十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

雪の夜

2013-01-31 | Weblog
   雪の夜の話はいつもさかのぼる      岩岡中正

こう言われると、納得してしまうのは、それなりの理由があるからなのだろう。「さかのぼる」のは、それぞれが生きてきた時間であり、過去の体験や記憶。しんしんと降り続く雪の夜は、感覚的にも研ぎ澄まされて、話は過去へ過去へとさかのぼり、一つの物語となって今に蘇る。雪が少ない土地の雪の夜だからかと思う。「阿蘇」2月号より抄出。(Midori)

実南天

2013-01-30 | Weblog
そこそこの血の気身にあり実南天     山上樹実雄

「そこそこ」は謙譲の「そこそこ」かもしれないが、
血の気は多すぎても困るもの。
そこそこの血の気があれば、充分だとも言える。
柚子の湯にとろけしあとの骨身かな    樹実雄
の句も同時掲載されているが、
老いの美意識と機知に富んだ詠みぶりがよかった
「俳句」2月号より抄出。(Midori
)

初日影

2013-01-29 | Weblog
カーテンの裾抉じ入るは初日影     辻田克巳

「抉」には「こ」のルビが振ってあるが、
初日影の「裾抉じ入る」の強引さがいい。
ぼやぼやしては居られない気持ち・・・。
「俳句」2月号より抄出。(Midori)

寒卵

2013-01-28 | Weblog
ゆらゆらと重さありけり寒卵   小川軽舟

ゆらゆらとした不確かな存在でありながら、
確かな重み・・・。「ゆらゆらと重さありけり」の、
相反した形容が、寒卵の本質を捉えた。
「俳句」2月号より抄出。(Midori)
 

雪螢

2013-01-27 | Weblog
   落武者の里は終点雪螢      日野紀恵子

勝敗を分ける戦乱の世にあって、敗者として生きる方法などなかったに違いない。しかし、山間部などで人知れず生き延びていった武士たちは、時代から完全に取り残された落武者であった。今では、「落武者の里」として、歴史とともに偲ばれる存在となっているのは、日本人の無常観とも通じるものだろうか?さて、配された季語は、雪螢。「雪螢」が落武者の魂のようで、戦国の世の儚いロマンが感じられた。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori
)

枯蔓

2013-01-26 | Weblog
藤枯れて蔓の呪縛は残りをり     相馬カツオ

春から秋にかけて、他を覆い尽くすかのように成長を続け、花を咲かせ実をつけていた藤も、冬になると、すっかり葉を落とし、他に蔓を絡ませたまま、一冬を送る。それを「蔓の呪縛は残りをり」と見た作者。藤の芽が吹くころには、きっと蔓の呪縛も解けることだろう。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

木の実

2013-01-25 | Weblog
   仮住まひ木の実時雨の中にあり     加川則雄

「木の実時雨の中にあり」とは、まるで、森の中に架けられた小鳥の巣のようだ。「仮住まひ」は、被災地の仮設住宅を思わせるが、ポジティブな心のあり方、小さな喜びを見つけることのできる心の豊かさに感動を覚えた。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(Midori
)

冬天

2013-01-24 | Weblog
     冬天へ下駄を放りしまま逝けり     遠藤玲子

「あした天気にな~れ」と言いながら、履き物を放って占った明日の天気。表が出れば晴れ、裏になれば雨、どちらでもなければ曇りだった。でも結果はどうでも良くて、ただそうやっていつまでも遊んでいたいだけだったような気がする。3.11の大震災の直後、年の離れた妹さんを亡くされている作者。幼き日々の思い出が、走馬燈のように蘇り、冬天へ下駄を放る幼い妹の姿が、昨日のように思い出されたのだろうか・・・。「滝」1月号〈滝集〉より抄出。(
Midori)

冬近し

2013-01-23 | Weblog
    ベランダをよぎる鳥影冬近し    牧野春江

家屋に接していながら、外部とも接しているベランダは、外界を知ることができる最も身近な場所だ。どんな鳥なのかは不明だが、ベランダをただ鳥影がよぎったというだけで、しみじみと感じる情感は、生活空間から捉えた鳥影だったことが、一番の要因だ。作者の身体感覚がとらえた「冬近し」に、微かな緊張感が伝わった。「滝」1月号〈渓流集〉より抄出。(Midori)

狐火

2013-01-22 | Weblog
狐火に眼あづけて飢きざす    石母田星人

闇夜に出現する正体不明の青白い炎、狐火。たまたま出遭ったのか、狐火から目が離せないでいる。「眼あづけて」とはそんな状況だろうか。一方、「飢え」は、生体の一次的欲求の一つであり、生命の根源に関わるもの。幻想的な季語、「狐火」に対照的に配された「飢きざす」であるが、狐火が作者に宿ったかのような錯覚を起こさせる「飢きざす」でもある。「滝」1月号〈渓流集〉
より抄出。(Midori

雪女

2013-01-21 | Weblog
    雪をんなひとつ灯に情断ち切れず     菅原鬨也

「情」を断ち切ることは難しい。さまざまな感情の中で、最後に残るものが「情」だからだ。愛と憎しみ、相反する感情は、ともに「情」という人間固有の感情に還る。それを絶ち切ることは、もともと不可能なことかもしれない。さて、雪女とて、断ち切れない「情」は同じ。妖しくも、儚げではあるが、異性を誘惑する魔性も合わせ持つ雪女。「ひとつ灯に」の具象により、不確かな存在が、俄かに現実味を帯びてくる。「滝」1月号〈飛沫抄〉より抄出。(Midori)

包丁始

2013-01-20 | Weblog
パプリカの赤を包丁始かな    西山ゆりこ

赤は勝負の色、アクティブな色だ。
包丁始めに、「赤」を選んだ作者。
「パプリカの赤」は、艶やかで、味はスパイシー。
「俳句」1月号より抄出。(Midori
)

花八手

2013-01-19 | Weblog
一日をまたいで雨や花八手     加藤静夫

「一日をまたいで雨」というと、三日のうち二日が雨だったということだ。
表現の方法により、連続する三日間の天気の伝達を可能にした。
配合された季語は、花八手。「で」の韻、足と手の関連性は、
計算の内なのだろう。「俳句」1月号より抄出。(Midori
)

2013-01-18 | Weblog
涙なら拭へる氷なら割れる    加藤静夫

「涙なら拭へる」「氷なら割れる」は、
共に可能を表し、逆説となっている。
拭えないもの、割れないものの存在は許されない。
「俳句」1月号より抄出。(Midori)

松明

2013-01-17 | Weblog
松明けの菜っ葉炒める音たからか    池田澄子

フライパンに油を馴染ませ、火力は中火。
そこへ大きめに切っておいた菜っ葉を入れると、
油は、みずみずしい菜っ葉を弾いて、たからかに音を立てる。
松明けの活動開始のファンファーレのようだ。
「俳句」1月号より抄出
。(Midori)