十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

子守唄

2016-03-31 | Weblog
月光を入れて障子を閉めにけり
思ひ出をもち寄り囲む火鉢かな
麦の芽や山河越えゆく子守唄  
懐手わが残生の反抗期       みどり


*「阿蘇」4月号、岩岡中正主宰選

「残生」なんて大げさな言葉を使うと、皆から笑われてしまいますが、母が亡くなった歳まであと5年になってしまいました。俳句的生活を送るには最高の場所で、自由に想像を膨らませて遊んでいます。(Midori)

如月

2016-03-30 | Weblog
福島にきさらぎの風哭きゐたり      菅原鬨也

『俳句会』4月号の企画、「復興を詠む」に掲載された、「福島」と題された10句の中の一句です。この原稿は、折しも福島県郡山市の病室から書かれた作品だと聞いています。皮肉な巡り合わせを感じずにはいられませんが、実際に、福島の風に吹かれた時の率直な感慨だと思われます。「哭きゐたり」の漢字表記のこだわりは、鬨也先生の詩的な美意識が働いたものでしょう。アニミズムの世界観に通じる優しさが感じられます。(Midori)

2016-03-28 | Weblog
うぐひすや轆轤いくたび壺殺め    菅原鬨也

距離感はあるものの句意は明瞭である。鶯は古来より春を告げる鳥として『万葉集』にも多く詠まれている鳥である。一方、轆轤に毀れてしまった壺を「壺殺め」と、擬人化して見せた手法は鮮やかであるが、ここにあるのは、毀れた土の塊があるだけである。配合の形としては、「雅と俗」に属すると思われるが、「生と死」を意識した構図になっていることにも注目したい。句集『曲炎』より抄出。(Midori)

☆師(20)

2016-03-27 | Weblog
フラスコに色のけぶれる涅槃西風   菅原鬨也

俳句における二物配合は、鬨也先生が推進し奨励する修辞法の一つだったが、掲句はその典型的な句と思われる。二物の間には、何ら関連性は存在しない。フラスコの中で、異質な物質が化学反応を起こしていると思われるが、フラスコ内の色が単に「変化」したのであれば、普通の感覚だが、「色のけぶれる」である。もやもやとした気体がカオスだとすると、「涅槃西風」との関連性は容易に説明がつく。このような詩的な化学反応を生じさせる技法が二物配合の大きな魅力なのだ。句集『琥珀』より抄出。(Midori)

☆師(19)

2016-03-26 | Weblog
先師、鬨也先生は「馬」という素材を、好んで詠んでいたが、東北で「馬」と言えば、南部駒である。広辞苑によると、南部駒は、〈青森・岩手・秋田地方から産する日本馬。体躯大で強靭。〉とある。源義経が、奥州平泉を出立する際、藤原秀衡より愛用の南部駒を贈ったと伝えられているが、戦国時代を支えて来たのはこの南部駒の存在であった。東北の厳しい気候が産んだ名馬だったと思われる。「馬」の句を二句挙げる。

さざなみの中に馬立つ桜かな
林檎齧つて片手さばきの馬上かな
    
一句目、南部駒への限りないロマンが感じられるが、すでに絶滅してしまった名馬だからこそのロマンだろうか。「馬」と「桜」の長閑な構図は、古代東北の原風景かもしれない。さざなみの中に立つ馬は、すでに幻なのだ。二句目、平泉の義経の武者振りが想像されるが、上五から中七へ一気に詠まれたスピード感は、若さが漲り、臨場感に溢れる。(Midori)

黄砂

2016-03-24 | Weblog
たとふればオルガンの音黄砂降る     菅原鬨也

「黄砂降る」という視覚的な具象を、「オルガンの音」という聴覚で喩えたものである。蕭条としたオルガンの音は、まさしく黄砂のざらざらとした質感とよく呼応する。研ぎ澄まされた感覚の一句であり、比喩とはこうありたいと思う一句である。句集『曲炎』より抄出。(Midori)

山笑ふ

2016-03-23 | Weblog
その内と言ふも約束山笑ふ     的場秀恭

日常会話をそのまま使って成功するとは限らないが、「その内と言ふも約束」という一種の定義づけが楽しい。実現性の低い約束であることは、互いに承知の上である。「山笑ふ」の季語の選択が見事な一句。2016年版『俳句年鑑』より抄出。(Midori)

師☆追悼(18)

2016-03-22 | Weblog
 第5句集『曲炎』には、民族性のある句がいくつか見られるが、「阿弖流為=朝廷軍とたたかった古代東北の英雄」という前書のある一句をはじめ、次の5句を挙げる。

阿弖流為の鞭や響みて雪解山
阿弖流為と母禮に遭ふべく鶏頭過ぐ
まつろはぬ者の涙や冬銀河 
荒蝦夷滝凍ててこそ尊けれ
薪能うしろに蝦夷の大樹あり

 「蝦夷」についての形式上最古の言及は『日本書紀』神武東征記中に詠まれている愛濔詩として登場する。大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、東方の人々を異端視して使う言葉であったが、中央集権の拡大とともにその範囲は北上し、近世以後、北海道以北に住む人々をいうようになった。また、「阿弖流為」は、『広辞苑』のよると、平安初期、北上川流域を支配した蝦夷の族長であり、789年大和朝廷を破るが、802年征夷大将軍、坂上田村麻呂に降り河内国杜山で斬殺されたという。初出は『続日本書紀』にその名があるだけで、阿弖流為の人物像は定かではない。
 鬨也先生は、阿弖流為の哀史を折に触れて語っていたが、平成十二年には、田村麻呂が創建したと伝えられる京都の清水寺を訪れ、4句目にあるように「阿弖流為・母禮の顕彰碑」に遇っている。鬨也先生にとっても阿弖流為は郷土が誇る歴史上の英雄だという認識があったことは確かである。近年になって、阿弖流為と母禮の「顕彰碑」が建立されたことから推察すれば、阿弖流為の復権が成されたものと解釈できるだろうか。(MIdori)

師☆追悼(17)

2016-03-21 | Weblog
菅原鬨也、第29回角川賞受賞作品50句から、いくつか見てみよう。

大男斑雪の村に現れし
花菜漬日の丸に風あそびをり
深山蝶手拭きつく絞りけり
宮城野や朝日さしくる蛾のむくろ
南部風花野づかさの樹と馬と
村の夜の男ら優し船火事見て

「大男」の句は、50句の冒頭に置かれたものだが、「斑雪の村」という措辞によって、早春の北国の景色が瞬時に想起される。そこへ大男の出現である。物語性は言うまでもなく、読者を引き付けるには充分な一句である。二句目、「花菜漬」と「日の丸」の取合せに無理はなく、長閑な村の暮しぶりを想像させる。三句目、「深山蝶」と「手拭」のさり気ない取合せにも作者の巧みな構成力を感じさせる。四句目、ここではじめて、「宮城野」という固有名詞が使われて、東北という明確な印象を植え付けている。さらに、五句目、「南部」とい古い地名と、南部馬を想起させる「馬」によって風土性のある一句となっている。しかし、「宮城野」と「南部」という固有名詞が、あまり強すぎない程度に配されていることも、地域性を感じさせる要因にもなっていることに注目したい。最後の句、ここにも「村」が出て来るが、「村」は単に行政単位としてだけではなく、ノスタルジーを感じさせる響きを持っているようだ。
 以上、六句を挙げて簡潔に見て来たが、鬨也先生はは角川俳句賞応募に置いて、選者の金子兜太を意識したと生前語っていたが、見事に功を奏したと言えようか。

雲雀

2016-03-20 | Weblog
落雲雀一直線といふ加速     頓田スミ子

落雲雀の在りようが、「一直線」と表現されて、さらに「加速」と展開。
落雲雀のスピード感が、一気に詠まれて臨場感のある一句。
「阿蘇」千号記念『合同句集』より抄出。(Midori)

師☆追悼

2016-03-18 | Weblog
桜前線ひと日阻みし大河あり     菅原鬨也

只今、桜前線の北上中だが、前線の北上を何かが「阻む」という発想がこれまであっただろうか?北上を阻んだものが、「大河」であったという具象がこの句のポイントだが、桜前線の縦の動きに対して、「大河」という大いなる横の存在・・・。大河の前に足踏みしている桜前線が見えるようだ。先師の俳句の上手さを物語る一句を発見して嬉しい。第5句集『曲炎』より抄出。(Midori)

卒園

2016-03-16 | Weblog
ひとりひとり抱きしめられて卒園す    太江田妙子

小学校や中学校ではあり得ない光景である。ひとりひとりの卒園児を、保育士が園児の背丈まで屈んで抱きしめているのだ。面映ゆそうな園児の顔、うれしそうな顔、ひとりひとり、表情は違うことだろう。平仮名が多い表記も卒園らしく、やさしい。「阿蘇」千号記念『合同句集』より抄出。(Midori)

野火

2016-03-15 | Weblog
早春の風物詩、阿蘇の野焼きがすでに始まっています。3月13日に、結社「阿蘇」の探勝会で、野焼を見に出かけましたが、今年は天気にも恵まれ、大部分が広大な末黒野と化していました。それでも遠くからではありましたが、炎が上がったり、煙が立っているのと見つけると、つい興奮してしまいました。これから阿蘇に本格的な春が訪れます。

捨野火かヤマトタケルの投げし火か    みどり

年惜む

2016-03-14 | Weblog
一病を加へし年を惜しみけり     井芹眞一郎

「一病を加へし」ということは、それまでも他の病があったということだ。そしてこの年、新たな一病を加えたというのである。惜しんでいる「年」が、「一病を加へし」という限定された「年」であることに、作者の感慨の深さを知ることができるが、どんな年であっても、貴重な一年であったという肯定的な思考が、作者の生き方の根幹を成すものだと思われる。省略の効いた作品に、作者の静かな境地が感じられた。「阿蘇」3月号より抄出。(Midori)

☆師 追悼(15) 

2016-03-12 | Weblog
 「虚実潺潺」は、俳誌「滝」の中に設けられた菅原鬨也主宰のフリースペースだが、東日本大震災直後の平成23年4月号、5月号は、『大地震・大津波・原発危機 東日本大震災』と題して、河北新報社の主な見出しの抜粋のみの掲載で終わっている。4月号を見てみよう。
 3月12日(土)朝刊 11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とするマグニチュード8.8の巨大地震があった。3月12日(土)夕刊 三陸の街水没・全壊多数 福島原発放射能漏れ 3月14日(月)朝刊 気象庁は13日、東大震災の規模をM9.0に修正した。など3月25日(金)朝刊まで1ページ半にわたって続けられている。
 三陸沖地震は、37年ほどの周期性があると言われるが、これまでの地震と今回の地震とで大きく異なっている点は、大地震による津波によって、東京電力福島第一原発事故を引き起こしたということだ。発生からすでに5年が経過したが、その廃炉作業は長期に及び、いまだ終息していないのが現状だ。震災直後、テレビからコマーシャルが消え、ACジャパンの広告が大量に流れたのも異常であった。

この廃墟日本にあらず春満月    「滝」4月号  
三月の飛雪われらの顔を消す       〃
叫喚のありたる海や梅真白      「滝」5月号
余震なり蝶ひらひらと夜空より       〃
仏壇の倒れしままの彼岸かな       〃
竜天に登り津波は都市を呑む    「滝」6月号
春逝けり漁師は海を恋ひはじむ       〃 

 思考は停止し、震災句しかできなかったと後日述懐しているが、4月号から6月号までの主宰句は、全て震災句十句となっている。悲惨な現実を目の当たりにしながらも、抒情性が残されたのは、詩人としての矜持だったのかもしれない。
 「滝」6月号の「虚実潺潺」では、「魂の行方」と題して、宗教学者の山折り哲雄氏が、NHK Eテレの番組の中で語ったない内容を紹介しながら、ある方向性を提示している。文明というものは、いつかは自然によって復讐を受け、文明を作った人間もまた自然の猛威によって復讐される。しかし、亡くなった人々の魂はこの美しい自然によって癒されるしかないのだ、というものだ。
 2万1千人を超える命と、かけがえのない日常を奪ってしまった東日本大震災であったが、日本の四季の移ろいは否応もなくやって来る。時間の経過や自然は、想像以上にやさしく寄り添ってくれるものだろうか。(つづく)