十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

蓮の花

2015-07-31 | Weblog
蓮ひらく上品下品なき浄土
ひかり曳き馬の走れる聖五月
街薄暑路面電車のただよひ来
草笛のせせらぎとなる夕べかな     みどり


*「阿蘇」8月号、岩岡中正主宰選


 8月は、父の初盆、そして母の19回忌を迎えます。これまで宗教心というものが、それほどあったとは言えませんが、父母の仏事を通して、少しずつ仏教というものを広く知りたいと思うようになりました。浄土の世界は奥が深く難しいです。(Midori)

青嵐

2015-07-30 | Weblog
青嵐大樹はいつも仰がるる     岩岡中正

幹回りは数メートルに及び、走り根は隆々と大地を掴んでいる。樹齢千年を超える大樹である。大樹を前にして、私たちができることと言えば、ただその大きさを仰ぎ見るだけである。「大樹はいつも仰がるる」は、大樹だけでなく、大いなる存在への賛美なのだ。「青嵐」が、その生命の躍動感を伝えている。俳誌「阿蘇」合同句集(創刊1000号記念)より抄出。(Midori)

サングラス

2015-07-29 | Weblog
太陽が右と左にサングラス     加藤かな文

サングラスにも、色の薄いものから濃いものまでいろいろあるが、これは、鏡のようになっている真っ黒いサングラスだ。サングラスの右と左に太陽が映っているというより、反射したという方が正しいのかもしれないが、「サングラス」ならではの納得の一句である。「太陽が」の「が」の強調もいい。2015年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori)

四十雀

2015-07-28 | Weblog
ネクタイを外しなさいよ四十雀     川口 

地球温暖化防止の一環としてクールビスが推進され、夏の一定期間、ネクタイをしないライフスタイルが定着したが、職種によっては、ネクタイ着用という男性も多い。ネクタイは、やはり管理社会の象徴なのかもしれない。さて、四十雀。確かに黒いネクタイをしているように見える。「ネクタイを外しなさいよ」と、ネクタイ族の悲哀をここにも感じている作者である。2015年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori)

百合

2015-07-27 | Weblog
遠ざけて病廊に置く百合香る     前田けい子

病室に置くには、強すぎる百合の香を、廊下に置いた作者である。しかし、そんな思いとは関係なく百合は尚も芳香を放つのでる。病めば、百合の香さえ疎ましいもかもしれない。「遠ざけて」「置く」「香る」の三つの動詞が、そんな作者の心模様を良く伝えている。句集『季節のかたみ』(阿蘇叢書)より抄出。(Midori)

袋掛

2015-07-25 | Weblog
二人ゐて少し離れて袋掛     深見けん二

「二人ゐて」と、まずは視覚が捉えた確かな人の数。次に、「少し離れて」と、おおよその距離感を提示。そして、「袋掛」へと、収斂してゆく。夫婦二人の袋掛けだろうか?見たままの写生でありながら、静かな作業風景が立ち上げって来た。句集『菫濃く』より抄出。(Midori)

西日

2015-07-24 | Weblog
塩田に人ある限り大西日     西村和子

NHKテレビ小説「まれ」でも紹介されたが、今でも能登地方に伝わる昔ながらの製法を守り続けている人がいる。塩田の仕事は、「潮汲み3年、潮まき10年」とも言われ、熟練した技術と忍耐力を要する。黙々と塩田に働く人の西日に映えたシルエットは、まさに無形文化財の美しさだ。句集『ひとりの椅子』より抄出。(Midori)

油虫

2015-07-23 | Weblog
油蟲聖賢の書に対すのみ    高浜虚子

「油蟲」という俗なるものによって、「聖賢の書」という対照的な措辞が、一層強調されている。書斎における虚子の佇まいが、想像される句であり、「対すのみ」のきっぱりとした断定に、意思の強さを感じさせる。さて、彼にとって「聖賢の書」とは一体何であったのだろうか。第四版『虚子俳話』より抄出。(Midori)

蟻地獄

2015-07-22 | Weblog
日本海の波音とどく蟻地獄     清野やす

蟻地獄は、蟻や小さな昆虫が滑り込みやすいように、すり鉢状の穴になっているが、「日本海の波音とどく」と、まるでラッパ型の集音器のようだ。蟻地獄の形状からの意外な発想が楽しい一句である。「滝」7月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori) 
 

曝書

2015-07-21 | Weblog
曝書かなミラボー橋の愛別れ     渡辺登美子

「曝書かな」から、詩集を曝しているのだと想像される。フランスの詩人アポリネールの作で、堀口大学の訳として知られる、「ミラボー橋」である。「愛別れ」は、「愛と別れ」と解釈すると、詩の中の一つの物語が見えて来る。「曝書」で始まる、省略の利いた作品に、新鮮な詩情が感じられた。「滝」7月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)  

陽炎

2015-07-20 | Weblog
陽炎の中に軍靴の響きあり    鈴木弘子

今年は、戦後70年を迎える。戦争を知らない世代となり、戦争を語る人々が次第に少なくなれば、戦争はまさに「陽炎」のようにぼんやりと記憶から遠ざかっていくのではないかと気にかかる。しかし、「軍靴の響き」をいまも聞こえる作者である。「陽炎の中に・・・」と詩情高く詠まれた作品に、二度と若者を戦場に向かわしてはいけないという思いを深くした。「滝」7月号〈滝集〉より抄出。(Midori)  

夏の月

2015-07-18 | Weblog
摩周湖の底にあしあと夏の月     鈴木要一

摩周湖と言えば、霧の摩周湖。霧のベールは、ますます摩周湖を神秘的な湖にしてしまう。さて、摩周湖の底など見えるはずもないのだが、きっと大きな足跡があるに違いない。それは恐竜、マッシーか・・・。スケールの大きな断定と季語の斡旋が見事な一句。「滝」7月号〈滝集〉より抄出。(Midori) 
  

夏兆す

2015-07-17 | Weblog
橋脚の美しき木組や夏兆す      小林邦子

橋脚というと、錦帯橋を思い出すが、川原から見る木組みの創り出す曲線は、一つの造形美であった。錦帯橋ほどでなくても、日本中どこにでも大小さまざまに美しい橋脚はある。しかし、出水となればあっという間に水面下に没してしまうというのも橋脚の宿命である。配された季語は「夏兆す」。美しい橋脚がこれから迎えるエネルギッシュな夏を思った。「か行」の堅い音の響きも、橋脚の堅固さにつながっているようだ。「滝」7月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

野焼

2015-07-16 | Weblog
天平の列柱ゆがむ野焼かな     遠藤玲子

巨大な礎石が並ぶ草原。礎石は、建造物の土台となったもので、かつての伽藍や政庁の規模を物語るものである。「天平の列柱」とは言え、礎石を残すのみで、現存する列柱はどこにもない。しかし、「野焼かな」と、置かれると、天平時代の華麗なる列柱が幻のように蘇ってくるから不思議である。感覚的な映像が見事な一句。「滝」7月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

夏野

2015-07-15 | Weblog
牛群れて野生化したる夏野かな     菅原鬨也

「牛喰んで」ではなく、「牛群れて」である。動物の「群れ」は、厳しい自然界から種族の命を守るための手段である。牧牛は、もはや野生種とは言えないが、「群れ」は牛の本能であったと思われる。牛が群れを成した時、はじめて夏野は本来の姿を取り戻すのだろうか。「夏野」らしい、生命感と野趣に溢れる作品である。「滝」7月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)