんの和服で
のお出かけは、きっと心弾むものだったに違いない。(Midori)

「滝」のホームページhttp://sky.geocitiesjp/himatu2008/index.html. 更新

寒林

2009-03-18 | Weblog
寒林を抜けハライソの鍵拾ふ     木下あきら
                                「滝」3月号 <滝集>
「ハライソ」は ポルトガル語の paraisoの日本語訳でパラダイスを意味する
キリシタン用語らしい。寒林を抜けたら楽園の入口の鍵を拾った、という童話の
ような作品だが、「寒林」を人生のひとつの通過点だと考えたらどうだろうか・・・。
清冽なイメージの中にも逞しい生命力さえ感じられる「寒林」と、ハライソの取合
せに、単なるパラダイスとは違った抒情を感じた。(Midori)

久女忌

2009-03-17 | Weblog
ペン持てば影の生まるる久女の忌    庄司縫子 
                                  「滝」3月号 <滝集>
虚子の小説、『国子の手紙』のなかで虚子は、「俳句界五十年の生活の中で、
狂人と思われる手紙を受け取ったことは他にもあるが、国子の手紙のように
二百三十通に達したのは珍しい」と書き、久女の発狂説を流布させた。虚子が
ここまで久女を忌避し、ホトトギス同人を除名した理由は何だろうか・・・。
さて掲句、忌日俳句を客観写生した縫子さんの力量にとても感銘した。
そして、久女の55年の悲劇の生涯があらためて偲ばれた。(Midori)

*「美と格調の俳人 杉田久女」坂本宮尾著(熊日新聞)参照

春立つ

2009-03-16 | Weblog
潮の目の蛇行大きく春立てり     加川則雄
                               「滝」3月号 <滝集>
潮の目は、異なる二つの潮流の接する海面に現れる帯状の筋をいう。寒流と
暖流の出合う付近などに見られ、プランクトンが豊富なために、しばしば好漁場
となる。さて掲句、日本有数の漁場となる宮城県沖だろうか・・・。黒潮と親潮
の出合う潮の目が大きく蛇行するさまは、生命の胎動を感じさせる。「蛇行大き
く」の駘蕩とした写生に、静かな立春の喜びが伝わってきた。(Midori)