十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

2012-09-30 | Weblog
腕は翼とっとっとと坂下る秋      池田澄子

腕を翼のように左右に大きく広げ、坂を下る・・・。
翼は風を得て飛ぶことはできなくても、「とっとっと」と、
腕は上手にバランスを取って、無事に坂道を下ったことだろう。
実りの秋、豊かな人生観ともオーバーラップする。
「俳句」10月号より抄出。(Midori)

冷房

2012-09-29 | Weblog
冷房の中で触れ合ふカップとソーサー   松尾清隆

触れ合えば、どうしても出てしまう音。
ソーサーにカップを戻せば、必ず音を立ててしまうからだ。
この「カチャカチャ」という音は、結構クールで都会的で居心地がいい。
きっと、喫茶店でのワンショットだろう。
触れ合ったのが、カップとソーサーだというのも憎い。
「俳句」10月号より抄出。(Midori)

2012-09-28 | Weblog
湖中句碑てふ一本の月の影   古賀しぐれ

月は、あらゆるものに影を置くが、
作者がとらえたものは、湖中句碑の月の影。
研ぎ澄まされた観察眼と美意識がとらえた一句。
2012年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

2012-09-27 | Weblog
猪の今夜あたりといふ今夜    行方克巳

猪の何が「今夜あたり」なのかが、わからないところに、
不気味な面白さがあるが、最近の猪の作物への被害を
考えると、今夜あたり罠でも仕掛けようということか・・・。
今夜は、村人にとって特別な今夜であることは確かだ。
2012年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

秋の暮

2012-09-24 | Weblog
降車ボタン一斉に点く秋の暮     内田美紗

「次の駅で降ります」の意志を表示するための降車ボタン。
掲句は、我が家に近い駅なのだろう。
秋の暮、一斉に点く降車ボタンが、家路に急ぐ人たちの
思いを象徴的に伝えている。
2012年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

流星

2012-09-23 | Weblog
流星と云ひし背中の細く黙す    坊城俊樹

流星をずっと待ちつづけているのは、作者ではなく一人の女性?
やっと夜空に一つ星が流れた瞬間、小さくつぶやいた「流星・・・」、
じっと見守る作者のまなざしが捉えたものは「背中の細く黙す」だった。
余程大切な願い事があったのだろう、その背中は近寄りがたいほどだ。
静謐な星の夜、一人の細いシルエットが美しく浮かび上がってくる。
2012年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

日傘

2012-09-22 | Weblog
好きなだけ歩く日傘をひらきけり    山崎ルリ子

何処へ行くにも一人分の日陰を提供してくれる日傘は、
女性にとって必須の夏のアイテムだ。
それは帽子とも違う華やぎさえも感じさせてくれる。
さて、今日の日傘は、「好きなだけ歩く日傘」だ。
「ひらきけり」に、作者の高揚感や心の張りが感じられて、
とてもよかった。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

2012-09-21 | Weblog
花散りて山の一樹となりてをり    廣保行

花の頃を過ぎて葉桜となれば、山は緑一色となる。
それを「山の一樹となりて」と、感慨深い一句となった。
「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

夏めく

2012-09-20 | Weblog
    夏めくや我が老班のありどころ   三好立夏

老人性色素班、略して老班は、加齢とともにできるシミのことだが、顔や手の甲など、紫外線が当たりやすいところなら、身体のどの部分でもできる。つまりは、目立つところにできるのが特徴だとも言える。さて、作者も老班ができる年齢なのだろう。「我が老班のありどころ」と、その場所が気になるのは夏であれば尚更だ。老いへの抵抗もあるかもしれないが、「夏めく」の季語にはまだまだ若々しい華やぎが感じられてよかった。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

花菖蒲

2012-09-19 | Weblog
花菖蒲咲かせし安堵水にあり   佐藤艸魚

水に安堵のあることの不思議。しかし、菖蒲園の水には、
花を咲かせたという安堵の輝きがあった。それは、
「花を咲かせる」という水の使命感からの解放だ。
「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

四葩

2012-09-18 | Weblog
傘さして四葩の海に溺れけり    つのだともこ

「四葩の海に溺れけり」の把握がユニークだが、それ以上に、
「傘さして」が、景のポイントとなって、一句に動きをもたらした。
一面に広がる紫陽花に圧倒されつつも、心ゆくまで堪能する作者。
「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

桜桃

2012-09-17 | Weblog
桜桃や尼寺に飼ふ放ち鶏    安田眞葉子

尼寺という静かな佇まいを思わせる場所に、
放ち飼いにされている鶏がいることの意外性。
尼寺に生きる女性たちの逞しい一面を見た気がした。
穏やかに過ぎてゆく日々が、きっとここにはあるのだろう。
「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

夏祓

2012-09-16 | Weblog
    ささ濁りしてゐる川や夏祓     岩岡中正

なぜか、遠藤周作の著書『深い河』を思い出す。物語の詳細はすっかり忘れてしまったが、深い河はインドのガンジス川のことであり、いろんなものが流されてくる側で、洗濯をしている人、沐浴する人々の姿が甦った。彼らにとってガンジス川は、すべてを受け入れ、浄化してくれる聖なる川だった。さてここに、ささ濁りしている川がある。梅雨のためにわずかに濁っているのだと理解はしても、「夏祓」と置かれると、川の濁りに聖なるものを感じてしまう。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

今年米

2012-09-15 | Weblog
よき名つけ姫やひかりや今年米    岩井英雅

豪雨災害から2カ月経った阿蘇では、早くも稲刈りが始まった。
流木を撤去しながらの作業だと聞くが、今年の収穫の喜びは一入だろう。
さて、ひのひかり、つや姫等、その名は、生産者の慈愛に満ちている。
2012年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)