十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

穭田

2013-11-30 | Weblog
穭田や君なきあとの風の音      鈴木三山

穭田は、すでに収穫の喜びはなく、寒々とした晩秋の風が吹くばかりだ。「君を悼む」の連作5句の中の最後の一句だが、穭田に吹く風は、作者の心の中を吹き抜ける風でもあるのだろう。君なきあとの蕭条とした寂しさが、「穭田」という季語によって十二分に伝わって来た。「滝」11月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

秋暑し

2013-11-29 | Weblog
秋暑し会へば互ひに目をそらす     赤間 学

互いに目を反らすのは、過去に何かあったのか、あるいは互いにライバル意識を持っているのか・・・。そんな自分を、「秋暑し」と自嘲ぎみだが、屈折した思いがさらりと詠まれて共感を覚えた。「滝」11月号〈瀑声集〉より抄出。(Midori)

草紅葉

2013-11-28 | Weblog
日をはねし空缶ひとつ草紅葉      鈴木要一

なぜか気になる作品。よくある風景に特段の詩情は感じないはずなのに、気になって仕方ないのは、やはり「空缶」の存在だろうか。空缶は、自然界に残して行った人間のものだからかもしれない。象徴的なものを感じた。「滝」11月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

羽化

2013-11-27 | Weblog
第34回熊本県民文芸賞「俳句」一席

春日傘言葉眩しくありにけり
チューリップ光の羽化のはじまりぬ
ゆく夏のページにたたむ波の音
ペン持てば影の生まるる初秋かな
火の国の水の匂ひや稲の花     平川みどり

【評】入賞の一席はどの句も具象が詩になる瞬間の輝きがいい。1句目の生命讃歌、2句目の「光の羽化」という詩的跳躍、3・4句目の繊細で抑制された抒情、5句目のいのちの豊穣と、どの句も魅力的で、感覚とことばが生き生きとしてひとつの詩的世界を構成している。(岩岡中正) 

*11月27日付、熊本日日新聞に受賞決定の記事が掲載されました。今年、春、夏、秋と、身近なものを素材に詠んでみました。選者の岩岡中正、近藤ひかる、星永文夫、各先生に衷心より御礼申し上げたいと思います。明日は、受賞式に行ってきます。(Midori

秋時雨

2013-11-26 | Weblog
異界より古地図を来る秋時雨      石母田星人

さっと通り過ぎるように降る秋時雨は、一体どこから来たのかと、ふと考えてしまう。雨雲がある訳でもなく、空は晴れていれば、誰しもそう思うのも当然だ。しかし、その答えがここにあった。秋時雨は、「異界より古地図を来る」らしい。まるで、古地図を辿って過去からやって来たかのようだ。古地図は江戸時代辺りの京都だろうか。秋時雨の擬人化が、ちょっと時代めいていい。「滝」11月号〈瀬音集〉より抄出。(Midori)

冬牡丹

2013-11-25 | Weblog
冬牡丹ガラシャ死をもてあがなへり     菅原鬨也

かつて、美しく死ぬことは武士道の美徳であった。三島由紀夫が、生涯の形見として遺した著書、「豊饒の海」第二巻「奔馬」では、主人公の純粋すぎる魂が描かれているが、死は、彼にとって一篇の詩であって、死によって自己を完結することが、彼の最高の美学だった。さて掲句、自ら命を絶つことが、大きな意味を持っていた時代は終わったが、いま、「冬牡丹」によって、ガラシャの死が、一篇の美しい詩となって甦ってきた。「滝」11月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

冬の雲

2013-11-24 | Weblog
冬の雲生き方さがす退職後     大竹多可志

経済的に不安という訳でもないのに嘱託として職場にのこったり、退職後の生き方は様々だ。人生80年となった今、退職後の人生は、大いなる第二の人生。「生き方さがす」と、どこか情けないことにならないように、「退職後」の人生設計をしっかりと立てておきたいものだ。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

2013-11-23 | Weblog
第18回「草枕」国際俳句大会が、水と緑豊な江津湖に近い熊本市民体育館で行われました。『俳句の今とこれから』と題して、小熊座主宰、高野ムツオ氏の講演では、「かつて熊襲が住んでいたということが気に入っています」という話に始まり、熊襲も東北の蝦夷もともに大和朝廷に討たれたという共通の史実に親近感を抱いて頂いたようでした。本題では、震災句を紹介頂きながら、非日常の事態に無季の俳句もあり得るのではないかなど、俳句の言葉の力の可能性について熱く語られました。そのあと、受賞句の表彰式、講評と楽しい時間はあっという間に過ぎました。(Midori)

大阿蘇の星の匂ひの髪洗ふ    みどり    *岩岡中正選特選

冬の草

2013-11-22 | Weblog
一病にいのちふかまる冬の草     藺草慶子

健康である時は、健康の有難さはわからない。一病を得て、はじめて健康の尊さを知れば、草木に宿る小さな命の輝きにも気づくことだろう。一病によって敏感になった視覚や聴覚などの様々な感覚は、今まで気づかなかった小さな命の存在を気づかせる。「いのちふかまる」に、そんな思いを深くした。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

湯たんぽ

2013-11-21 | Weblog
父に湯たんぽ父に家捨てさせて     高田正子

父母と暮らした家を継ぐのが、子どもの当然の義務であった時代はもう遠い過去のことになってしまった。父母が揃っている間はよいが、いつかは一人になり、一人の生活が難しくなる時が来る。「家を捨てさせる」という選択肢が残されているのはこの時だろうか。「家」という大きな温もりを失った父に、湯たんぽの小さな温もりもまた優しい。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

神の留守

2013-11-20 | Weblog
呼びもせぬエレベーター来神の留守     阪西敦

↑に行きたいのに、↓行きのエレベーターが来ることは、よくあることだが、空のエレベーターの場合はともかく、中にいっぱいの利用者がいると、見送る変な間があって可笑しなものだ。「呼びもせぬエレベータ―来」と、何気ない日常が楽しいが、配合された季語は、神の留守。呼びもしないエレベーターでどこかへ行ってみたくなるのも神様が留守だからだろうか。2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

冬日

2013-11-19 | Weblog
冬日あり実に頼母しき限りかな     高浜虚子

冬日は、冬の太陽やその日差し。日照時間も少なく、よわよわしい光であるにもかかわらず、「実に頼母しき」とはちょっと意外でもある。しかし、その意外性こそが、冬日の概念なのだと実感させられる。冬日の暖かさは、皮膚感覚だけでない温もりがあるからだろうか・・・。『虚子俳話』より抄出。(Midori)

風花

2013-11-18 | Weblog
風花やいま過りしは時間の尾     平木智恵子

時間は、時の長さであるが、目に見えるわけでなく、時計の針を見るか、デジタルの数字で、時間の経過を確認するしかない。しかし、時間が刻一刻と過ぎ去って行く感覚は、誰しもあるもの。限られた時間が差し迫っている時など、まさに時間に羽が生えたかのようだ。「いま過りしは時間の尾」とは、そんな切羽詰まった時に感じる視覚的なイメージと言えるだろうか。さて、風花は?2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

冬籠

2013-11-17 | Weblog
スリッパにみぎひだりあり冬籠     大輪靖宏

スリッパに右左があることを発見したのは、スリッパの右左を間違えて履いたからだ。履き心地の悪さを経験して、はじめて知るスリッパの右左の存在。冬籠の中での小さな発見だが、履き違えたのが人生ならば、さて、どうしよう。2013年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

日向ぼこ

2013-11-16 | Weblog
対のものいつしか欠くる日向ぼこ     松倉ゆずる

対のものと言えば、人体にある対のもの。もし片方が欠ければ、片方がその機能を補う。それから、対のものといえば、ティーカップ?そして夫婦。日向ぼこしているのは、一人の背中だろうか、二人の背中だろうか?2013年版「俳句年鑑」より抄出。(み)