十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

2013-07-31 | Weblog
夫はいま眠つたところサイネリア     寺崎久美子

病がちなのか、なかなか寝つけないでいる夫なのかもしれない。やっと薬が効いて来たのか、安らかな寝息を立てはじめた夫。「夫はいま眠つたところ」の口語体に、つかの間の安らぎを覚えている作者の飾らない心情が伝わってくる。サイネリアの硬質なイメージが清潔な詩情を醸し出している。「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

2013-07-30 | Weblog
ときめきを土に屈みてクローバー     徳永文代

こんもりと群生しているクローバーを見ると、いくつになっても四葉を探したくなるもの。「ときめきを土に屈みて」とは、非常に省略の利いたフレーズだが、助詞「を」によって、一句に豊かな表情を与えている。感情の動きが動作となって、読む者に追体験をさせられた。「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

破れ傘

2013-07-29 | Weblog
狷介は老いのたのしみ破れ傘      岩岡中正

狷介とは、「頑固で自分の信じるところを固く守り、 他人に心を開こうとしないこと。また、そのさま。片意地。」と大辞泉。「狷介は老いのたのしみ」と、言ってのけた作者ではあるが、謙遜の言葉とも受け取れる。第二の人生を生きようとするとき、いくらかの我儘が許されてこそ老いの醍醐味だ。「破れ傘」が配されて、世を達観した俳味がとても楽しい一句。「阿蘇」8月号より抄出。(Midori)

花火

2013-07-28 | Weblog
少し待ってやはりさっきの花火で最後      神野紗希

今は電子制御された花火がつぎつぎと上がる時代だが、かつては一発ごとの花火の間にわずかな間があった。もう終わりかな?と思って待っていると、また一つ。この時の嬉しさってなかった。そして、いよいよ花火が上がる気配もなく、いくら待っても夜空は静まり返ったまま。「やっぱりさっきの花火で最後だったんだ」と、誰もが思って誰も一句にしなかった。2013年版「俳句年鑑」より抄出。

新緑

2013-07-27 | Weblog
新緑の闇を抱へる少女像     吉村裕一

新緑は、明るい陽光に溢れ、生のエネルギーを縦横に放っているものだが、何と、「新緑の闇」があるという。陽があれば陰があるのは、自然の摂理だが、新緑の闇は、緑蔭とも少し違う。一方で、思春期の少女もまた、傷つきやすい小さな闇を抱えている。少女像が一身に抱える「新緑の闇」に注がれる作者のまなざしが優しく映った。「滝」7月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2013-07-26 | Weblog
花言葉問ひて花買ふパリ―祭     中井由美子

パリ―祭であれば、薔薇の花を買ったのだろうか。店頭に見る薔薇は、色もとりどりで、赤、白、黄、ピンクとそれぞれに美しい。つい、花言葉を聞いてみたくなるのも女性の心理。調べてみると、赤は「情熱」、白は「純潔」、黄色は「友情」など、女性の心をくすぐるような言葉がたくさん並んでいる。一句の中の「花」の連続と、リズミカルに続く「は」音に、パリ―祭ならではの華やぎと飾らないときめきが感じられた。「滝」7月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

若葉風

2013-07-25 | Weblog
つめ過ぎしズボンの丈や若葉風     畑中伴子

誰もが一度は経験したことがあることだろう。つめ過ぎてしまったズボンの丈を再び伸ばすのは難しい。たとえ伸ばせたとしても、返した幅が小さ過ぎては格好悪い。しかし、作者は、そんなことなど一向に構わないようだ。若葉風に見え隠れする白い踝が、かえって涼しげで、読者の目にも眩しく映る。軽やかな俳味がとても魅力的な一句。「滝」7月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

蜘蛛

2013-07-24 | Weblog
朝の日や飢ゑうつくしき女郎蜘蛛      菅原鬨也

「飢え」は、生命の維持に関わる重大なサインであり、「食」への渇望、つまりは第一次的欲求の一つだと言える。本来、原初の感覚であり、決して「美しい」とされるものではないだろう。しかし、「飢ゑうつくしき女郎蜘蛛」とは、何と意表をついた衝撃的なフレーズだろうか。相反すると考えられるはずのものが、確かに美しいと納得させられるのは、女郎蜘蛛であるからに違いない。朝日が昇り、女郎蜘蛛の目覚めとともに訪れる飢え・・・。張り巡らされた蜘蛛の囲が、残酷なまでに朝日に輝くさまは、一方で、他のいのちの危機が迫っているという現実を物語る。スリリングな詩情が、ますます女郎蜘蛛の飢えを美しいものに変えている。句集『潮騒』より抄出。(Midori)

2013-07-23 | Weblog
ドーナツの穴の考察よなぐもり      佐々木博子

ブラックホールは、宇宙に存在する暗黒の穴。穴と言っても、とてつもない高密度と重力を持ち、光さえ発しない謎の天体だ。昨年、わが銀河系宇宙にも巨大なブラックホールがあることがわかったが、上から見る画像はまるでドーナツの穴ようだ。宇宙の穴はさておき、問題はドーナツの穴だ。ドーナツの穴の大きさの基準は?ドーナツの穴は、ドーナツの一部だと言えるのか?配合された季語は、よなぐもり。考察はいつか、宇宙論、環境問題、命の根源にまで及びそうだ。「滝」7月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

2013-07-22 | Weblog
蛙啼くたちまち蝦夷の闇せまる     小野憲彦

蛙が鳴き始めると、いつの間にか闇が迫っている。仙台在住の作者にとって、闇は、ただの闇ではなく「蝦夷の闇」だという。かつて東北が、「蝦夷」と呼ばれていた時代があった。中央集権にとって、北は、東北・北海道、南は九州と、いずれも征服されるべき異民族だったのだ。すでに遠い過去となってしまったが、蛙の鳴く夜、かつての蝦夷の闇が時を超えて蘇るのだ。「滝」7月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

紫陽花

2013-07-21 | Weblog
寺領いま紫陽花あふれ一忌日     宇野成子

紫陽花が溢れんばかりに咲いている・・・。ただそれだけのことではあるが、毎年変わることのなく咲いている紫陽花が、この上もなく貴重で有難いものに思えてくる。「一忌日」だからこそ改めて感じられたものは、移ろいやすい時代の中で、変わらぬ紫陽花の美しさではなかっただろうか?「滝」7月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

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2013-07-20 | Weblog
幕を引く恋の舞台やほととぎす
蝙蝠の張りついてゐる夜の天蓋
東路をかよふ夜風や業平忌
白南風や卓布の上の名前札    みどり


*「滝」7月号〈滝集〉に掲載されました

2013-07-19 | Weblog
志功画の女人たずねて走梅雨     相馬カツオ

 棟方志功は青森県出身の板画家で、日本が誇る世界的巨匠の一人だ。彼の作品は、女人を描いたものが特徴的だが、女性の中に仏を見出し、女性は仏であるとする志功の女性観によるものだとされる。作者もまた、志功画の女人の中の仏さまに会いに行ったものだろうか。志功画の女人に焦点が絞られ、「走梅雨」という現実の気象現象がうまく調和して、高揚感のある作品となっている。「滝」7月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

水中花

2013-07-18 | Weblog
水中花肉の記憶と種の記憶     阿部風々子

「肉」が、「精神」に対する物理的な身体を意味するとしたら、「肉の記憶」とは、次第に失われつつある肉体の記憶なのかもしれない。一方で、「種の記憶」とは、受け継がれてゆく遺伝子の記憶ではないだろうか。後期高齢をすでに超えている作者ならではの哀感を覚えるが、「水中花」が配されて、失われることのないロマンと美意識が感じられた。「滝」7月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

2013-07-17 | Weblog
星間の蛇口に夏の来てをりぬ     石母田星人

NASAは、15日、太陽系で最も端にある巨大な惑星、海王星に14番目の衛星が見つかったと発表した。直径は20kmにも満たないというから、見つかったのは奇跡に近い。さて、星間にある蛇口をひねれば、何が飛び出すのだろうか。新星の構成物質だとしたら、この夏、美しい星がまた一つ生まれそうな気がした。「滝」7月号〈瀬音抄〉より抄出。(Midori)