十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

青葉

2016-07-31 | Weblog
当てもなく言葉は宙に春の地震
魚跳ねて海光こぼす立夏かな
地震に病むこころ染めゆく青葉かな
切手には古里の山ほととぎす  
   

*「阿蘇」8月号、岩岡中正主宰選

 4月の二度の熊本地震から、早、立秋を迎えようとしている。7月26日に、はじめて震度1以上の余震が「ゼロ」という日を記録したが、今だに余震は続いている。先月号は、「熊本地震」という特集号だったが、今月号もまた地震特集さながらの様相を呈している。俳句は、「平和の文学でなくてはならない」という主宰の巻頭言があるが、今は、「平和の文学」がとても詠み辛い時である。(Midori)

土用丑の日

2016-07-30 | Weblog
土用丑の日。「鰻」というと、我が家から車で40分、詩人、北原白秋の生家があることで知られる柳川まで行ってきた。川筋は柳が青々と茂り、船着き場ではたくさんの船頭さんが、川下りの客待ちをしている。さて、柳川のもう一つの名所に、旧柳川藩立花家の別邸、「御花」がある。美しい庭園を見ながら頂く鰻のせいろ蒸しが、「御花」の一番の名物なのだ。甘い醤油だれの脂がのった鰻と、飴色に蒸し上がったご飯は、まさに絶品だった。(Midori)

生ビール飲み干してゐるイヤリング   

トマト

2016-07-28 | Weblog
一坪ほどの家庭菜園をしている。紫蘇、バジル、韮は、毎年の夏の定番。ハーブ系は、とにかく強い。摘んでも摘んでも次々に新しい葉が伸びるので、とっても便利。ところが、毎年元気なピーマンが全滅したのだ。棒の支えを怠ったのが原因なのか、堆肥に問題があったのか、連作がいけなかったのか?ピーマンは諦めて、大きめの鉢に苦瓜を植えてみた。蔓を這わせる必要があるので、苦肉の策で、花水木の側に鉢を置いてみた。二三日もすると幹に蔓を這わせている。花水木には申し訳ないが、一本くらいの苦瓜の蔓なら、まぁいいか・・・。その内、花水木に苦瓜が下がるのが楽しみ。(Midori)

太陽の拳のやうなトマトかな

谷崎忌

2016-07-26 | Weblog
谷崎潤一郎というと、まず『細雪』を思い出す。谷崎の妻、松子とその姉妹がモデルとなった、上流階級の女性たちの物語だ。太平洋戦争で次第に失われてゆく日本の美しい情緒を、まるで愛おしむかのように描かれていた。物語の細部はすっかり忘れたが、谷崎が愛した女性たちは、ただただ美しく華やかで、それだけで読む者を心地よくさせてくれたものだ。(Midori)

ももいろの紙石鹸や谷崎忌

2016-07-24 | Weblog
セールスのしとどの汗に契約す    徳永文代

契約が成立する要因は、様々だと思うが、掲句では、「しどどの汗」に契約したのである。セールスマンの努力の結果に他ならないが、その「汗」に焦点を絞った展開が見事。「阿蘇」1千号『合同句集』より抄出。(Midori)

ががんぼ

2016-07-23 | Weblog
熊本県北の玉名市の蓮華院誕生寺は、11月の九州場所になると、毎年、奉納相撲が行われている。自宅から車で30分の所だから、見に行こうと思えば行けるのだが、最近の相撲人気を思うと人ごみが苦手でまだ一度も行っていない。父親譲りの相撲ファンの一人だが、その程度なのが何だか悔しい。今年こそは、行ってみるつもり。(Midori)

ががんぼのやうな力士の勝名乗り

雲の峰

2016-07-22 | Weblog
先生に先生のをり雲の峰      進藤剛至

散文的な措辞でありながら、「先生」の「先生」を過去へと辿れば、どこまでも「先生」がいるという構図。もくもくと上空へ上空ヘと盛り上がる「雲の峰」とは方向性は違っていてもどこか似ている。「雲の峰」という季語の斡旋によって、詩へと昇華した取合せが楽しい一句である。日本伝統俳句協会『花鳥諷詠』332号より抄出。(Midori)

藻の花

2016-07-21 | Weblog
江津湖は豊富な湧水と緑豊かなパワースポットとして、熊本の憩いの場所として親しまれているが、震度七の前震、本震、度重なる余震に加えて、梅雨の豪雨にどう絶えたのか・・・。熊本地震以来、初めて見る江津湖にいくらかの不安があったものの、いつもとそれ程変わらない江津湖が広がっていて安堵。遊歩道には亀裂が入り、青芝はいくらか伸びてはいたが、湧水は水底まで透きとおっていた。(Midori)

藻の花や地震に倦みたる水のいろ    

木下闇 

2016-07-20 | Weblog
夏の季語、「緑蔭」と「木下闇」の違いをNHK俳句で、選者、夏井いつきさんがグラフにして明らかにしようとしていたが、今ひとつ納得のいくものではなかった。歴史的には、「緑蔭」は比較的新しい季語だというが、感覚的には、「緑蔭」の方が、明るいイメージだ。

木下闇ものの怪の目の爛々と     みどり

噴水

2016-07-19 | Weblog
月曜日の噴水噴くを休みをり     鈴木要一

月曜日休館の美術館、あるいは図書館だろうか?土曜日曜は、開館しても月曜日は休館という文化施設は多い。休館と同時に、噴水までも「休み」だという発見が楽しい一句である。「滝」6月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

2016-07-18 | Weblog
つと停まる蛇の鎌首羊歯浄土     阿部風々子

「羊歯浄土」という言葉が新鮮な一句である。羊歯浄土であるから、辺り一面びっしりと羊歯に覆われた丘陵なのだろう。そこへ「蛇の鎌首」がふと停まるのだ。「鎌首」に焦点が絞られているので、もちろん胴体は羊歯の中に隠れている。この句も、ジュラ紀の原風景を想像させられて、見事。作者は北海道在住だが、阿蘇山には、巨大な羊歯の葉が茂っている原野がある。「滝」6月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

2016-07-17 | Weblog
蟇の鳴く空に異次元へのとびら     石母田星人

「蟇の鳴く空」は、白亜紀、あるいはジュラ紀の空か・・・。時空を超えた空かも知れないが、「蟇の鳴く」という限定された「空」である。「異次元へのとびら」とは、いかにもシュールだが、「とびら」という具象が俳句としての詩情を支えて揺るぎない。下5への句跨りのリズムと名詞止めが創り出す壮大なロマンである。「滝」6月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

落し文

2016-07-15 | Weblog
最近、様々なゲストが登場する俳句の番組が増えて嬉しいが、小説家、石田衣良もその一人。若手の小説家として名前は良く知ってはいたが、改めて彼の出世作、「4TEENフォーティーン」を読んでいる。14歳、つまり中学2年生の男子4人の8つの小さな友情物語といえば、詰まらないが、友情の押しつけではない彼らなりの「やり方」がたまらなく心憎いのだ。さてどんな大人になって行くんだろう?俳句のような余韻に包まれる爽やかな物語である。

業平か光源氏か落し文    みどり

都忘れ

2016-07-13 | Weblog
都忘れ咲きたる終の棲家かな
ひとすぢの活路ありけり蜷の道
春の夜の都心揺さぶる大地震
ふと覚めて余震の気配若葉冷     みどり


*「阿蘇」7月号、井芹眞一郎選

【選評】実際に庭に咲いているのかも知れないが、終の棲家の在りようを想像させて面白い。「都忘れ」が絶妙に共鳴して好句となった。

 実は、「都忘れ」は、南関地区句会の兼題でした、もちろん、「都忘れ」は知っていましたし、見たこともありましたが、その名の物語性にわが身をちょっぴり重ねてみました。尚、「阿蘇」誌は、毎月、主宰への投句とは別に、副主宰への投句もあります。(Midori)

凉し

2016-07-11 | Weblog
何事も老の一徹われ涼し     高浜虚子

『虚子俳話』の中の昭和31年の作である。虚子ほどの俳人が、80歳を超えれば、「われ涼し」と平然と言ってのけることが許されるかもしれないが、今では一体何歳くらいになったら言える措辞だろうか。虚子のように、いつかは「われ涼し」と、達観してみせたいもの。(Midori)