十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

蝌蚪

2011-05-31 | Weblog
昃れば蝌蚪の国より雲湧けり    酒井恍山

どこの国かと思えば、ここは蝌蚪の国・・・
蝌蚪の国にも、空があれば雲も湧く。
作者の頭上の空が昃れば、蝌蚪の国より雲が湧いたという、
ただそれだけの二重構造が、これほど新鮮に感じられたのは、
「蝌蚪の国より」という飛躍にあるのだろうか?
「滝」5月号「渓流集」より抄出。(Midori)

2011-05-30 | Weblog
  白道に沿うて大罅夜の桜    石母田星人

地殻変動により生じた地表の罅は、天球へとつづく。
白道に沿って伸びて行く罅は、夜空に一刀のごとき傷となる。
地震の傷跡を眼前にした作者の目に映るものは、
どこまでもつづく「大罅」なのだろう。
「白道」というシンボリックな「道」は、単に闇の中に浮かぶ白い道とも、
あるいは、極楽浄土に至る道筋に存在すると言われる、
火の河と水の河の中間にある二河白道なのかもしれない。
夜の桜の妖艶な美しさが、生々しい記憶を蘇らせる。
「滝」5月号「渓流集」より抄出。(Midori)

2011-05-29 | Weblog
  余震なり蝶ひらひらと夜空より    菅原鬨也

3月11日の千年に一度と言われる大地震、
そして、いまだにつづく余震の恐怖。
夜空よりひらひらと舞い落ちる蝶は、幻想的でありながら、
まるで、剥離した夜空の欠片が、輝きながら降って来るかのようだ。
大地震は、大地も空も人の心にも大きな傷跡をのこしていった。
「滝」5月号「飛沫抄」より抄出。(Midori)

鴉の巣

2011-05-28 | Weblog
  巣の鴉啞啞啞啞大地揺れやまず    山千枝子

動物の中には、地震を予知する能力を持つものもいるらしい。
地球の微小な振動や電磁波を察知することができれば、もっと災害も
防ぐことができるのに、人間の力の及ばないことばかりだ。
さて、鴉の雛たちは、気づいていたのだろうか・・・?
「啞啞啞啞」の表記に、声にならない声が聞こえるようだ。
「俳句」6月号「作品8句」より抄出。(Midori)

初蝶

2011-05-27 | Weblog
初蝶のいづこに影を置いてきし   西山 睦

この世に存在する森羅万象は、それぞれ必ず影を持つ。
しかし、3月11日、初蝶の影は津波にさらわれたのか、
瓦礫の中に埋もれてしまったのか・・・?
今もなお、自分の影を探して飛ぶ初蝶が、切ない。
同時掲載句に、「動きたる瓦礫一片蝶の羽化」がある。
「俳句」6月号「特別作品21句」より抄出。(Midori)

草取

2011-05-26 | Weblog
  草抜いて身の立ち位置を確かめる    金子 潤

草を抜くのに、上手い方法など何もなく、ただひたすら一本一本抜くだけだ。
広範囲に草を抜いた経験がなければ、わからないかもしれないが、
黙々と下を向いて草を抜いていると、ふっと自分の居場所がわからなくなる。
時折、立ち上がって、周りを見回すと、いつの間にか、
思わぬ場所に進んでいたりするものだ。
「身の立ち位置を確かめる」って確かにそんな感じだ。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

葦切

2011-05-25 | Weblog
よしきりの鳴くは呼ぶとも拒むとも   奥名春江

よしきりは、南方から飛来する夏鳥だが、その特徴的な鳴き声から、
「行々子」とも言われる。さて、そのよしきりの鳴き声だが、
求愛の声なのか、敵を威嚇する声なのか?
残念ながら、人間には、「ギョギョッ」としか聞こえない。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

ががんぼ

2011-05-25 | Weblog
ががんぼの大地を知らぬ脚細し   橧 紀代

ががんぼは、蚊を一回り大きくしたような昆虫だが、
蚊のように、人を刺したり吸血したりはしない。
ががんぼの足が細くて外れやすいことは、よく知られているが、
「大地を知らぬ脚」と言われると、何だか切ない。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

2011-05-23 | Weblog
眼澄む心の底に泉もち    加藤耕子

どなたを詠まれたのだろうか?
目は、湖のように深く澄んでいて、眼の中を覗けば、
心の底に満々と湛える泉まで見えてきそうだ。
季語「泉」を詠んだ作品でありながら、
実体としての「泉」はどこにもない。
それでも「泉」のリアリティは十分に伝わってきた。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

虚子

2011-05-22 | Weblog
聞こえるよてつぺんかけたか虚子の声   小川恭生

昨日、今年初めてのホトトギスの鳴き声を聞いた。
それも真夜中に、「てっぺんかけたか」と、たった一声・・・
今日は、昼間もしきり鳴いていたけど、その中に、
「聞こえるよ」という虚子の声は、残念ながら識別できなかった。
「か行」がつづく硬質なひびきに、虚子の静かな叱咤の声が聞こえるようだ。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

浜木綿

2011-05-21 | Weblog
   はまゆうの蕊・蕊・蕊に驟雨すぐ    山崎昭登

浜木綿は、1メートル近くにもなり、海辺に群生する大ぶりの花だ。
白い六弁花が多数集まって、傘状にたくさんの花を咲かせる。
植物学的にいうと、そんなところだろうか?しかし、俳句では違う。
「蕊・蕊・蕊に」というそれだけで、浜木綿の在りようが十分伝わってくる。
通り過ぎた驟雨の雨粒が、「蕊・蕊・蕊に」白く光っているのが見える。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

新緑

2011-05-20 | Weblog
  顔よせて鏡くもらす緑の夜   ながさく清江

鏡をくもらせたのは、作者の微かな息づかいだが、
まるで、生命体としての細胞の一つひとつの呼吸が、
鏡を曇らせたかのようにも思える。そして、
「緑の夜」の瑞々しい生命力もまた、鏡をくもらせたのだと、
感じさせるような官能的な詩の世界に心惹かれた。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

空豆

2011-05-19 | Weblog
  では剥いてやろ空豆の宇宙服    矢島渚男

緑色の莢を空に向けてつけているので、「空豆」というらしい。
分厚くて丸くくびれている莢は、なるほど「宇宙服」に似ている。
空豆を前にして、「では剥いてやろ」のわずかな時間の間・・・
宇宙服が、パカリと脱がされるさまが、想像されて楽しい一句。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

夕焼

2011-05-18 | Weblog
   夕焼けて何の今更オムライス    竹村文一

日没の頃、西の空が赤く染まるのはとても美しい現象だ。
一方で、夕焼けのいっときの美しさは、やはり人生の晩年を、
思わせる。しかし、晩年は、誰でも等しく訪れる。
「今更」という、躊躇、諦め、挫折・・・
オムライスでもハンバーグでも、好きなものは、遠慮せずに、
「ご注文は?」と訊かれたら、迷わず「オムライス」と言いたい。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

青葉

2011-05-17 | Weblog
  淋しくも懐かしき訃や青葉見る    岸本尚毅

突然の友人の訃音に、寂しさを禁じ得ることはできない。
しかし同時に、日頃あまり思い出すこともなかった友人との、
思い出の数々が、走馬灯のように懐かしく蘇って来る・・・
青葉を見る作者の目に映るものは、甘美な青春の記憶なのだろう。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)