十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

冬木

2013-02-28 | Weblog
    昏々と冬木のやうに眠りたし     岩岡中正

睡眠の時間を削って、多忙な毎日を送っていると思われる作者。高度な能力や技術を要する仕事やスポーツなどの後、誰もが何より欲するものは、やはり「眠ること」ではないだろうか?枯れているのではないかと思って、手折ってみれば、瑞々しい命が息づいている冬木だが、冬の間はまるで眠っているようだ。「昏々と冬木のやうに眠りたし」という切なる願いは、いつ叶うのだろう。「阿蘇」3月号より抄出。(Midori)

剪定

2013-02-27 | Weblog
おほまかな剪定にして狂ひなし     高橋将夫

いかにも大まかに剪られているようでも、
若葉が茂る頃になると、その剪定の確かさが証明される。
剪定は、熟練の技。ひとつひとつが計算された手入れなのだろう。
「剪定」に新しい定義が付加されて詩となった。
2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

落椿

2013-02-26 | Weblog
石庭の波音を聞く落椿     加古宗也

「石庭の波」とは、波状に引かれた箒目のことだろう。
その波音を聞いているのは、深紅の落椿・・・。
幽玄の美の世界から聞こえる波音のようだ。
2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

スイートピー

2013-02-25 | Weblog
人生の午後を夢いろスイートピー    山田貴世

「人生の午後」とは、まるで紅茶でも飲みたくなるような響きだ。
スイートピーの淡いパステルカラーを「夢いろ」と捉える作者。
明るい午後の日射しに包まれた作者の人生観に共感を覚えた。
2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

若芝

2013-02-24 | Weblog
若芝に腕立て伏せの胸が触れ    山口 速

腕立て伏せの胸が、若芝にかすかに触れるとき・・、
腕立て伏せの力が、たっぷりと蓄えられた瞬間だ。
生命感の溢れる若芝に、作者のみなぎる力も瑞々しい。
2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

草萌

2013-02-23 | Weblog
沖の距離いつも変らず草萌ゆる    下鉢清子

今の時代、地球が球体であることを疑う人はいないが、
かつて、地球は平面であるという考えが一般的だった。
沖の距離が変わらないのは、地球が球体であるからだ。
春の兆しが感じられる「草萌ゆる」に、自然の摂理の不思議を思った。
2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

春の川

2013-02-22 | Weblog
春の川本読む君へ光れ光れ    神野紗希

川べりで、静かに本を読んでいる少年が見える。しかし、本を読む若者は少なくなり、ケータイやスマートフォンを操作している若者の方が圧倒的に多くなっしまった。そんな時代だからこそ、「本読む君へ光れ光れ」の字余りも介しないフレーズが新鮮で、心地よく響いた。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori))

子猫

2013-02-21 | Weblog
猫の子の訴へる目は金と銀     大輪靖宏

猫の子は、きっと真っ白でまだ生まれたばかり。
顔いっぱいに鳴きながら、訴える目は一途で、
その目が、金と銀ならば最高だ。
「金と銀」の着目が、非常にユニークな一句。
2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

野火

2013-02-20 | Weblog
ここぞと走り息切れの野火の舌     武田和郎

野火は、風向きなどによって想像もできない動きを見せる。それをどう表現するかは、写生力の問題。野火の突然の勢いを「ここぞと走り」と詠み、ふっと消えてしまう野火を「息切れの野火」と詠んだ。「野火の舌」は、まるで野生の動物のようだ。 2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

苧環

2013-02-19 | Weblog
鎮魂のむらさきよをだまきの花     津森延世 

苧環は、毎年株を増やしながら、その慎ましやかな花を咲かせてくれるのに、今まで、一度も句にしなかったのが不思議だ。下向きに咲く薄紫の花は、「鎮魂のむらさきよ」の呼びかけ通り、ひっそりとしていて可愛らしい。2013年版年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

十二月

2013-02-18 | Weblog
    釘抜いて軽くなる壁十二月     宇野成子

何か物を掛けるための釘だったのかもしれない。古い家ほど無造作に打たれたままになっている釘は多いもの。煤払いのついでに抜いてしまったのだろう。抜いてしまえば、壁はすっきりするし、軽くなった感じは、心も同じ。「釘」という即物的なものが、心象的な輪郭を併せ持っていることに気づかされた作品。「滝」2月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

猟名残

2013-02-17 | Weblog
     空へつづく海の鈍色猟名残      菅原鬨也

眼前に、鈍色をした海が広がっている。季節は冬の寒さが残る早春。鈍色の海は、水平線を境に空ヘと続き、鈍色が空を覆い尽くしている。「空へつづく海の鈍色」とは、こんな景だ。そこで配合された季語は、猟名残。猟解禁とともに、銃声が空にひびき渡り、火薬の匂いが辺りに立ち込めたであろう期間が、やがて終わろうとしている。山野は少しずついつもの静かさを取り戻しつつあるのだ。「鈍色」は、まさに「猟名残」の情感そのものと言えるのではないだろうか。そして「空へつづく」のはノスタルジー。抜群の季語の選択によって、季節の一つの終わりとはじまりを予感させる余韻のある作品となっている。第3句集『飛沫』より抄出。(Midori)

2013-02-16 | Weblog
オオカミの眼に星の巡りけり     中井由美子

日本オオカミは絶滅したとされ、実際にオオカミの姿を目にすることはできなくなった。しかし、オオカミの神々しい姿は、今も尚消えることなく、日本人の心の中に生き続けている。「オオカミの眼に星の巡りけり」とは、絶滅して以来の歳月ではないだろうか。オオカミへの限りないロマンと失ったものへの哀惜が感じられた。「滝」2月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

開戦日

2013-02-15 | Weblog
十二月八日はらりと正誤表     及川源作

いくらかの期待を抱きながら真新しい書籍をめくっている時、一番最初に正誤表に出合ったりすると、ちょっと興ざめしてしまう。読む前から存在する「正誤表」に違和感を覚えるからだ。正誤を確認することは、実際ほとんどないような気がするのは、いわゆる、ヒューマンエラーだと許してしまうからかもしれない。さて、十二月八日は、ヒューマンエラーでは済まされない。「はらりと正誤表」の白い小さな紙切れに、ドキリとさせられた。「滝」2月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

白菜

2013-02-14 | Weblog
ハレルヤの余韻白菜刻みをり      小林邦子

「ハレルヤ」はヘブライ語で「主をほめたたえよ」の意味だそうだが、あの合唱曲は誰もが一度は聴いたことがあることだろう。意味などわからなくても、「ハレルヤ」の連呼に、いつしか心が弾む。「ハレルヤ」の音が、日本語の「晴れるや」と同じであることもその要因かもしれない。その余韻のまま、白菜を刻んでいる作者。日常への転換によって、一際瑞々しい白菜を表出し得た。「滝」2月号〈滝集〉より抄出。(Midori)